新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナ語には恐れ入ったものもある

2014-08-19 07:58:52 | コラム
鉄人28号の人形を盗んだ者が逮捕された:

モザイクをかける   electronically blurred


解説)19日朝のニュースで世間(マスコミか?)を騒がせていた古物商「まんだらけ」から「鉄人28号」のブリキの人形を盗んだ者が逮捕されたと報じられていた。この容疑者が監視カメラに写された写真は繰り返しテレビのニュースの画面に登場した。だが、肝心の顔のところは「モザイクがけ」されていた。まんだらけは被害者に「顔を隠したので、1週間以内に盗品を返却せよ」と語りかけていた由。

この「モザイクをかける」の「モザイク」は "mosaic" =「モザイク模様」といったような意味だ。だが、英和辞典にも Oxford にも「モザイクをかける」という意味は出ていなかった。発音記号でも「モウゼイク」に近い表記になっていた。広辞苑には「写真・映像などの一部を、碁盤目状に覆って隠すこと」となっていたが、和製語との表示はなかった。

私は以前からこのテレビ用語のような「モザイクがけ」を我が国独特の容疑者を保護する仕来りの表れであろうとは思っていたが、カタカナ語かどうかを採り上げていなかった。しかし、一度だけ何かで「英語にすれば "electronically blurred" と辺りか」とあったのを見た記憶がある。即ち、「電子式にぼかされた」であり、上手いことを言われたな程度に感じていた。

ところが今回の盗難事件では繰り返し容疑者の顔だけをぼかされた画像が出てきて、初めて「もざいくがけ」を採り上げていなかったことを思い出した次第だ。取りあえず色々と調べてみたし検索もかけたが、"electronically blurred" は何処にも出ていなかった。このカタカナ語を作り出した方の "mosaic" なる単語をここに応用しようと考えられた知識と知恵と面白い発想に正直に言って敬意を表したい。

また、この英語の表現を作り出した方の英語力にも、私にはとても思い付かなかったという点からも、あらためて敬意を表したい。

頂門の一針 3399号の伊勢雅臣氏の英語論から

2014-08-18 13:20:40 | コラム
素読の効果:

私は掲題の渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」3399号の伊勢氏の「日本の誇る英語の達人」を興味深く拝読。中でも「これは」と思ったのが掲題の「素読の効果」だった。その一部を紹介しよう。

>引用開始

素読の効果

岡倉天心がお寺で住職から漢学を学んだ方法は、当時の寺子屋と同様、「素読」によったはずである。「師曰はく、学びて時にこれを習ふ、亦(また)説(よろこ)ばしからずや」などと『論語』の一節を、師について何度も何度も音読する。そのうちに、文章のリズムを身につけ、語感を感じとり、内容も少しづつ分かってくる。

その素読を英語学習の正道として勧めているのが、「同時通訳の神様」と呼ばれた國弘正雄氏である。氏は戦争中、中学1年の時に先生から勧められて英語教科書を声を出して、ひたすら読んだ。一つの課について、平均5百回、課によっては千回も読んだだろう、という。

戦争が終わった時に3年生になっていた。米軍がやってきて、子供心に自分の英語を使ってみようと思って、米兵に話しかけた。すると驚くなかこちらの言うことが相手に通ずるだけでなく、相手の言うことも、驚くほどよくわかったという。[3,p20](以下略)
>引用終わる

私が英語が在職中にはアメリカ人の中で、言わば1年365日暮らしていても何とかなったのは、「旧制中学と高校では(試験の前には)教科書を何回でも意味が解るようになり、何処で切るべきかが自然に解るまで音読を続け、単語帳もカードも一切作らず、英文和訳はせず、知らないか意味が解らない単語が出てきたらその都度辞書を引き、ひたすら教科書の暗記暗誦のみで過ごす」というズボラな勉強作戦の結果だったのです。

これは決して意図して実行したのではなく、単語帳その他が面倒だったのと教科書に書き込みをするのも同じように面倒くさかっただけのことでした。しかも、この勉強法というか試験対策は非常に簡単で、暗誦出来るようになれば止めて良いという風に自分で決めてあったのですから。しかも、これが有効だろうとは全く考えたこともなく、飽くまで結果論ですが、常に90点以上取れるようになったので、「しめた。これで行こう」となったのです。自慢話のつもりは毛頭ありません。結果論ですから。

