新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月24日 その2 今回は我が国の問題点を

2022-02-24 15:57:59 | コラム
岸田文雄内閣総理大臣が直面する諸問題:

これまでに何度か岸田文雄内閣総理大臣を語ってみようかとは考えて見たが、どう批判しようと思って見ても捉まえどころがないというか、何処から入っていけば良いのかが見つからずに先送りしてきた。思いつくことと言えば、菅前首相が「岸田には出来ないよ」と岸田氏では総理大臣の職は無理だろうと言われた事を、何処だったか週刊誌が報じたことか、自民党内部でも「あの何が言いたいのかサッパリ焦点が定まっていない演説ぶりでは」と貶されていたという話くらいだった。

岸田総理も就任後早くも4ヶ月にもなるのだが、野党は兎も角反政府のはずのマスコミが意外に貶していないし、そう頻繁に揚げ足を取る傾向も見えないのだ。尤も、何か方針を打ち出しても批判されるや否や一夜にして改訂してしまうとか、ワクチン接種の3回目がもたついているとの声が上がれば、早速1日100万回指令を出すなど後手と言うよりも、何事につけても確固たる方針が定まっていない等々は不安材料だ。

そこにYouTubeの「高橋洋一チャンネル」で人気が高いと聞く、高橋洋一嘉悦大学教授(元は大蔵省ご出身)が新著「岸田首相の新しい資本主義で無理心中させられる日本経済」を宝島社から上梓された。それについての経済学者・田中秀臣氏の書評が週刊新潮に載っていた。書評だけ読んで「なるほど、流石に高橋氏だけあって岸田総理の問題点を鋭く指摘してあるな」と感心した。

田中秀臣氏の読後感は「岸田政権のグダグダで方針のハッキリしない政策を徹底的に批判する快著だ。ワイドショーなどマスコミでは、岸田政権への批判の声は聴かない。例えば新型コロナワクチン追加接種は先進国でダントツで遅れている。慌てて「一日100万回接種」を打ち出すが、オミクロン株は猛烈に拡大し、既に手遅れだ。(中略)」から始まっている。

締めくくりは「新しい資本主義という具体的な中身に乏しい経済政策のビジョンや中国びいきのスタンスをみると、岸田政権は過去の民主党政権に近い。このままでは悲惨な結果を日本経済にもたらしかねない。本書のメッセージは実に鮮明だ。」となっている。

そう言われて見れば、その通りなのかも知れないが、発足して半年にも満たない岸田政権である。ここで酷評して覚醒して奮起して貰うことも必要だろう。だが、我が国は何処かの国に押しつけられたと雖も、橋本徹氏も言う何かと手数がかかる民主主義を信奉する国であるから、仕方がない面もあるのでは。岸田政権は今や眼前にウクライナ問題と、それに対応すべき西側諸国との連携という重大な問題を抱えてしまった。経済政策だけではなく、外交方針の面でも悲惨な結末に至らないように最善の努力を期待したいのだ。


偶には天下国家の問題にも触れてみようか

2022-02-24 08:54:50 | コラム
私にはそういう器量はないと承知の上で触れてみよう:

*ロシアとウクライナの問題:
私はウラジーミル・プーテインという、元はと言えばKGBの所属だった方は、良くも悪くも希代の知恵者の一人ではないかと思っている。その知恵者がウクライナを手に入れようと意図して行動を開始したようだが、アメリカを先頭に西側の非専制国家の非難と批判に曝されて、どのような手を打ってくるのかなという程度の関心で、彼の動きを見ていた。

こういうことには全く何らの知識が無い者としては「まさか、単純に国境に並べた軍隊を動かすのではあるまい」なと「まさか、本気で戦闘を挑んだら如何なる結果になるかくらいは百も承知だろうな」くらいしか考えられず、彼が打つだろう次の手次第では、けして「対岸の火事」では収まらないだろうと危惧していた。恐らく、彼は彼よりも遙かに専制主義政治の権化である習近平主席とは手を結んであるだろうと見えるのも薄気味悪いのだ。

