新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

謹告

2015-07-26 06:19:25 | コラム
各位

猛暑の折から体調の不備を補う為に本26日(日)から29日(水)までの間、都内を脱出して休養致します。何卒宜しくご理解のほどお願い申し上げます。

真一文字拝

日米間の企業社会における文化比較論

2015-07-25 12:50:00 | コラム
以下は昨年7月24日に掲載したものですが、未だに通用する点が多々あると思いますので、一部を加筆・訂正し再録します。

日米企業社会における文化の違い:

実は、私はこういう題名で1990年4月に本社副社長兼事業部長に志願して事業部の全員と工場の幹部に集まって貰い、約1時間30分のプリゼンテーションをした。そして、その後には工場の事務と現場の管理職にも何度も聞いて貰った。さらに、社外のビジネスマンと Community collegeの生涯教育学部長兼教授にもプリゼンテーションの機会を得た。

これをやらせて欲しいと副社長兼事業部長に願い出た理由は「我が社の日本を最大の得意先とする我が事業部と雖も、日本に出張してくる者たちが余りにも両国間の違いに無神経というか無知であって、要らざる摩擦を起こしている例を見てきて誠に寒心に堪えない。更に言えば、日本側のアメリカについての知識も誠に皮相的で信ずるに足らないのも事実だ。これは必ずしも当部だけではないが、是非とも改善されて然るべきだ」であり、それを彼が了承して実現したのだった。

私は副社長には「予め文化の相違点を認識して日本に来れば何事もショックとは感じないで済むはずだ。その点を理解願いたい」と談じ込んだのだった。彼もその点を認識し始めていたので承認してくれた。

この細かい内容はこれまでに色々な形で指摘した来たことであり、ここであらためて全容を紹介する気はない。しかし、後難を怖れずに言えば「我が国の相当以上の大企業で海外慣れしておられるはずのところでも、得意の文化比較論の一部にでも言及すると「エッつ、そうでしたか」と言われたことが何度もあったのである。しかし、国内で語り且つ書くようになったのは、リタイヤー後の1994年2月以降だった。

このプリゼンテーションの原稿を作成している時に、東京に本社の製材品部門から東京に派遣されていた駐在期間中に日米間の相違を把握していたマネージャーに査読して貰った。彼は「これで良いと思うが、是非とも付け加えて貰いたい項目がある」として指摘したのが、

*Representation of the company to the customer,

*Representation of the customer to the company,


の2項目だった。私も瞬間「何のこと?」と訝ったが、これを日本語にすれば前者は「お客様には会社の意向を伝えよ」であり、後者が「会社に向かってお客の代弁をする(な)」だと、暫くして解って「尤もである」と納得出来た。

しかし、これでも「何が言いたいのか?」と怪訝な顔をしておらる方は多いと疑っている。出来る限り解説してみよう。

彼は「後者は多くのアメリカから日本に派遣されてきた者たち(expatriate と言うが、英和辞書にはそうはなっていない場合が多い)が先ず腹立たしい思いをするのが、日本人の社員は会社の意志や命令や意向を客先に真っ向から伝えることを躊躇い、反対にそれらに対するお客の反論なり反対の意見を聞いて我々に伝えてそれに従おうと提案する。彼等は何処から給与を貰っているかが認識出来ていない。お客の代弁をするとは不届きであると、極めて腹立たしい思いに駆られる」ものだ」と教えてくれた。

正直に言って、私は「矢張りか」と納得した。即ち、前者は「会社ないしは本部の意志を間違いなくお客に伝えて、それを無事に納得させてくるのが社員の使命であって給与を貰っている会社の命令を忠実に実行するのがであるのが本分である」なのである。解りやすい例を挙げれば「本部が値上げをすると決めた以上、お客様にはそれを受け入れさせるのが社員の仕事で、それに対する反論であるとか延期の要望を聞いて帰ってくるのは "job description" の内容に違反している」という簡単な理屈である。要するに "From where does your pay check come?" ということだ。

しかしながら、この簡単明瞭な理屈はアメリカ国内だけで通用するもので、我が国の企業社会にはこのような一方通行の交渉が認めらることは先ずないだろう。だからと言って、アメリカ人の上司にはお客の拒絶と反抗は受け入れらない理屈なのだ。二進法の思考体系であれば「命じられたことは、実行してくる」との選択肢しか残っていないのだ。このようなお客は二の次で「命令忠実実行型社員」の評価が高いと言うこと。

