以下は昨年7月24日に掲載したものですが、未だに通用する点が多々あると思いますので、一部を加筆・訂正し再録します。
日米企業社会における文化の違い:
実は、私はこういう題名で1990年4月に本社副社長兼事業部長に志願して事業部の全員と工場の幹部に集まって貰い、約1時間30分のプリゼンテーションをした。そして、その後には工場の事務と現場の管理職にも何度も聞いて貰った。さらに、社外のビジネスマンと Community collegeの生涯教育学部長兼教授にもプリゼンテーションの機会を得た。
これをやらせて欲しいと副社長兼事業部長に願い出た理由は「我が社の日本を最大の得意先とする我が事業部と雖も、日本に出張してくる者たちが余りにも両国間の違いに無神経というか無知であって、要らざる摩擦を起こしている例を見てきて誠に寒心に堪えない。更に言えば、日本側のアメリカについての知識も誠に皮相的で信ずるに足らないのも事実だ。これは必ずしも当部だけではないが、是非とも改善されて然るべきだ」であり、それを彼が了承して実現したのだった。
私は副社長には「予め文化の相違点を認識して日本に来れば何事もショックとは感じないで済むはずだ。その点を理解願いたい」と談じ込んだのだった。彼もその点を認識し始めていたので承認してくれた。
この細かい内容はこれまでに色々な形で指摘した来たことであり、ここであらためて全容を紹介する気はない。しかし、後難を怖れずに言えば「我が国の相当以上の大企業で海外慣れしておられるはずのところでも、得意の文化比較論の一部にでも言及すると「エッつ、そうでしたか」と言われたことが何度もあったのである。しかし、国内で語り且つ書くようになったのは、リタイヤー後の1994年2月以降だった。
このプリゼンテーションの原稿を作成している時に、東京に本社の製材品部門から東京に派遣されていた駐在期間中に日米間の相違を把握していたマネージャーに査読して貰った。彼は「これで良いと思うが、是非とも付け加えて貰いたい項目がある」として指摘したのが、
*Representation of the company to the customer,
*Representation of the customer to the company,
の2項目だった。私も瞬間「何のこと?」と訝ったが、これを日本語にすれば前者は「お客様には会社の意向を伝えよ」であり、後者が「会社に向かってお客の代弁をする(な)」だと、暫くして解って「尤もである」と納得出来た。
しかし、これでも「何が言いたいのか?」と怪訝な顔をしておらる方は多いと疑っている。出来る限り解説してみよう。
彼は「後者は多くのアメリカから日本に派遣されてきた者たち(expatriate と言うが、英和辞書にはそうはなっていない場合が多い)が先ず腹立たしい思いをするのが、日本人の社員は会社の意志や命令や意向を客先に真っ向から伝えることを躊躇い、反対にそれらに対するお客の反論なり反対の意見を聞いて我々に伝えてそれに従おうと提案する。彼等は何処から給与を貰っているかが認識出来ていない。お客の代弁をするとは不届きであると、極めて腹立たしい思いに駆られる」ものだ」と教えてくれた。
正直に言って、私は「矢張りか」と納得した。即ち、前者は「会社ないしは本部の意志を間違いなくお客に伝えて、それを無事に納得させてくるのが社員の使命であって給与を貰っている会社の命令を忠実に実行するのがであるのが本分である」なのである。解りやすい例を挙げれば「本部が値上げをすると決めた以上、お客様にはそれを受け入れさせるのが社員の仕事で、それに対する反論であるとか延期の要望を聞いて帰ってくるのは "job description" の内容に違反している」という簡単な理屈である。要するに "From where does your pay check come?" ということだ。
しかしながら、この簡単明瞭な理屈はアメリカ国内だけで通用するもので、我が国の企業社会にはこのような一方通行の交渉が認めらることは先ずないだろう。だからと言って、アメリカ人の上司にはお客の拒絶と反抗は受け入れらない理屈なのだ。二進法の思考体系であれば「命じられたことは、実行してくる」との選択肢しか残っていないのだ。このようなお客は二の次で「命令忠実実行型社員」の評価が高いと言うこと。
しかし、日本の事情に精通していたマネージャーは言った。「これは間違った捉え方で、日本市場には通用しないと認識すべきことだ。特に短期間の出張者などは直ぐにこのお客の代弁者に腹を立てて怒りまくる傾向がある。そこで教えてやることは、兎に角日本人社員が言うことを何が何でもじっくりと聞いて見ろ。するとそこに日本市場に真実の姿が見えてくるものだ。(英語にすれば”understand the Japanese market right.”)短気は禁物だ。君に必要なことは『良き聞き役』に徹することだ」と言って説得すると解説してくれた。
この2点は非常に重要であり、日米間の企業社会における大きな文化というか思考体系の相違点である。これを知らない日本のお客様は「アメリカの会社の日本人社員は何と高飛車なのだ。本部の意向を伝えに来るだけで当事者能力が皆無では交渉に進めようがない」と言って激怒された例もあったと聞く。アメリカ側も日本の会社がどのような組織というか、どのような経路で報告が上がっていくかを知るべきだったと何時かは理解出来るようになって行くものだ。
この2点は有り難いことに私のプリゼンテーションの重要な項目の一つとなった。そして我が事業部では "representation of the customer" 精神に徹する者が増えていった。言うなれば「目出度し、目出度し」だった。このように我々は常に「日米企業社会における文化の違い」というデコボコ道を歩み続けていたのだった。要するに「この道路をどれだけ速く滑らかな舗装道路にするかが成功の鍵を握っているのだ」ということだ。
余談の部類に入るだろうが、私がアメリカの通商代表部がTPPの交渉に臨む際に我がマスコミは「妥結が近い」だの「妥結点の探り合い」などと報じるのを真っ向から「彼らが妥協などする訳がない」と言って批判してきた根拠は上記の文化の相違にある。まさか代表者にまるで権限が認められていないとは思えないが、彼らは「自社か自国の主張を通す為に交渉の席につくので、それ以下か以外は先ずあり得ないのだ。だからこそ、未だに交渉が終わっていないではないか。
妥協もせずに、落としどころを探るよう真似をもせず、自社にとって有利に交渉を纏め、相手側にもそこそこの満足感を与える交渉術を身に付けていたビジネスマンが私の元の上司だった副社長兼事業本部長だった。彼は州立大学の出身でMBAでもなかったアメリカの大手企業には珍しい存在だった。これも余談である、念のため。