読書。
『明るい夜に出かけて』 佐藤多佳子
を読んだ。
山本周五郎賞受賞作品です。
接触恐怖症でいわゆるコミュ障の二十歳の男性。彼が、主人公の富山(とみやま)で、とあるトラブルのために東京の大学を休学していて、実家も東京なのだけれど神奈川県の金沢八景に木造アパートの一室を借りている。
富山はコンビニで深夜バイトとして働き、趣味は深夜ラジオを聴くこと。そのなかでも、アルコ&ピースのオールナイトニッポンにハマっている。トラブルの影響でやめていたハガキ職人も、ラジオネームを新しくし、細々と再開もしている。
そんな彼と、同じコンビニで深夜バイトをする年上の歌い手・鹿沢や、奇しくも出合うことになったアルコ&ピースのANNヘビーリスナーで実力派ハガキ職人の女子高生・佐古田、そして、富山と高校時代の同級生で、この地の居住先を紹介してくれた永川の四人が駆け抜けるドラマが、本小説です。ラジオ番組の解説部分に熱が入っていて、著者はかなりのラジオ好きなんだろうな、と圧され気味になるところもありましたが、おもしろかったです。
エンタメ小説の見本になるようなしっかりとした出来映えだと思いました。そのしっかりさ加減を表に匂わせないような黒子としての仕事ぶりがされていて、探りに探るような読みをすると「たぶん、こうだからこうなんだよな」というように、痕跡から論理的に辿っていけるというようになんとなくわかるのですが、これも、本書の内容に夢中になることでわからなくもなっていってしまいました。
さきほど名前を出しましたが、佐古田というおもしろい女子高生が第二章から登場します。作中、サイコなんて呼ばれ方もしてるのだけれど、キャラクターのアクが強くて、それでいて嫌われることなく読み手に好まれそうなんです、僕もすぐに好きになったキャラでした。そして、こういったキャラの登場で、また一段深く、物語に引き込まれます。どういうキャラをどのタイミングで登場させて、何を担わせるか。物語がうまくいったのは構成の段階での仕事が生きているということなのでしょう。
「明るい夜に出かけて」という、本書のタイトルになっている言葉は、二重にも三重にも意味を成すようになっています。物語内での具体的な部分はさておき、次のような解釈も可能だろうと思いますので、ちょっと書いていきます。
主人公の人生に夜がやってきている。人間関係のトラブルのためメンタルに傷を負い、大学を休学して人生のエアポケットにはまったみたいな状態が「夜」にあたる。そして主人公は、コンビニの深夜バイトをやっている。人生の夜を暗喩するかのような深夜バイト。でも、主人公をとりまく仲間たちが思いがけず彼の人生の「夜」を明るくしてくれてもいるし、主人公を含めた仲間たちそれぞれがそれぞれの夜を明るくしてもいる。自身の内にこもっていただけで終わるはずだった休学期間が、仲間たちとともに外へと開いて、でかけていくようになる。
では、引用をいくつか。
__________
思ったほどひどくなかったけど、思った以上に気持ち悪かった。俺、カラオケに連れていかれても、人の歌聴いてると、けっこう気持ち悪くなる。うまい、へた関係なく。歌唱ってさ、なんか、そいつの中味、出るよな。(p157)
__________
→素人が歌うのを聞いて、たしかに、その人自身が出るなあとは僕も思っていましたけど、「中味がでる」という言い方の言い得ている感じがとても気に入りました。それに、そういった他者の「中味」に食あたりするかのように、「けっこう気持ち悪くなる」というところに、この主人公の「浮ついて無さ(≒ノリの悪さ)」が感じ取れます。主人公はラジオにネタを投稿するハガキ職人として名うてだった過去がありますが、感性で感じ取ったものを他者に先駆けて言語化する人ならではの情動だと思いました。
__________
「金曜のことですけど」
俺は休憩に入る前、店内に客がいないのを見計らって、鹿沢に話しかけた。
「大事な仕事のときは休んでください。俺、入りますから」
(中略)
「そんな優しいこと言ってると、君の人生は簡単に侵略されちゃうよ」
鹿沢は言った。
なんだよ。人がせっかく思いきって親切に申し出たのに、感謝もしないで。(p159)
__________
→けっこう僕は、同じ職場の人たちに気を遣ってしまうタイプですし、職場に限らず他者に対してもどうも優しすぎるところがあり、負担を引き受けてしまったり犠牲になったりしてしまうことは珍しくありません。だから、「君の人生は簡単に侵略されちゃうよ」が骨身に響く思いがしました。もっと断ることができることと、自分を優先できるようになることと。それが喫緊の課題です。
__________
わかんねえな。特別におせっかいでも、面倒見がいいわけでも、救世主タイプでも、兄貴タイプでも、何かしてやることで自分の存在価値を見出すタイプでもなさそうなのに。