この手法を大学1年の頃に偶然にその機会を与えられた中学1年生の男子に3年生になるまで試みて見た結果、この男子は高校を卒業するまで英語は「オール5」という優秀な成績だったそうです。高校卒業時の担任の先生に「中・高の教育が英語の力を付けるためだけのものであれば、この子は大成功だったと言える」との評価を貰ったと聞きました。

この教え方は我が国の英語教育法から見れば邪道であり、大冒険ですから、この一家の両親に「イチかバチかですが」と断って了解を取った上で試みたのです。この方法で成功した個人教授にはもう一例が社会人であります。しかし、与論は「成功例が少な過ぎる」と言って否定してきます。

負け惜しみでも何でもないのですが、「では、我が国の学校教育での成功の比率はどれほど高いのですか」になるのですが、こんなことを言っていられる場は、親しくして貰っている英語教育改革派の二人の学者(国文学と仏文学)と語り合っている時だけです。

私が英語が在職中にはアメリカ人の中で、言わば1年365日暮らしていても何とかなったのは「旧制中学と高校では(試験の前には)教科書を何回でも意味が解るようになり、何処で切るべきかが自然に解るまで音読を続け、単語帳もカードも一切作らず、英文和訳はせず、知らないか意味が解らない単語が出てきたらその都度辞書を引き、ひたすら教科書の暗記暗誦のみで過ごす」というズボラな勉強作戦の結果だったのです。

これは決して意図して実行したのではなく、単語帳その他が面倒だったのと教科書に書き込みをするのも同じように面倒くさかっただけのことでした。しかも、この勉強法というか試験対策は非常に簡単で、暗誦出来るようになれば止めて良いという風に自分で決めてあったのですから。しかも、これが有効だろうとは全く考えたこともなく、飽くまで結果論ですが、常に90点以上取れるようになったので、「しめた。これで行こう」となったのです。自慢話のつもりは毛頭ありません。結果論ですから。

この手法を大学1年の頃に偶然にその機会を与えられた中学1年生の男子に3年生になるまで試みて見た結果、この男子は高校を卒業するまで英語は「オール5」という優秀な成績だったそうです。高校卒業時の担任の先生に「中・高の教育が英語の力を付けるためだけのものであれば、この子は大成功だったと言える」との評価を貰ったと聞きました。

この教え方は我が国の英語教育法から見れば邪道であり、大冒険ですから、この一家の両親に「イチかバチかですが」と断って了解を取った上で試みたのです。この方法で成功した個人教授にはもう一例が社会人であります。しかし、与論は「成功例が少な過ぎる」と言って否定してきます。

負け惜しみでも何でもないのですが、「では、我が国の学校教育での成功の比率はどれほど高いのですか」になるのですが、こんなことを言っていられる場は、親しくして貰っている英語教育改革派の二人の学者(国文学と仏文学)と語り合っている時だけです。

悔しくないのか、我が国のプロゴルファーは

2014-08-18 08:10:27 | コラム
また韓国人に優勝をさらわれたではないか:

情けないではないか。一体年間に何度優勝させる気か。

昨17日に軽井沢で開催されたNECがスポンサーの女子プロのトーナメントはプレーオフまで持ち込まれた後で、またぞろ韓国のィ・ボ・ミに優勝をさらわれて賞金 ¥1,260万を持って行かれた。これは勝負の世界のことだから強い者が勝つのが当たり前で仕方がないのだが、ここ数年は余りにも男女とも易々と韓国勢に優勝をさらわれすぎているので、当方は切歯扼腕である。情けないのだ。

韓国の女子プロたちの主力はアメリカと日本の市場を掛け持ちしながら、世界の精鋭が集うアメリカでも何度か優勝し巨額の賞金を手に入れては、恰も息抜き出来るかのような我が国の試合にも出場し、常に上位を占めて賞金を取っていくのだ。勝負の世界のこと故、強い者が勝つのは仕方がないことだが、我が国のプロたちの力不足が目立って残念だ。

韓国の男女のプロゴルファーたちはどのような心理状態でに我が国でプレーしているのだろうか。怪しからん国の賞金を取ってやろうという精神なのだろうかと、つい疑ってしまう。