そこで、プーテインさんが打ってきた手といえば「ウクライナ東部の親ロシア派地区の自称「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」を承認し、そこに安全保障の為にロシア軍を派遣しよう」との作戦だった。私はnaïveに「流石は元KGBだ。そういう手もあったのだ」と感心していた。だが、事態は決して傍観者が感心などしている暇などないので、EUかNATOか知らないが、ロシアからの天然ガスの供給に依存しているドイツなどは困難な立場に追い込まれかねないなと思わせられた。

ここから先は「これから先に何が起きるのか」などを無駄に予想などせずに、自由と民主主義と資本主義の旗の下にある諸国が如何に知恵を絞って「経済的制裁」以外の手法で対抗していくかと、固唾を呑んで見守っていくしかないと考えている。

なお、余計なことだと承知で言うが、「プーチン」ではなく「プーテイン」と表記したのは、ロシア語は兎も角、アルファベット表記ではVladimir Putinとなっているからだ。Putinならば「プーチン」とする気はない。また、Ukraineを何故「ウクライネ」ではなくて「ウクライナ」にしたのだろうかと不思議に思っている。英語読みは「ユークレイン」である。

*アメリカの出方:
ドナルド・トランプ前大統領が退任されて以来、アメリカは静かになってしまったように感じている。それは、バイデン大統領は何かにつけて事を荒立てないように仕向けておられたからだと思う。だが、それを良いことにしたのか、習近平主席は益々増長してやりたい放題であり、プーテイン大統領も当たり前のように我が道を行こうと動き出した。

私はこの事態を「バイデン大統領対習近平主席の知恵比べ」であると同時に「バイデン大統領対プーテイン大統領と習近平主席のダブルテイーム」との知恵比べの様相を呈してきたと見ている。私はトランプ前大統領の頃には、トランプ氏の豊かすぎる個性対習近平主席と、対プーテイン大統領の個性のぶつかり合いであり、トランプ氏は一歩も引かずに直接とTwitterを駆使する間接法で挑んでおられたと見ていた。だが、バイデン大統領には遺憾ながらトランプ氏のような個性もないようだし、持っておられるだろう知恵も未だ披露されていない。

私は単純に民主党政権が我が国にとって“bad news”であり、過剰な期待は持てないと言ってきた。しかも、オバマ政権は「世界の警察であることを止める」とまで言明してしまっていた。そのオバマ氏と同じ民主党から出てこられたのがバイデン大統領なのである。私は「お手並み拝見」などと悠長なことをいって期待していることなど許されないと思うほど、危機感を抱いている。

言いたい事は、我が国は「アメリカが自国以外のことまで構っていられるか」との事態に立ち至った時の備えをしておくべしなのだ。だが、国会議員の中には憲法改正反対を唱えている輩が未だにいるのは、とんでもない事ではないのだろうか。私には「平和ボケ」などと偉そうなことを言う気はない。そういう議員を選んだのが、我々国民なのだから。故石原慎太郎君は言ったじゃないか「進駐軍は日本及び日本人を骨に気にしようとした」と。その意味をもう一度考えて見る必要があるのが困るのだ。


何故「白人崇拝」から脱却せよと言うのか

2022-02-23 09:54:07 | コラム
「天は人の上に人を作らず」と言われていたではないか:

私は福沢諭吉氏が示されたように我々が外国人、就中白人たちに劣っているとは思っていない。戦後の進駐軍に我が国と日本人を骨抜きにしようとした時代から今日まで生きながらえて来た者としては、同期の英雄故石原慎太郎君ならずとも、彼らの悪巧みに何時まで振り回されているのかと言いたくなる。あの頃はアメリカを中心とする進駐軍に「日本は悪であり、誤った戦争を引き起こした事(罪)を反省して出直すべしと、朝な夕なに聞かされていたし、それに同調して提灯を持っていた新聞があった。