何か抱えてる、精神に傷があるようなヤツのことが気になるんだ、あいつ。面白がってるのと手を差し伸べるのと、あんまり違わないのかもしれない。だとしたら、すげーやばいヤツだ。悪気がないぶん、もっと始末が悪いや。女にいろいろされるの、当たり前だよ。偽善者のほうがまだマシ。(p199-200)
__________
→メンタルがまいっている人が大好物で、しれっと近づいている人って、いるかもしれません。この引用箇所は、主人公が脇役の鹿沢の性向を勘ぐっているところで、実際はそんなことはなさそうなのですが、世の中にはこの勘繰りの通りの人がいないわけでもないので、思い違いや疑い過ぎであったとしても、構えることは必要だよなあ、と僕は考えていたりしますねえ。
__________
自分が正しいなんて意味がねえんだなって、つくづく思ったよ。通用しない相手がいる。だけど、自分の心を守る最後の砦は、やっぱり、そこだ。俺は俺が正しいと思ったことをやる。その信念。その意地。(p292)
__________
→年上の後輩で、でもコンビニバイト経験は主人公よりもある男がサボり魔であることに困っているところ。掃除してください、といっても、簡単に「やだよ」で返される。主人公は店長や店長の兄にチクることも考えるが、それはやりたくない、と耐える。こういう人って、そんなに珍しいわけでもないですよね、現実に。僕も、それなりの人数で働く場所に何か所か居たことがありますが、必ず一人はいましたね。そういう人はそういう人なりに、自分を守っているのだと思いますけれども、たぶん余裕がないからあまりに不格好な守り方だし迷惑になっている。
といったところです。優れていると思ったのは、20歳や17歳の登場人物を等身大に描けているなあと思えるところです。精神年齢がぴたっとはまっている感じがあります。キャラクター作りが成功しているし、ふだんからいろいろな人を観察しているのかもしれないし、洞察力もあるんだろうなあ、と思えました。
『明るい夜に出かけて』 佐藤多佳子
を読んだ。
山本周五郎賞受賞作品です。
接触恐怖症でいわゆるコミュ障の二十歳の男性。彼が、主人公の富山(とみやま)で、とあるトラブルのために東京の大学を休学していて、実家も東京なのだけれど神奈川県の金沢八景に木造アパートの一室を借りている。
富山はコンビニで深夜バイトとして働き、趣味は深夜ラジオを聴くこと。そのなかでも、アルコ&ピースのオールナイトニッポンにハマっている。トラブルの影響でやめていたハガキ職人も、ラジオネームを新しくし、細々と再開もしている。
そんな彼と、同じコンビニで深夜バイトをする年上の歌い手・鹿沢や、奇しくも出合うことになったアルコ&ピースのANNヘビーリスナーで実力派ハガキ職人の女子高生・佐古田、そして、富山と高校時代の同級生で、この地の居住先を紹介してくれた永川の四人が駆け抜けるドラマが、本小説です。ラジオ番組の解説部分に熱が入っていて、著者はかなりのラジオ好きなんだろうな、と圧され気味になるところもありましたが、おもしろかったです。
エンタメ小説の見本になるようなしっかりとした出来映えだと思いました。そのしっかりさ加減を表に匂わせないような黒子としての仕事ぶりがされていて、探りに探るような読みをすると「たぶん、こうだからこうなんだよな」というように、痕跡から論理的に辿っていけるというようになんとなくわかるのですが、これも、本書の内容に夢中になることでわからなくもなっていってしまいました。
さきほど名前を出しましたが、佐古田というおもしろい女子高生が第二章から登場します。作中、サイコなんて呼ばれ方もしてるのだけれど、キャラクターのアクが強くて、それでいて嫌われることなく読み手に好まれそうなんです、僕もすぐに好きになったキャラでした。そして、こういったキャラの登場で、また一段深く、物語に引き込まれます。どういうキャラをどのタイミングで登場させて、何を担わせるか。物語がうまくいったのは構成の段階での仕事が生きているということなのでしょう。
「明るい夜に出かけて」という、本書のタイトルになっている言葉は、二重にも三重にも意味を成すようになっています。物語内での具体的な部分はさておき、次のような解釈も可能だろうと思いますので、ちょっと書いていきます。
主人公の人生に夜がやってきている。人間関係のトラブルのためメンタルに傷を負い、大学を休学して人生のエアポケットにはまったみたいな状態が「夜」にあたる。そして主人公は、コンビニの深夜バイトをやっている。人生の夜を暗喩するかのような深夜バイト。でも、主人公をとりまく仲間たちが思いがけず彼の人生の「夜」を明るくしてくれてもいるし、主人公を含めた仲間たちそれぞれがそれぞれの夜を明るくしてもいる。自身の内にこもっていただけで終わるはずだった休学期間が、仲間たちとともに外へと開いて、でかけていくようになる。