しかし、日本の事情に精通していたマネージャーは言った。「これは間違った捉え方で、日本市場には通用しないと認識すべきことだ。特に短期間の出張者などは直ぐにこのお客の代弁者に腹を立てて怒りまくる傾向がある。そこで教えてやることは、兎に角日本人社員が言うことを何が何でもじっくりと聞いて見ろ。するとそこに日本市場に真実の姿が見えてくるものだ。(英語にすれば”understand the Japanese market right.”)短気は禁物だ。君に必要なことは『良き聞き役』に徹することだ」と言って説得すると解説してくれた。

この2点は非常に重要であり、日米間の企業社会における大きな文化というか思考体系の相違点である。これを知らない日本のお客様は「アメリカの会社の日本人社員は何と高飛車なのだ。本部の意向を伝えに来るだけで当事者能力が皆無では交渉に進めようがない」と言って激怒された例もあったと聞く。アメリカ側も日本の会社がどのような組織というか、どのような経路で報告が上がっていくかを知るべきだったと何時かは理解出来るようになって行くものだ。

この2点は有り難いことに私のプリゼンテーションの重要な項目の一つとなった。そして我が事業部では "representation of the customer" 精神に徹する者が増えていった。言うなれば「目出度し、目出度し」だった。このように我々は常に「日米企業社会における文化の違い」というデコボコ道を歩み続けていたのだった。要するに「この道路をどれだけ速く滑らかな舗装道路にするかが成功の鍵を握っているのだ」ということだ。

余談の部類に入るだろうが、私がアメリカの通商代表部がTPPの交渉に臨む際に我がマスコミは「妥結が近い」だの「妥結点の探り合い」などと報じるのを真っ向から「彼らが妥協などする訳がない」と言って批判してきた根拠は上記の文化の相違にある。まさか代表者にまるで権限が認められていないとは思えないが、彼らは「自社か自国の主張を通す為に交渉の席につくので、それ以下か以外は先ずあり得ないのだ。だからこそ、未だに交渉が終わっていないではないか。

妥協もせずに、落としどころを探るよう真似をもせず、自社にとって有利に交渉を纏め、相手側にもそこそこの満足感を与える交渉術を身に付けていたビジネスマンが私の元の上司だった副社長兼事業本部長だった。彼は州立大学の出身でMBAでもなかったアメリカの大手企業には珍しい存在だった。これも余談である、念のため。

7月24日 その2 日米間の文化の相違

2015-07-24 13:25:51 | コラム
以下は昨年7月23日に掲載したものだが、今でも通用する点が多々あるので、加筆訂正して敢えて再掲載する次第だ。ご一読賜りたい。

アメリカの製造業を回顧する:

畏メル友・尾形氏に日経(14年7月23日、念のため)が「アメリカは何処へ・飽くなき革新。米国で先端分野研究の官民連携が加速している。」との記事を載せていたと教えていただけだ。長年アメリカの製造業の会社にお世話になっていた経験から、アメリカの製造業とは如何なるものかを振り返ってみよう。

私はこれまでに常にアメリカを批判することを書き続けてきたと思っている。W社在職中に同社ジャパンの社長(言うまでもないがアメリカ人である)に「何故君はそこまで何事に就いても批判的ないしは否定的なのか」と尋ねられたことがあった。私の答えは「それは何事につけても常に追求し広範囲な知識を身に付けようと努めたので、長所以外にも短所というか欠陥まで見出してしまうからだ」だった。

私は合計22年半もアメリカの製造会社2社に勤務して、自分なりに「アメリカとは」を追い求めてきた。そしてアメリカが如何に優れた立派な国かは専門家やマスコミが余すところなく伝えてこられたので、私は誰も触れてこなかったその絢爛豪華なコインの裏側を語っていこうと考えただけのことなのだ。

アメリカの製造業や多くの研究機関の「研究開発」(=R&D)とその設備に費やす資金と人的資源は我が国のそれとは桁違いに大きく、そこから続々と新た研究の成果が発表され、常に世界の先端を走っているの疑いもないことであろう。

