新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月28日 その2 再び「日米安保条約破棄の件」について

2019-06-28 14:49:35 | コラム
トランプ大統領の真意は何処に:

私は不勉強にして日米安保の条文を読んでいませんが、嘗て21世紀パラダイム研究会で講演された富沢元幕僚長が「安保条約には日本が他国に襲撃された場合には先ず自衛隊が出動し、アメリカ軍が出ていくのはその後の事と書いてある」と言われたのを信じております。それが正しければ、トランプ候補の頃からトランプ氏は安保条約の全文を読まれた上で片務条約(one-sided treaty)だと主張されたのかという疑問を生じます。

私は自分の「矢張りアメリカ人はそう考えて決断するのか」と再認識させられた辛い経験や(具体的にいえと言われれば語りますが、忘れてしまいたいほど厳しい人事問題でした)、経営者がいともアッサリと有能な幹部と雖も馘首する等のアメリカ式人事(決断)を目の当たりにしてきました。

また、何度か繰り返し採り上げたヘンリー・フォード二世が社長のアイアコッカ氏を突然切り、返す刀でアイアコッカ氏の腹心の副社長に電話で解雇を告げた際に理由を訊かれて“I don’t like you.”と言ったという有名な話も、アイアコッカ氏の自伝で読んで「そういうこともあるのだ」とあらためて知りました。

そういうアメリカ式の酷薄さというか決断の早さと厳しさを見てきた者としては、昨年の前半にアメリカの政財界の事情に精通した某社の元副社長と語り合った際に「トランプ大統領は如何に信用して依存してきたとは申せ、何時か何処かで安倍晋三氏を捨てる時が来るのではないかと思わせられる」という点で意見が一致しました。

誤解なきよう申し上げておきますが、これは「アメリカの経営者やトップに立っている人は」という事で、トランプ大統領にもそういう懸念なきにしもあらずだと語り合ったという意味です。そういう危険性を危惧はしますが、現時点では多くの専門家が指摘されるように、トランプ大統領の大部分の言動は「再選」に向けられていると聞けば「もしかしてブラフだったかな」とも解釈出来ます。

以上はアメリカの支配階層の人たちの中での経験から私が密かに懸念している事であり、「そういうものの考え方もあるか」という程度に軽く読み流して頂きたいと思います。私は以前にも申し上げたように「トランプ大統領を評価するのは4年の任期を終えて、どれほどの成果を挙げられたかが明らかになるまで保留し、その間には好ましくないと思うことだけを論じていく心算」であります。宜しくご理解の程を。

私が何時も述べているアメリカの支配階層の人たちが経営し運営する会社に勤務していた経験から、子供の頃から接してきた如何なるアメリカ人とも、(紙パルプ産業界の)エリートたちとも余りにも異なるトランプ大統領には好感が持てないのです。

私の中学から高校の同期生の知人にアメリカで大学を終えられてから数社の銀行に勤務され後に市民権を取られて、フロリダ州で引退生活を送っておられるアメリカの事情に私如きが遠く及ばない経験と知識をお持ちの方のトランプ大統領の内政面での評価は極めて高いのです。という事は一部の専門家が指摘されるように「トランプ大統領の支持層がインテリ階層にも広まっている」という証拠でしょうか。

しかしながら、W社の元の上司や同僚にトランプ大統領の支持者は皆無と言っても良いでしょう。また、ニューヨークに住むかなり名が知られるようになったエコミストの某氏(勿論日本人です)はトランプ氏と付き合いがあるそうですが、立候補された頃には「トランプ氏と交際がある」とか「トランプ氏は良い人だ」などと迂闊に言おうものなら、後ろからでも刺されはしないかと恐怖を感じたと言っていたと間接に聞きました。

私は繰り返してトランプ大統領はunpredictableであると言ってきましたが、あれほど大声で言わば大言壮語されるのは正体の裏返しで「本当は小心で神経質であり、それを意識する余り隠そうとしておられるのでは」と見ています。これも再三述べてきた事で「石原慎太郎君の大言壮語は、彼は気が小さい青白き秀才だから」という事と同じかと疑います。

私は22年以上もアメリカの会社で彼らの為に(勿論自分自身のjob securityでもありますが)彼らの思想信条と哲学と経営理念と道徳と倫理観の下に懸命に働いてきた経験に基づいてアメリカを語っているのですが、遺憾ながら我が国においては容易に万人受けしないのが残念なのです。

トランプ大統領「日米安保条約破棄」言及に思う

2019-06-28 07:59:25 | コラム
「大義親ゾーを滅す」とならねば良いのがだ:

アメリカ問題の専門家や大学教授の方々のご意見を承っていると、「トランプ大統領がTwitterで表明される極端ではないかというご意見や、何処の誰が何と言おうとFTAに指向され、中国や我が国等との貿易赤字解消に手段を選ばないかの如き手法は、全て『来たるべき大統領選挙での再選に向かってのこと』である」と解釈出来る。これまでの所では我が国による貿易赤字解消の手段としては“millions of”と言い続けられる日本車の輸入(実際は170万台程度で現地生産が700万台だ)を制限しようと言う程度の、誤認識かご記憶違いの圧力程度に収まっていた。

だが、この度Bloombergに漏らしたと報じられている日米安保条約破棄の件は、トランプ氏が駐留軍の経費負担増の要求と共に選挙期間中からも唱えていたことでもあるし、30年も前から不満だと指摘しておられた事だそうである。このお考えが何処まで本気であるかは、もとより私などに解る訳はないが、本28日に開催される安倍総理との首脳会談に提議されるかも知れないという危惧を表明する専門家と、否定的な方と二派に別れていた。この辺りにもトランプ氏独特の“unpredictable”なところがあるのが怖いと思う。

私は「アメリカに押しつけられた憲法を未だに墨守して“第九条、第九条”と喚き続ける輩がいるような状態では、安保に頼らざるを得ない状況を如何ともしがたい」とは思うが、菅官房長官は「決してトランプ大統領が言われるような片務性はない」と否定しておられた。だが、私はその為に集団的自衛権の発動があるのではなかったと思っている。私は森本元防衛大臣が苦笑いをしながらTBSで語っておられた「大学時代の思い込みに未だに執着しておられるのではないか」というのも一理あるかと思うが、トランプ大統領がアメリカ対全世界の事情に精通しておられるのかなと言う疑問を未だに持っている。

私はトランプ大統領の就任前から「この方は何もかもご承知でありながら、知らん顔で振る舞っておられるのか。あるいは本当はご存じない事が多いのではないのかが解らない」と言い続けてきたが、W社ジャパンの代表者だった私などよりも遙かにアメリカの政財界と文化の相違点等の事情に精通された90歳の長老が「俺でも、トランプは本当に知っているのか、知らないのかが判断出来なくて弱っているのだ」と述懐されていたほど、解り難い方なのだ。

私はトランプ大統領が中国からの輸入品に25%の関税をかけると決められた後で「その分は中国が払う」と明言されたかと思えば、「関税分の現金が財務当局にドンドン入ってきている」と言われた辺りに「この方は貿易の実務の経験がないので、こういう面の事はご存じではないようだ」と思わせられた。しかし、「そんな事まで知り尽くしていなくとも、大統領の職は十分に務まっているではないか」と何処かから反論されそうだ。

この長老も私もW社8代目のCEO・ジョージがブッシュ(父)大統領とYaleの同級生だった事もあって共和党支持の会社に在籍していた訳だが、本社所在地が反トランプのワシントン州にある事とは別問題で、同僚にも知人にもトランプ大統領に対しては、その実績をある程度は認識していても嫌っている者が多く、私も遙か遠い日本にいてもその一人なのである。

一昨26日のTBSの「報道1930」に出演された木村太郎氏はトランプ大統領のの当選を言い当てた実績を引っ提げて「トランプ大統領は再選される」と予想された。トランプ大統領が再選を目指しておられる以上、日米安保条約破棄への言及もその為のキャンペーンの一つかも知れないと思ってしまう。安倍総理が今日の会談で如何に対応されるかを固唾を呑んで待っている他ないだろう。でも、「アメリカファースト」であり「再選ファースト」であれば「再選の大義親ゾーを滅す」の危険性は皆無なのだろうか。私の考え過ぎであって欲しい事案だ。


先輩対後輩の間柄(年長者を敬う)

2019-06-27 14:16:28 | コラム
年齢を基準に物事を考えると:

「先輩対後輩の間柄」とは異なる話題になるかも知れないが、サッカー界では出身大学が異なっても学年が上の人に対しては当然敬語を使うし、下の人を「君」で呼んでいるのだった。今となっては先輩・後輩の関係を嫌う私でもサッカー界の習慣に従って、余所の大学のサッカー部出身の財界人OBの某氏は3学年下なので「君付け」にしていたし、未だにそれで通している。だが、昨年久しぶりに会った時に彼を「君」と呼んで、何となく失礼ではないかと気が咎めた感があったりしたものだった。