私は「その反省せよ。懺悔せよ」という戯言を繰り返して刷り込まれれば、何時の間にか「白人こそが優れた民族であり、劣等な我々は彼らを怖れ敬うべし」と考えるようになって行ったのだったと考えている。その端的なというか何というか知らないが、未だに地方に行けば、白人を遇する際に「外人さん」などと、何処の馬の骨かも解らない者に対してまでも畏敬の念を見せて「さん」付けで呼ぶ習慣が残っているのだ。こういう謙譲の精神は我が国独得の美徳だが、私には掲題の福沢諭吉氏の至言に基づいて行動するのが当たり前だとしか思えないのだ。

私は、ここは特にマスメディアに属する人たちに言えることだと考えているが、彼らは21世紀の今日でも学問、文芸、映画演劇・歌舞音曲、産業(ビジネス)、スポーツ等々における世界の舞台に我が同胞が進出しただけでも欣喜雀躍し、まして何らかの賞を獲得すると、我が事の如く喜びまくるのだ。彼らの言うことを聞いていると「国内で優れた実績を残した業績よりも、優れた人たちが構成している海外で認められたこと」を有り難がる傾向があるのだ。誤解と誤認識以外の何物でもない。

私にはこれが「彼ら白人の世界が我が国よりも上位にあり、我が国の者たちは海外で認められねば一流ではない」と言っているとしか思えないのだ。私は20年以上も彼らの世界で過ごして、本当に「我々が如何に頑張っても勝てないな」と諦めたような優れた者たちは、精々全体の5%だろうと思うに至っている。我が国にはその支配階層にいる者たちに勝るとも劣らない人たちは幾らでもおられるのだ。但し、マスメディアの連中の目には霞がかかっているので、そこまで見通せないだけだと思っている。言わば彼らの至らざる点であり、敢えて言えば偏見だ。

ここは、長い年月アメリカの、それも支配階層にある人たちが経営する会社に勤務して、その経営者たちにも普通に接してきたから言えることで「確かに彼ら支配階層の人たちは非常に優秀だが、彼ら以外の実務を担当している圧倒的多数の者たちまでが優れている訳ではない」のだ。我々日本人の中には、その白人が構成する世界に入っていったことを、恰も大躍進か国際場裏に認められたと喜ぶ時代はとっくに終わっていると認識すべきだ。

アメリカの企業社会を取り上げて論じてみれば、「アメリカではその選ばれし類い希なる能力者で学業成績も優秀だった者、即ち全体の1%の者たちが残る99%の凡庸な者たちの上に君臨し、引率していくのだ。そこにある恐ろしさは、その1%を代表する優れ者が失敗すると99%も共倒れになってしまう」世界なのだ。しかも、その1%の支配階層は須く白人の世界であり、滅多なことでは少数民族の出身者が入って行ける世界ではないのだ。

私は長い間ビジネスの世界だけで過ごしたので、それ以外の分野がどのようになっているかまで云々出来ない。だが、少しだけ言えることは「別の世界に於ける成功者や巨万の富(今や巨兆の富と言うべきか)を築いた者たち(例えばMLBやNFLの選手たち)の英語を聞いていると、とても知識階級のお仲間入りは叶わなかったのでは」なのだ。余談だが、フィギュアスケートのネイサンチェン(Nathan Chen)のインタビューが聞こえたが“you know”の連発だった。と言うことは「・・・」なのだ・

少し回りくどい言い方になったかと反省するが、強調したかったことは「何時までも、彼ら欧米人が構成する白人の世界に入って行けたと言って喜んでいるのか」なのだ。即ち「我が日本人は決して彼らの下流にあるのではないと正しく認識せよ」なのだ。より具体的な例を挙げれば「我が国で買い物に行って釣り銭を下から逆に上に上がっていくような計算しか出来ない販売員がいるかであり、ホテルや空港のチェックインの手続きに長時間待たされるか」なのだ。

換言すれば「我が国のように優れた初等教育に始まってと言うか、そのお陰で労働力の質が均一で高い国は他にはないと認識せよ」なので。アメリカのように労働組合が会社の機構(組織)とは全く法律的にも別個な存在であれば、労働力の質が低くならざるを得ないのだ。この件の詳説は避けるが、嘗てUSTRのカーラ・ヒルズ大使は「アメリカが対日輸出を増やす為には、初等教育の充実と識字率の向上が必須である」と認められたのは1994年だった。この問題点は21世紀の今日でも未解決のままだ。