やや我田引水的になるかも知れないが、1975年にW社に転身して幹線道路5号線(Interstate-5=アイ・ファイヴ)を南下してその東側に見える豪華絢爛たる本社ビルの裏側にあるI-5からは見えない中央研究所(WTC)に案内されて、その規模と合理的な設備に驚かされた。そこには大袈裟に言えば紙パルプ・林産物産業関連の研究者が世界中から集められ、博士号(Ph.D.)を持つ者が圧倒的に多いのだった。

その内部はパーティションによる研究室が設けられていた。私が先ず驚かされたことはその当時で既に研究者たちは論文を各人の席にある電話機に向かって話しかけ、それを専門のタイピストたちが打ち出しているシステムになっていた点だった。さらに「何れはこのやり方を音声入力に切り替えてタイピストはなくしていく」と説明された。

研究室以外の実験室等の設備も凄いと思わせられたが、その当時で既に樹木の「クローニング」の研究が進んでいたのだった。ここでは "Tree Growing Company" のスローガン通りに "cone" (球果または松かさ)に始まる樹種の改良を始めとする木材のR&Dに大いなる力が注がれていた。その敷地面積は2,300~2,500坪くらいを思うが、地上2階に地下1階の構造だった。

私は何もW社の提灯を持とうというのではなく、アメリカの製造業の会社ではこれくらいの規模の設備投資と人材を投入するのは珍しいことではあるまいと言いたいだけだ。事の序でに触れておけば、WTCの各階の天井には超音波が流されていてしたから上がっていく如何なる音もそこで吸収する仕掛けになっているので、所内に入れば物音一つ聞こえないとでも言いたい静寂さが保たれ研究員の集中力を保つ工夫が為されているのだ。

思うに何もW社だけに限られたことではなく、アメリカに数多く存在する先端技術のメーカーではW社以上の規模で投資(ないしは先行投資)が行われているものと推定している。私はここまでには「アメリカの製造業には侮ってはならない世界最高の力があると考えている。繰り返すが、ここまでである。

因みに、マイクとソフト、アップル、グーグル等の会社は製造業の範疇にあるとは思えないが、R&Dには十分な投資を行っているだろう。だが、これらの会社は自社内での最終製品の生産活動は極めて少ないのではないか。これは考えようによっては賢明なことではないのか。

私は問題はこれほどの投資をして生み出した斬新な着想や基本的概念を如何にして具体的な生産活動というか商業化してこそ、初めてR&Dの成果が上がってくるのだと考えている。ここには繰り返して指摘してきた1974年7月に当時のUSTR代表のカーラ・ヒルズ大使が指摘された「初等教育の改善と識字率の向上」という問題があると認識している。

また、当時のFRBの議長・グリーン・スパン氏は”numeracy”(=一桁の足し算・引き算が出来るようにする教育)の強化を指摘されたとも聞いている。

これは大使が間接的な表現で「労働力の質に問題がある」と指摘されたと解釈している。ここには「職能別労働組合」の問題もあるが、アメリカには我が国には存在しない「一旦労働組合に所属した者が会社側に変わっていく(上がっていく?)ことは先ずないという文化の違い」と、法律で「少数民族の雇用」が義務づけられていることだ。この文化の違いはこれまでに何度も述べたので詳細は省くが、アメリカの会社側の管理職以上に現場で生産業務を経験した者は先ずいないと思って間違いないのだ。

またもや私自身の経験談であるが、組合員の意識改革をしなければ我が国の世界に冠たる厳しい品質の受け入れ基準の達成は不可能であり、そのためには組合員に如何にその点を理解し納得させていくかに事業部を挙げて腐心したものだった。「異な事を聞く」という顔をされた方は多いだろうが、このように会社側と組合とは分離された別組織なのである。

結論を言えば「品質の向上なくして対日輸出に重点指向する我が事業部の存続は危うくなり、君らの職の安全(job security)も同じ運命だ。君たちが奮い立って品質の向上に最善の努力をして貰うことが肝心なのだ。君らは今までも良くやってくれているが、我々の共通の目的のために君らのより一層の技術改善に期待する」と繰り返し説得したことの効果が現れて、世界の何処に出しても最高の評価を得た品質を達せしたのだった。

