新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「カリスマ経営者 いまも生きるメッセージ」への反響に思う事

2022-08-22 07:45:29 | コラム
経営者の質が変化したのか:

昨21日にPresident氏から引用して取り上げた「経営者の言行録」について、北欧を代表するかのような多国籍企業の日本法人で副社長を勤められた論客のK氏から、下記のようなご意見が寄せられた。

「皆、亡くなった人ばかり。彼らの時代が黄金時代だったのか。それとも、その後に、歴史をつくれる人が出ていないのか。共通しているのは、官僚的な人は皆無。80年代以降、新卒入社、年功の階段を上がり上に気に入られた人が、経営陣になる。経営とは無縁の評価基準ハングリーな外国人に負けていく。」

誠に尤もな見解であると思って読んだ。確かに現代大手企業で経営陣におられる方々はPresident誌が採り上げた故人とは違って、新卒での入社から能力と年功序列等の我が国独得の企業社会の文化の中で努力を積み重ねて経営陣に入ってこられたと思って見ている。私はそういう方々は、例えば松下幸之助氏などとは異なっていて、自分の資金で会社を創立し運営しておられるのではない「経営担当者ではないのか」と指摘してきた。

更に、新卒で入社されてからK氏の指摘のように努力を積み重ねられて階段を上り詰めてこられたので、地位が上がるほどにその地位を守ることにも懸命の努力を傾注されたので、ともすると「守り」の態勢に入られたのではないのかと、勝手に外部から視察してきた。その態勢にあっては、あのような言行録に入るような思想や経営の哲学を語られる精神的な余裕も暇(イトマ)がなかったのかなどと考えている。

だが、現代の世界のように諸々の情勢が時々刻々と変化していく時代にあっては、あのPresident誌が引用した方々の20世紀の経営理念が通用しなくなったのかも知れないのだろうかとも言える気がする。上述のような経営者の質の変化については、大手製紙の元社長の某氏は冷ややかに「経営者の劣化だろう」と決めつけておられた例もあるが。

私はリタイア後に恵まれた1990年代末期頃の機会に、数社の上場企業乃至はそれに準ずる会社の若手の精鋭たち(現在40歳台後半から50歳台前半)から、「現在の我が社の部課長級が役員になる頃には、当社が没落している危険性が見えるので不安だ。そう言う根拠はあの年齢層は自分たちの地位を守ることに汲々としているだけで、何ら時代に即応した新機軸を産み出していない。何とかしてあの年齢層(団塊の世代)を追放しておかないと」と聞かされたものだった。

そう言ってしまえば、何処の会社か容易に分かるだろうある商社では、社長の大英断の下に「団塊の世代に1億円の退職を出すから」と、早期退職を勧誘して一掃していしまった例もあった。その社長さんは「辞めて欲しくない将来当社を担うだろう有望株が辞めていくことは承知で打った手だった」と聞かされていた。その商社のその後の躍進振りは夙に知られているところだ。

この例から見えてくることは「質の劣化」と言うよりも「一個人の能力だけで対応して即応していくのが非常に困難になっていく一方の時代の変化と、それに加えて進歩発展の大きな促進の材料となっている情報化とICT化とAI等の急速な普及があり、一個人のカリスマ性では対応しきれないのではないのか」と思うのだが、如何だろう。