それと比較すれば「一般論としての我が国の教育程度が高く、差別もなく、格差社会でもない」と断言出来るのだ。私は22年以上もアメリカ製品を我が国に向けて輸出してきて「我が国の品質管理と製造現場の質がどれほど高いか」をイヤと言うほど認識してきた。アメリカの自動車産業界が未だに我が国に(トランプ前大統領が見当違いの苦情を我が国に申し立てられても)受け入れられていないのは、ひとえにUAW(全米自動車労働組合)の構成員の労働力の質が低いからに他ならない。

私は20年以上もそのアメリカの職能別労働組合員たちに接する機会を与えられて(こういう経験をした我が国のビジネスマンが何人おられただろうか)、英語もろくに通じない人たちに「君等がもう一歩努力して品質向上の為の努力を重ねて貰えば、我が社の優れた品質が日本市場での#1の占有率の会社となって業績が向上し、君等の“job security”が盤石になるのだ」と説き聞かせてきた。重ねて申し上げておくと「英語がろくに解らない少数民族もいるのが、アメリカの労働組合」なのだ。彼らにも解るように説明する必要があったのだ。

何処かの著名な評論家は「我が国は安保条約で守られ、アメリカの核の傘の庇護の下にある弱い国である。その保護されている国の者がアメリカ大統領を批判するのは許されざる所業だ」と決めつけられた。では伺いますが「貴方様はアメリカ人の社会で暮らし、上は支配階層と交流し、下では労働組合員たちまでとも語り合ったことがおありですか」なのだ。私はヨーロッパの人たちとの交流は限られていたが、基本的には同じ白人であれば大きな相違点はなかったと認識している。

このように旧制中学の頃からアメリカ人と交流があり、偶然の縁もあってアメリカの紙パルプ林産物産業界を代表するような2社での経験を基にして「我が国は如何なる意味でもアメリカやヨーロッパの先進諸国に劣ることはない」と確信するようになったから言うのだ「もう我が国は意義なき白人崇拝から脱却すべき時だ。自国に誇りと自信を持とう」と。でも、海外に出た時の英語力だけはねー・・・。


我が国は「外国と外国人」をより正確且つ深く認識する必要がある

2022-02-22 09:26:52 | コラム
白人崇拝からもう好い加減に脱却しても良い時ではないか:

アメリカには白人至上主義(White supremacy)とやらがあるそうだが、私は我が国には白人崇拝(主義とまでは言わないが)が未だに深く根付いているようなのが残念でならないのだ。こんな事を言えば「何を言うか。このアメリカかぶれ奴」と反発されそうだが、何故こういうことを言うかを述べていこうと思う。

導入部:
私は「我が国とアメリカとの間に存在する文化と思考体系の違い」を語る時には、何度か「アメリカ人とその会社の中に入って、文化と思考体系の相違点をハッキリと理解出来て、それを皆の前で発表出来るようになるまでに10年以上を要した」と回顧してあった。

敢えて偉そうなことを言うのをご理解願えば、「戦後間もなくからアメリカ人に接してきた私の英語力を以てしても、10年の歳月を必要とした」のだった。念の為に確認しておくと、私は単身でアメリカの大手の紙パルプ林産物会社の事業部に入っていったのだった。周囲というか上司も同僚も全てアメリカ人なのだ。敢えて言うが、駐在したのでも留学したのでもなく、飽くまでも外国人でありながら、彼らの一員として勤務することになったのだ。

これも敢えて言うが、メーカー、商社、マスメディア等の企業が派遣される駐在員とは全く異なる存在なのだ。我が国には数多くの優れた駐在の記者の方々や、海外出の取材経験が豊富なジャーナリストがおられると承知している。だが、その方々が見聞され経験されたアメリカとは違って、言わば私はインサイダーだったのだ。簡単に言えば「インサイダーなるが故に、視点も異なるし、持っている情報の質が異なる」のである。駐在された方は「外側からご覧になったアメリカ」であるのに対して、私は「内側で見たアメリカ」を語っているのだ。