私が未だ母校のサッカー部の非公式なコーチをしていた頃に、全日本代表が練習するグラウンドがないからと、あの砂埃が舞い立つ四谷のお堀のグラウンドを借りにきたことがあった。昭和30年代の全日本はこういう何となく寂しい存在だったことなど、現在では想像も出来ないだろう。その中に弟の慶応の下級生だった選手が2名いて、何を差し置いても(私の好みではない表現だが)先輩である私に挨拶に来て、我がサッカー部の学生たちは「コーチが如何に偉いのか」を知らしめたのだった。私はこういう先輩・後輩関係は尊重しても、決して好みではないのだ。

それは、既に述べたことで、私が先輩対後輩の間柄を尊ばないようになったのは、年齢や性別による差別というが区別をしていないアメリカのビジネスの世界に20年以上も在籍して、そのアメリカ文化の方が私には居心地が良かったからに他ならない。だからこそ、我が国独特の文化であり習慣である年功序列であり、年長者を先輩として敬う世界というか仕組みに今更戻って行きたくはないと思うようになったのだ。アメリカは「実力の世界」の如くに考えておられる向きもあるだろうが、必ずしもその通りではないのが実態で、この件は別の機会に解説する。

あの神奈川県下を大騒ぎさせた逃亡犯の小林誠が神奈川県下で泊まり歩けていたのは、泊めた者たちが「先輩の要請を断り切れなかった」と報じていた。私はアメリカの影響もあって「自分とは異なる分野で十分に活躍して実績を挙げておられる方が、仮令私よりも年下であっても私は先輩面をするべきではない」と思っている。解りやすく言えば、我が国の伝統である「先輩対後輩の間柄」をこの期に及んで、自分から尊重しようとは思っていないということ。


先輩対後輩の間柄

2019-06-27 08:54:15 | コラム
我が国独特の文化というか美風かも知れない:

テレビ報道によれば、昨26日に採り上げた吉本興業所属の者たちで反社会的勢力の宴会に闇営業とやらで出演したのは輩の中には「先輩の誘いを断ることが出来なかった為」という言い訳をして者がいるとかである。確かにテレビだけでしか知り得ない事だが、彼らは「先輩は後輩の面倒を見るべき存在であり、その時の状況によって先輩が食事代や飲み代を負担するものである」と常に言っているようである。思うに「芸人とテレビタレントの世界にはそういう風習があり、後輩は先輩の言うことに何をさて措いても従うべきである」という基準があるようなのだ。

私は彼らの世界の文化には全く関心がないので、「先輩」と「後輩」がどのように定義されているかは知らない。年齢なのか、あの世界に入った年次を指すのか不明であるという意味。間違ったらご免なさいだが、プロ野球の世界では「生まれ年」で決まるようで、高卒で入った者と4年後に大卒で入団した同い年の者は対等であると聞いた記憶がある。私はそのような厳密な文化?(決め事)がある訳ではない湘南中学から高校までの間のサッカー部では学年が基準になっていたし、それが長幼の序が存在する我が国では普通のことだと思っていた。

私が今回の騒動を見ていて思うことは、彼ら芸人の世界では我が国独特の文化であり風俗・習慣であり、年長者を敬うというのは美徳でもあるのだろう。だが、「先輩。後輩」という間柄が価値判断の絶対的な基準になっていることがあの闇営業をもたらす原因にもなっていたのであれば、決して美しいことでも何でもないとしか思えないのだ。。私も運動部の世界で育っては来たが、1972年からはアメリカの会社に転じ、そこは年齢も経験年数が地位や偉さや物事を決める基準にはなっていないと知ったのだった。

即ち、何処の企業に行っても同じだとは思うが、少なくとも我が事業部内では副社長兼本部長の下に部員全員が横一線であり、そこには先輩や後輩とかいう基準は一切存在していなかった異文化の世界だった。現実的には、私が生涯最高の上司と敬っていた副社長兼事業本部長は10歳年下だったが、とても太刀打ちしようとも思ったことない凄い能力の持ち主で、前歴が地方の工場の会計係であったにも拘わらず、何時の間に学習したのかと驚倒させられたほど技術的な面では博士号を持つ技術者たちと対等にマシン操業の技術論を交わすほどの知識を蓄えていた。

要するに、彼には黙って従っていくしかなかったほどの明晰な頭脳の持ち主である優れた経営者だったのだ。同じ事業部内の同僚も私よりも年下の者ばかりだったが、彼らと私の間も、全員も皆対等な間柄であって「先輩、後輩」という基準乃至は関係は全く存在しなかった。ましてや、全員が中途入社だから年齢は何の基準にもなり得なかったのは当然のこと。故に、私にとっては「先輩対後輩」という関係が尊重される我が国の文化圏を離れたことは、結果的に私の為には良かったのだと考えている。