では、引用をいくつか。
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思ったほどひどくなかったけど、思った以上に気持ち悪かった。俺、カラオケに連れていかれても、人の歌聴いてると、けっこう気持ち悪くなる。うまい、へた関係なく。歌唱ってさ、なんか、そいつの中味、出るよな。(p157)
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→素人が歌うのを聞いて、たしかに、その人自身が出るなあとは僕も思っていましたけど、「中味がでる」という言い方の言い得ている感じがとても気に入りました。それに、そういった他者の「中味」に食あたりするかのように、「けっこう気持ち悪くなる」というところに、この主人公の「浮ついて無さ(≒ノリの悪さ)」が感じ取れます。主人公はラジオにネタを投稿するハガキ職人として名うてだった過去がありますが、感性で感じ取ったものを他者に先駆けて言語化する人ならではの情動だと思いました。
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「金曜のことですけど」
俺は休憩に入る前、店内に客がいないのを見計らって、鹿沢に話しかけた。
「大事な仕事のときは休んでください。俺、入りますから」
(中略)
「そんな優しいこと言ってると、君の人生は簡単に侵略されちゃうよ」
鹿沢は言った。
なんだよ。人がせっかく思いきって親切に申し出たのに、感謝もしないで。(p159)
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→けっこう僕は、同じ職場の人たちに気を遣ってしまうタイプですし、職場に限らず他者に対してもどうも優しすぎるところがあり、負担を引き受けてしまったり犠牲になったりしてしまうことは珍しくありません。だから、「君の人生は簡単に侵略されちゃうよ」が骨身に響く思いがしました。もっと断ることができることと、自分を優先できるようになることと。それが喫緊の課題です。
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わかんねえな。特別におせっかいでも、面倒見がいいわけでも、救世主タイプでも、兄貴タイプでも、何かしてやることで自分の存在価値を見出すタイプでもなさそうなのに。
何か抱えてる、精神に傷があるようなヤツのことが気になるんだ、あいつ。面白がってるのと手を差し伸べるのと、あんまり違わないのかもしれない。だとしたら、すげーやばいヤツだ。悪気がないぶん、もっと始末が悪いや。女にいろいろされるの、当たり前だよ。偽善者のほうがまだマシ。(p199-200)
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→メンタルがまいっている人が大好物で、しれっと近づいている人って、いるかもしれません。この引用箇所は、主人公が脇役の鹿沢の性向を勘ぐっているところで、実際はそんなことはなさそうなのですが、世の中にはこの勘繰りの通りの人がいないわけでもないので、思い違いや疑い過ぎであったとしても、構えることは必要だよなあ、と僕は考えていたりしますねえ。
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自分が正しいなんて意味がねえんだなって、つくづく思ったよ。通用しない相手がいる。だけど、自分の心を守る最後の砦は、やっぱり、そこだ。俺は俺が正しいと思ったことをやる。その信念。その意地。(p292)
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→年上の後輩で、でもコンビニバイト経験は主人公よりもある男がサボり魔であることに困っているところ。掃除してください、といっても、簡単に「やだよ」で返される。主人公は店長や店長の兄にチクることも考えるが、それはやりたくない、と耐える。こういう人って、そんなに珍しいわけでもないですよね、現実に。僕も、それなりの人数で働く場所に何か所か居たことがありますが、必ず一人はいましたね。そういう人はそういう人なりに、自分を守っているのだと思いますけれども、たぶん余裕がないからあまりに不格好な守り方だし迷惑になっている。
といったところです。優れていると思ったのは、20歳や17歳の登場人物を等身大に描けているなあと思えるところです。精神年齢がぴたっとはまっている感じがあります。キャラクター作りが成功しているし、ふだんからいろいろな人を観察しているのかもしれないし、洞察力もあるんだろうなあ、と思えました。