新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

野球の話題から

2022-08-12 09:02:51 | コラム
偶には野球を語って見よう:

大谷翔平君は偉い:
104年振りとかでベーブ・ルースの記録に並んだと、我が国のマスコミは大谷君を褒めそやしている。「辛口」とも言われている私も彼は「彼以外に打てる者がいない」と「彼以外にまともな投手がいない」と「彼を重用してくれた監督が解任された」等々の悪条件を克服して、大記録を達成したのは立派だと賞賛せねばならないと思っている。

私は何と言っても大谷君が偉いのは、あのダルビッシュが「異種の競技をやっているのかと思った」といみじくも喝破したアメリカの野球の世界で、異文化と異言語の世界で、投と打の両面をこなして新記録に到達したのは素晴らしい大業績であり、勝手に予測すれば「今年のMVP獲得も決まった」と見ている。

彼の野球を見ていると、どうしても納得できない事がある。それは、偶にテレビの画面に出てくるベーブ・ルースの打撃フォームや走っている104年前の姿を見ていると、それと現代の体格も違うだけではなく体の鍛え方というかトレーニングの方法も違うだろう大谷君と比較するのですら失礼ではないかと感じてしまうのだ。

また、当時とは野球の質も変わっているだろうし、道具も用具もボールの質も違ってきたのではないだろうか。言いたいことは、英語に言う“apple to apple comparison”(同一条件または同じものとの比較)ではないと思うのだ。即ち、ベーブ・ルースを現代のMLBに持ってきたら、到底一本目にはなれないだろうし、大谷君が104年前に現れたら、ベーブ・ルースどころではない大選手だっただろうという意味だ。

私らしいかなと思う極論を言えば「かの長嶋茂雄や王貞治の最盛期の体格と身体能力でも、現代のNPBで果たして一軍で通用するだろうか」という意味なのだ。

私は大谷君がアメリカに行く前から「二刀流」なる珍奇な名称の使い方をするのではなく、何れか一方で徹底的に使ったら如何と考えていた。現在でもまだホームランこそ25本だが、ヤンキースのジャッジには遠く及ばないのだ。だから、打者だけに絞っておけばジャッジを抜いていることだってありはしないかということ。打率だって2割5分辺りでウロウロしていることなどないだろう。投手だけにしたら、もう20勝に近いところに到達しているのでは。

それでも、投手と打者の両面であれだけの成績を挙げて、アメリカ全体でも高い評価を受けているし、もしもFAになるかトレードが成立すれば、60億円とも言われている年俸になるのだから、私如きは何か言わずに成り行きに任せておけば良いのかと思っているのだ。

甲子園の野球:
余りの暑さにボーッとなったのか「そう言えば、高校野球もやっていたのだっけ」とばかりに、気が付いた時にチャンネルを合わせている。開始される前に、暑さ対策で「午前中と夕方から夜の暑くないときだけに試合をする」との話があったが、どうやら「検討中」に過ぎなかったようだ。

何処かでチラと見たが、報道こそない話で、時々「治療中」といって中々グラウンドに出てこない選手は、暑さが足などに来て動けなくなったのだそうだ。故障者が出ていないというのは「大本営発表」の類いかなと、疑っている。第一、スタンドで応援の踊りをしている部員たちも良く酷暑に耐えていると感心している。

高校生たちを見ていて気が付いたことを2~3取り上げてみよう。「アレッ」と思ったことは多くの学校で「まさかズック靴(古いか)?」と思わせられた白いスパイクシューズを履いている点。この手の靴はNPBでも見かけるようになった。居合わせた二男が「高野連が白いスパイクシューズにせよ」とでも通達を出したのかと言っていた。斬新な流行(ファッション)に見える。

次は「打者走者が一塁ベースに頭から滑り込んでみせること」だ。これは「高校球児の闘志の現れ」として寧ろ賞賛されているかの感すらある。理論的には「駆け抜ける方が速い」とハッキリしていると聞いている。だが、「負け試合の最後の打者となった者は、凡打でも頭から滑り込むべし」という指導が為されているのだろうか。私には非合理的な事だとしか思えない。また余計なことを言えば、あれは正確には「ヘッド・ファースト・スライディング」なのだ。

最後は「坊主刈り」の継承。髪の毛を伸ばしている学校は時たま見かけるが、圧倒的多数は丸刈りである。これが高野連の通達事項かどうかは知らないが、私には時代遅れな「敢闘精神」の表現と「皆で同じにしよう」という精神主義に見えてならない。昭和24年(1949年)湘南高校が最初で最後の夏の甲子園出場で優勝したときには、半数以上が長髪で「湘南は?!」と批判的に報道されたのを覚えている。慶応高校だって伸ばしているよ。