ここから先は暴論になっていくと承知で述べていくが、「我が国ではあれほど一方的に理不尽な言い掛かりを付け続ける大統領以下の政治家、官僚とマスコミがいる韓国の人たちに対して優しすぎるのではないか」と言いたくなってしまう。産経の記者に不当な言い掛かりを付けて出国禁止などと出鱈目をするのならば、プロゴルファーなどに自由にトーナメントに参加させてやるのは寛容過ぎるのではないのかなど」と秘かに切歯扼腕している。

対策は簡単明瞭で、女子だけを考えればオリンピック種目になったことでもあり、韓国勢に負けないように強化策を国費を投じてこれと思う有望選手を鍛え上げ手韓国と戦える水準に持っていければ良いのではないか。何故か、我が国では「恰も世界の市場であるが如き存在のアメリカに進出するのが最大にして最高の目的で目標の如きで、国内市場を韓国勢に席巻されていることを意に介していないか」の感さえある。

外交面ではとても正論ではないようなこじつけを先手必勝手ぶつけてきては我が国を貶めるxx婦論だの意味不明な「歴史認識」を認めて正しい大要をせよなどと妄言を吐く国に対して、何時までもフェアープレーの精神で、性善説で対応し続けても、彼等はそれを多として我が国に対する政策は愚か姿勢を変えてくることはないだろう。

暴論はここからで、「そんな国のプロゴルファーたちに何の条件も付けずに入国させて、経営が思うに任せなくなったスポンサー様たちの苦心の予算から出る賞金を唯々諾々と持っていかせることが、日韓友好に貢献していない」と考え初めても良い頃ではないのか。総理でなければ少なくとも官房長官にでも、ゴルフのプロたちの奮起を促していただけないものだろうか。

私の情報論

2014-08-17 09:22:13 | コラム
情報とは「自らの情報網を構築することから始めよ」である:

つい先日、「頂門の一針」の主宰者・渡部亮次郎氏が彼ならではの情報を論じておられたと記憶しておりますので、私の情報論を。

私は在職中の1955年(昭和30年)から実質的に1993年末まで営業を担当し、その中で主要な部分を占め多くの時間を費やしてきたのが情報収集だったと思っております。情報とは"information"という言葉出てくるように、何となく諜報機関を思わせるものがあります。

1932年頃だったか、担当させて貰った我が国最大の印刷会社の購買担当者に「あなた方流通機構の方々は我々に市況報告をしたがる傾向がある。これは認識不足で、市況を作り出しているのは我々需要家側である。私が知りたいことは競争相手の動きであり、メーカー側の経営方針であり、世界の変化の状況である」と指摘され、初めて情報には "intelligence" の側面があると知りました。

そこで不見識かも知れませんが、何となく開始したのが業界での交際範囲を広げて方々に顔を売り、情報網を構築することでした。その際に当時の上司からは「話し合っている相手が何気なく語ったことが、こちらにとっては飛び上がるほどの重大な情報であることが間々ある。それと知ったならば、直ちに話し合いを止めて帰社し私に報告せよ。その重大性の判断は私がするが」と指導されました。

そこで、情報提供に重きを置いた営業活動をしようと決意して市況(という名の噂話)は同業他社にお任せしていこうという姿勢に徹しました。

また、業界の言わば(私が嫌うカタカナ語ですが)ベテランからは「何か聞き出そうと思ったらメモを取るような愚かな真似をしないこと。全て記憶力で勝負せよ。要するに聞き上手になれ」とも教えられました。何れも重要な情報収集のテクニックだと思うのです。とは申せ、私はその頃から熱心に情報収集活動をしていた訳ではなく、他人様から話を聞く(聞ける?)ことを楽しんでいた側面もありました。

その間に解ってきたことは「情報収集活動は何処までいっても所謂「ギブ・アンド・テーク」(give-and-take=持ちつ持たれつ?)である点でした。何かを得るためには時には「肉を喜んで提供し、骨を奪う」くらいの覚悟が必要だったということでした。

次ぎに重んじたことはアメリカの会社で痛感した「伝聞をそのまま伝えるのではなく、自分で十分に消化・咀嚼して、自分の意見を加えて報告するというか提供すること」でした。単純な例を挙げれば「業界新聞の特ダネかも知れないことを伝えるようなやり方は情報提供でも何でもない」とでもなるでしょうか。