言い換えれば、アメリカとは年齢と入社年次による「先輩と後輩」という束縛がないで世界だということ。あの未だにテレビ局が採り上げて騒いでいる闇営業騒動について何が言いたかったのかと言えば、彼らが「先輩芸人に誘われたから、宴会に参加するしかなかった」という事態を、一般の常識的な世界に住む人たちに何処まで解って貰えるのかという疑問である。私はテレビ局が採り上げて騒いでいるのは、彼らの仲間内の価値の基準に根ざした彼らの世界の中での騒動だからではないのか」と解釈している。一般の社会の常識人は放っておけば良いことではないか。


6月26日 その2 「闇営業」と「直」を考える

2019-06-26 13:47:19 | コラム
国内に存在する異文化圏内の出来事:

吉本興業所属の芸人たちが反社会的勢力の宴会に、会社というか事務所に届け出ることなく出演して料金まで貰っていたことを、各テレビ局は恰も天下の一大事の如くに採り上げて、所謂専門家を呼んで色々と解説させたり論評させたりしているのを、私はどちらかと言えば「奇観」であると思って見ている。

当方はもう半世紀ほど「NHKを始めとしてあらゆる報道機関が相撲をスポーツ扱いしているのは誤りである。あれは一般人が住む世界とは異なる文化(ある特定の集団の言語・風俗・習慣・思考体系を指す)の下に暮らしている人たちである。故に、一般社会の常識に照らして何らかの批判や論評をするのは不当である」と主張し続けてきた。ご記憶の方がおられれば幸甚だが、私のこの持論は嘗ては某局の運動部長だった方から教え諭されて唱え始めたことだったのである。解りやすく言えば、「一般社会の物差しで相撲界を測るな」ということ。

今回は13人もの芸人たちが5年も前にとった非常識とも言える行動が写真週刊誌が暴いたことによって、各テレビ局が一斉に報じ出したのである。そういう報道とというかニュースショーのような番組を全部見た訳でもないが、司会の役を務めている者どもの発言と言い、その道の専門家たちの論評と言い、一聴芸人たちに「同情の余地無し」的な批判的な表現を採っている。だが、私が聞く限りでは、底流を流れているものは飽くまでも同業者に理解を示し、残念なことをした「相談してくれれば阻止してやったのに」と言いたげだった。

テレビ局とて同じ事で、彼らも具体的にそう表現しないだけで、お仲間の不慮の過ちを悔やんでいるとしか聞こえない優しさがあったと聞こえた。テレビ局の番組制作の狙うところは、既に彼ら自身が認めているように「知識階級を対象にして番組を創っていない」そうだから、仲間内の重大事として懸命に報じているのだと解釈している。その辺りはNHKが相撲をあれほど大事にして中継放送しているのと同じ感覚なのだと、私は看做している。即ち、芸人たちはテレビ局にとってはお目当ての層を目指す番組作りには重要な要因たちなのだ。

即ち、テレビ局が今日のように蔓延ってしまう世の中にあっては、芸人というかタレントたちは何時の間にやら彼らの仲間内だけの独特の文化圏を、言うなれば江戸時代からの歴史と伝統に輝く相撲界のように、形成してしまったのだと私は見ている。そこにはその階層独特の倫理観というか道徳までもが確立されているようなのである。バイキングとやらを司会する坂上忍は宮迫博之が加わっていたことを捉えて「(彼ほどの主演の番組を抱えていながら、高収入がありながら)直(闇営業と同義語)をやったのか」と嘆いて見せた。

私が言いたいことは「芸人とテレビタレントという集団が既に独自の文化圏を成立させてしまった以上、一般社会の常識を以て今回暴かれてしまった事務所の許可を得ていなかった『闇営業』を何のかのと言って批判したり非難することの意義は極めて薄い」という点だ。即ち、テレビという媒体が何時の間にか、こういう独自の文化圏を創り上げる手助けをしてしまったのだと考えれば、解りやすいと思う。私はこの件に関して論評する意義は余りないとは思ってきたが、「異文化圏内の出来事と論じることには多少意味があるか」と考えた次第。

換言すれば、そういう文化圏の他に一般の社会人が暮らす文化の世界があり、我々と言うか私はそこに永年居住しているのだと言えば良いのだと考えている。