この成果のコインの裏側にあったことは「組合員の意識改革」なくしては折角世界に冠たるR&Dが産み出した最高水準の発想や基本概念が所期の目標通りの製品を作り出していけない結果に終わってしまうのだ。アメリカ(の自動車等)が世界の輸出市場で成果が上がっていないことの大きな原因がこの辺りにあるのだ。それは関税を撤廃させることや、自由貿易協定を締結することの埒外にあることではないのか。

我が国の製造業の文化にはアメリカのような悩みはなく、優れた労働力の質に基づいた世界に冠たる製造業が厳然として存在するではないか。私はアメリカを侮ってはならないという点には異論はないが、彼等の研究開発の能力と実力と生産現場の力が同じではないと認識しておくことも必要だと信じている。言うなれば「我が国はそれほど優れている」ということだ。

今朝のウンザリ

2015-07-24 08:19:31 | コラム
林修の「メジャー」と言う無神経さにウンザリ:

林修という「今でしょ」で売り出した予備校の講師だった人物は、方々のテレビに出ておられるようだ。結構なことだが、今朝のテレ朝で”major”をごく普通のカタカナ語で「メジャー」と言ってのけた無神経さにはウンザリさせられたと同時にその見識を疑った。何故私がそう言うかをご存じである方が多いことを切望するが、あれは断じて「メジャー」ではなく「メィジャー」と発音磯のようにカタカナ語かするべきなのだ。この点をこれまでに何度指摘したことか。

私はテレビに登場する有象無象や有識者や学識系経験者や国会議員等の中から一人くらいまともにカタカナ語の誤りを正そうとばかりに「メィジャー」でなければ「メージャー」程度には言って欲しいと秘かに、長年期待していた。林修は確か東大の法学部だったかのご出身で、常にテレビで国語でなければ漢字の解説をしている。その勢いでせめて”major”くらいは「カタカナ語は誤りで、私がこれを正す」くらいは言って欲しかった。

彼のみならず、私が不思議であり且つ遺憾に思うのはテレビに登場する上記の方々は皆誤ったカタカナ語を平然と使うことだ。皆は英語を少なくとも高校までは学ばれたはずである。例えば「メリット」(=merit)や「フリップ」(=flip)がおかしなカタカナ語だと一度でも疑ったことはないのかと訊いてみたいのだ。私はこれらが全て英語ではなく、カタカナを使っての造語であると解説してある、繰り返して。

念のために指摘しておけば”merit”はOxfordには”quality of being good and or deserving praise, reward or admiration”となっていて何処にも「メリット」に当たる意味は無い。ジーニアスには「長所、取り柄、賞賛に値する美点;日本語の「メリット」はadvantageに当たる」となっていて、カタカナ語の解説までしてくれている。これでも「メリット」を使う方の神経と学習の成果を疑う。

序でに何度も採り上げた「フリップ」もそのおかしさを指摘しておこう。国会でも議員諸賢は質問などの際に平気で「フリップを出して」などとお付きの議員に要求する。こんな程度の議員を選んだ方も恥を知るべきだ。あれは正しくは”flip chart”であって、”flip”は「めくる」であり、”chart”が目的語である束ねた紙のことだ。であるから、言いたければ「チャート」が正解に近いのである。「次ぎの“めくる”を」で意味を為すと思うのか。

私は不勉強だった議員他を責めるよりも、先ずは学校教育の英語とその先生方の見識を疑いたい。あれがおかしいと思わない英語の知識を授けたことをお考え願いたいのだ。次は何と言ってもカタカナ語を濫用するテレビ局の視聴者をミーハーの集団だと思って番組を作っている姿勢だ。最近のテレビを見ていて頂きたい。

私はこのままに推移すればやがて日本語はカタカナ語だらけになり、それを使いこなせないと時代遅れだと言われそうだと危惧する。視聴者に申し上げておくと「テレビを見ることのメリットはないのだよ。英語の勉強にも害になるのだぜ」と。

日米企業社会における文化比較論

2015-07-23 14:55:34 | コラム
私が文化比較論を語るようになった切っ掛けは:

私は1980年代半ば頃から日本でもアメリカでも相互に文化(ある特定のグループなり集団なりの言語・風俗・習慣・思考体系を指す)に正反対と言っても良いほどの大きな相違がありながら、その事実をほとんど認識していないことに限りない不安を感じ始めていました。その一部は既に我が国でも「逆さの文化」=”reversed culture”等と揶揄するかの如き表現が存在していたのも事実でした。