本論:
私はヨーロッパとの接点が少ないが、アメリカと同じ白人を論ずるのであれば、話は通じると思っている。

「アメリカ人が100人いれば・・・」:
これは何度か取り上げてきたアメリカの問題点を凝縮して指摘したこと。ここにはアメリカという格差社会と階層社会から生じる問題点があるのだ。振り返ってみれば、アメリカから帰国する便で隣り合った某建設とエンジニアリング会社のアメリカ支社長さんと語り合ったことがあった。お互いに「アメリカ人の能率の悪さ」を問題にして、結論として「彼らが100人いれば能力がある者は精々1%だ」となった。極論というか暴論のように聞こえるが、ここにアメリカ社会の問題点があるのだ。

それは、支配階層として論じている人たちは、その1%の人たちの中から選ばれてくるのだが、その地位に就く為には東部のIvy Leagueに代表されるような超一流の私立大学で、今や最低でもMBA、乃至はそれ以上のPh.D.を取得しておく必要があるのだ。そういう大学では現在では年間の学費は授業料を含めて¥1,500万以上にもなるのでビジネススクールの2年間を加えれば卒業までに1億円近い学費が必要になるのだ。それだけの出費を厭わない裕福な家庭に生まれない限り、大手の企業の世界に入っていくことは難関になるのだ。

念の為に取り上げておくと、私の上司だった営業部担当部長と副社長の2人は、共に2人の子供たちを一流の私立大学からビジネススクールに進ませていた。即ち、彼らは1980年代に年間¥1,000万以上を負担する資産があったという事。当時でもアメリカの州立大学では授業料だけで¥150万だったのだから、我が国よりも大学進学率が低かったのも当然だろうと思う。しかも、アメリカでは製造業が大学の新卒を定期採用しないのであるから、州立大学出身者は中小企業等に就職して腕を磨き、何時かは大手の企業に転身出来るように備えておくのだ。

ここまでで何を言いたかったかと言えば、「裕福な家庭に生まれない限り、大企業に職を得て立身出世の確率は低いのがアメリカ」なのだ。即ち、極めて少数の恵まれた家柄に生まれ、しかも頭脳明晰で学業成績が優秀で無い限り、道は開けてこないのである。指摘したいことは「白人であっても、明るい将来が待っている訳ではない」のだ。

故に、そういう格差を付けられた階層にいる者たちは、先ず立身出世の機会が巡ってこないのだから、何も身を粉にして働いても仕方がないのだから、極論を言えば最初から諦めの境地に入るか、与えられた境遇に満足する以外ないのだ。だから、真剣さを欠くし、言われたことだけやっているか、貰っている年俸の範囲内のことだけしかやろうとしないのだ。しかも、我々でも、外国から訪れられた人たちが日常的に接触する範囲内にいる者たちは、その恵まれざる諦めの境地に身を置いているのだから、まだるっこいと感じることになるのだ。

ここまでのところで取り上げてきたのは「白人」の世界でのことで、アメリカには少数民族(minorities)と呼ばれているアフリカ系、南アメリカ系、アジア系、イスラム教国系等々がいるのだ。しかも、今や誰もが信じていることは「遠からぬ将来、少数民族が多数派になる」事だ。現状ではその少数民族からは先ず支配階層は言うに及ばず、余程の幸運に恵まれない限り、大手企業の本社機構に採用されて立身出世の確率は極めて低いと思う。

以下次号


北京の冬季オリンピックが終わったから言おう

2022-02-21 08:46:56 | コラム
「中国開催もロシア参加も誤りだった」:

この見出しは本日の産経新聞の一面に掲載された論説副委員長・別府育郎氏の署名記事の表題である。思うに、産経新聞だからこそこのように言えたのだろうし、内容も将にその通りだったと思っている。私はここに「IOCとその会長の無能と無節操」を加えたいと思う。