上記の「自分で消化・咀嚼して」は1995年からお手伝いした紙パ業界の専門出版社の社長と意見を交換した時に主張して「私は常に当社の記者たちにその点を心掛けよ。記事はそうしてから書けと指導している」と賛成されました。これは偉そうに言うことではなく、単なる基本だと思っております。

もう一つ忘れてはならない重要なことは「自分の独自の情報網を築き上げて、これに関連することは何処の誰にその場で電話しても聞き出せる次元にまで持っていっておくこと」でした。これに関しては、日本の会社からアメリカの会社に変わって原料の分野に出た時には、如何に速く情報網を築くかに注力しました。結果的には各分野で作った情報網は何処に行っても役に立ったということでした。

最後に書き物にしにくい点があります。それは如何にして「良き聞き手になるか」でした。ここには勿論「ギブ・アンド・テーク」の技法もありますが、意外だったのはテレビ番組で(見たくもないグループの)エクザイル(EXILE)の一人が、語りかけている相手が微動だにせず熱心に聞いていた時に「話し辛い」と悲鳴を上げたことでした。

実は、私は生まれつき(?)ジッとしていられないので、話し合っている間に同じ姿勢を2分も維持的ないのです。それかあらぬか、屡々「何故貴方にこんな事まで語ってしまうのだろうか。不思議だ」と言われたほど「そこまで他社の私に語って良いのですか」と言いたくなったほど社外秘かも知れないと思う事柄を聞かせて貰ったことがありました。もしかするとモゾモゾすれば、良き聞き手になれるのかも。

千葉県市原市東海大学付属望洋高校

2014-08-16 17:20:36 | コラム
その昔の精華学園だった:

甲子園野球を観戦すれば、思いがけないことも解ってくるものだった。

8月16日は天候も芳しからず、午前中に一度直ぐ近くに昼食の材料を買いに出たのみで、後は甲子園野球を楽しく批判しながらテレビ観戦をしていた。あの雨降りの中で、恐らく日程が詰まったためだろうか、試合を強行させられた高校生たちも気の毒なものだと、主催者の運営の仕方には賛成出来なかった。

第二試合に登場し、熊本の城北高校と対戦したのが東海大付属望洋高校だった。東海大学にはある程度詳しいものと自負していたが、この付属高は知らなかったので検索してみた。そこで知り得たことはこの学校は、何と嘗て美空ひばりが在学した新宿駅西口の近くにあったと記憶する精華学園だったのだ。

精華学園とは1883年に内村鑑三氏が設立した学校で、戦後の新宿駅西口開発事業で千葉県に移転して、1974年に東海大学と提携し、1986年に男女共学の付属望洋高校に改組されていたのだった。その言わば歴史の浅い高校の野球部が夏の甲子園に初めて出てきたものと解った。言うなれば、「あの芸能人と言うかアイドルが多く通っていた精華学園がこうなっていたのか」という一種の驚きである。

遺憾ながら、望洋高校は熊本勢に僅差で敗れ涙をのんだが、あの悪天候と水田のようなグラウンドで善戦健闘したと言っても良いだろう。月並みなことを言えば「折角初めて来たのだから、もっと良い条件でやらせてやりたかった」となるだろう。

第三試合も東海大参加の相模高校でここには「付属」は付いていない。この野球部は前評判も高く、盛岡大付属高を一蹴するかと期待して観戦した。条件の悪さは両校とも同じだと見えたが、その悪さを十分に活用した盛岡大付属高が初回に2点取ってリードした東海大相模を終盤にひっくり返して初戦敗退に追い込んでしまった。

この試合は前の二試合と比較すれば遙かに高校野球としての水準も高く見応えがあったが、矢張り焦った東海大相模が9回裏のチャンスをものに出来ず、1点差でこれまた初戦敗退に終わった次第だった。

東海大の高校二校の負け方は、共に焦って手を出してはならない時に打ちに出てしまったことと言うか、目一杯になって苦しんでいる相手投手の弱みにつけ込めずその心中を読み切れなかった辺りが敗因だった。その辺りに「勝った方が強いのだ」というか「負けに不思議なし」の大原則が現れていたことになってしまった。

参考資料: Wikipedia