それはビジネスの世界では自国だけの考えで相手国を押していくという恰も「目隠ししてボクシングをしている」かのような不毛な取引であり、話し合いであり、交渉を繰り返し、時間とエネルギーの浪費を続けている事を見聞きするにつけても、この流れを何処かで止める為にも相互理解を推進する必要があと認識し始めました。しかも我が国では何故か「アメリカ人は国際人で我が国は・・・」等と無用で自虐的な考え方が蔓延っていました。

私はこのような風潮は打破するべきだと真剣に考えました。このような状況下では、アメリカ側は日本市場に進出を試みては失敗を続け「買わない日本が間違っている」と唾を吐いて撤退するような所業を続けました。私はこれを当時はアメリカ側が雇う日本人社員の文化の違いに対する認識不足で本社を正しくリード出来ていないことが原因だとも見ていました。

そこで、ここに「大いに問題がある」と我がW社本社の事業本部長にも指摘していました。同時に解ってきたことがありました。それは、何人もの外国の製紙会社の日本支社の代表者が「アメリカ人は英語ができれば有能だと思い込んで、市場と文化の違いを弁える能力に疑問の余地がある日本人を信じ込んでしまうので・・・・」と慨嘆していたのです。

そこで私は意図的にこの「日米企業社会における文化と思考体系の相違点」を研究し始めました。その頃リタイヤー後にシアトルで大学院大学の教授に就任した学者肌の人に言われた「自国の文化を知らずして他国の文化は語れない」が大いに参考になりました。そして、1990年4月に15年勤続で本社で表彰されることになった際に、副社長兼事業部長に「是非とも文化の違い論のプリゼンテーションを部員全員を集めてやらせて欲しい」と訴えて実現しました。

原稿は入念に練り上げて、製材品の東京駐在のアメリカ人のマネージャーにも意見を求め、丁度90分間のドラフトになりました。彼の助言で最も有り難かった点は「日本人の社員は得意先の代弁をする傾向がある。これが大きな誤りで彼らは本部の意向を得意先に伝えて承認させるのが仕事だと言って起こる者が本社には多い。これが誤認識で得意先の主張に耳を傾けて初めて日本市場を理解出来るのだ」でした。即ち、これが文化の違いの最も重要なポイントの一つだったのです。

お陰様でこのプリゼンテーションは大成功で、ワシントン州南部の工場では2~3度繰りかえして語る機会があったほどでした。また社外の日本文化に関心がある人たちにも語りましたし、Bellevue Community Collegeでも生涯学習部の部長教授にも進講しました。今にして思えば、当時ではそれほど斬新な分析であったのです。

その後W社を引退した後では紙パルプ連合会の広報誌にも光栄なことに、少し異なった表現で三部作で連載される機会も与えられました。また、幾つかの大学でも私独自の英語論と勉強法とともに、この私流比較文化論を語る場を与えられるまでになりました。その後出会う機会があった生涯最高の上司だった副社長には”Cultural difference specialist”だと揶揄されたほどでした。

私は在職中に彼に向かっては「日米間の企業社会の間には文化の違いというデコボコ道がある。そこを自分の努力でボスは恰も平坦な道を歩いているのだと思うほど綺麗に均すのが私の仕事だ」と言っていました。「その責務を果たすことが出来ない日本人社員を雇ってしまった企業は成功が覚束ないのだ」乃至は「我が社ほどの、我が事業部ほどの成功は難しい」とも言って良いと確信しております。

実は1994年に東京都の中央区と千代田区の大手紙商の社長さんたちの任意の組織でも、より具体的に紙パルプ業界における文化の違い論を語って、当時大変な脅威の如くに見なされていた輸入紙を「恐るるに足らず」と解説しました。(この根拠は機会があれば別途解説しますが、担当だった私が言うことです)

最後に私は未だに日米相互にこの「文化の違い」を完全に理解しきっていないのではないかと密かに憂いています。と言うのも、その理解の為の有効な手段であるはずの英語が、我が国では未だに「科学としての英語」の域に止まり、”English”の域に達し切れていない有様ですから。