私は昨日で終了した北京の冬季オリンピックは「私から見て史上希に見る邪悪な指導者・習近平主席の指揮下にあっては、どのような事になるのかな」と、ある程度以上は酷いことになるものだろうとは予想できていた。だが、実際に起こった事は産経新聞が指摘した通りだった。各テレビ局が派遣したリポーターというのかアナウンサーなのか知らないが、バブルの中から伝えてくる情報には明らかに制約されているというか管制されていると見えた。と言うことは、彼らが語っていることの裏と表を想像すれば、実体に辿り着くかなということだろう。

習近平主席は自分が専制統治している国で開催するのであるから、その手法と同じにオリンピックを管理し、統制して構わないのだと考えたのだろうと思う。その為には去りし東京オリンピックで見せたIOCのバッハ会長の統治能力の欠如振りと、権力者に阿るだけの姿勢を見て「この男御しやすし」と読みきって懐柔したか、または何らかの手段で頭から押さえつけようと計ったのではないのかな。

IOCとバッハ会長:
その無力振りの最も解りやすい例が「バッハ会長が中国に顎で使われたのか、テニスの彭帥(ほうすい)選手とのオンライン会談や食事会をして、彼女が健在であり性的虐待も受けていなかった」と報道させられた一件だ。バッハ氏が嬉々として乗り出した背景に何があったかなどは、容易に想像出来るというもの。IOCはWHOと同様に完全に習近平主席に「自家薬籠中」のものにされていたのではないのかとあらためて疑いたくもなろうというもの。

私は「元は何らかの分野で有名選手だったからと言って、上部団体や世界的な組織の長に任命するのは宜しくない」と、繰り返し指摘して来た。その残念な事例はこれまでにオリンピックやW杯などで何度も現れてきていたではないか。今回もスキーのジャンプで高梨沙羅さんを失格とした全く不統一な着衣の検査方法があったではないか。あの時に上部団体から納得がいく説明があったのか。そういう不行き届きの団体の上に位しているのが、トーマス・バッハ氏率いるIOCなのだ。ここまで言えば十分だろう。

ロシア問題:
この件は産経新聞の別府氏の記事が十分に解説しているので、私如きが云々するまでもないだろう。だが、あのワリエワ問題などはロシアの横車にバッハ会長とIOCが屈してしまったという数多ある情けない一例に過ぎない。私は金妍児さんの指摘の通りであり正論だと思っているので引用しておいた。ロシアのあの女性コーチが15歳の少女の失敗を、言葉を極めて叱責していた辺りを見れば「もしかして、ロシアのコーチたちは成績を挙げられなかった廉で、帰国すれば厳罰に処されるので責任を少女に持たせて回避しようとしているのか」と疑いたくなった。

この件は明らかにロシア側に不当な行為があった事に起因すると思うが、そこを正当に裁ききれなかったのはIOCの不手際以外の何物でもないのではなかろうか。

IOC崇拝主義から脱却しよう:
この件は別途採り上げてみようとも考えている。だが、我が国のJOCや関連する諸団体に加えてスポーツ関連の報道機関は、もうそろそろIOC如き存在を崇め奉る考え方から脱却しても良い時に来ていると思う。私には戦後の進駐軍というのか白人の統治下にあった時に、彼らを尊敬しなければならないように仕込まれた従属的な思考体系に、未だに支配されているかのような傾向が見えるのが残念でならないのだ。

何処かで何方だったかが「外国向けの情報発信を強化する為には、英語力の強化が必須」と述べておられたかのように記憶している。それもそうだが、私は彼らとの間の文化と思考体系の相違点を十分に把握することが肝腎だと、何度も指摘した。彼らを論破して屈服させる為には、彼らの思考体系を読み切って彼らも弱点を突くような論旨を展開しないことには議論に勝てないのだ。異国の文化に自国の文化だけで立ち向かっては、すれ違いだけで「お互いに理解されざる者」となってしまうのだ。

長くなるからここまでにするが、我が国は自信を以て国際場裏に臨むべきだ。彼らを崇拝するのではなく、何者かを把握した上で、取りかかっていって貰いたいのだ。