Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

No Problem, No Life

2005-06-08 00:44:22 | 考えの切れ端
-----クイズや試験に答える。っていうのは、ほんとは「問題解決」のモデルじゃない。
つまり、問題の立て方が問題らしいんですね。----
----何が問題なのか?を考えることだったわけでした。----

っつー、とある本の一節を抜粋。
そうだねぇ、そうだねぇ、と納得してしまいますが、
こういうことすらバカの壁に阻まれてしまったりするんですよね。
AさんとBさんが同じくこういう考えに納得しても、通じなかったりする。
また、コミュニティのキャパが小さいがゆえの保守性か排他性かによるバカの壁もあるだろうし。
問題を考えるためのシステムってのも必要で。

こないだのJMM(メルマガ)での冷泉氏のコラムで、
---もう一つ気になるのは、何かにつけて「国益」とか「安全」あるいは「テロ対策」と
いうような有無を言わさない口実で、様々な政策が決まってしまう現在、「正義の告
発」が通りにくい、つまり仮に告発に成功してもメディアを通じて世論から「必要悪」
と言われてしまう世相です。仮に現在ブッシュ大統領自身が何か盗聴行為に関わって
いても、戦時だからとかテロ対策上必要だからと言われてしまうと、もう通ってしま
う、例えば虐待事件の暴露にしても、そうでもしないとテロ計画を「吐かせる」こと
ができない、ということでウヤムヤになってしまうという問題があります。---

っつー一文がありました。
まぁ、なんだろね、これは。自由主義のツケなのかとも思えるのだけど、
自由って言葉に含まれるものがかなり広範囲にわたるために、自由の中の何かがよくなさげ
なんじゃないのかなどと感じます。
ルールの形骸化ってのがありますよね。だからもう、憲法の改正とかね、自衛隊の派遣とか、
拡大解釈ばかりでてくるわけでね。ある種、末期的なんでしょうね。
それで、なんで末期的なんだろうっていう問題に触れないことには解決しないんだろうなぁ。
既存の「法」っていうものが、それが作られた時代をよく反映したかもしれないけれど、
いつまでも廃れませんってものじゃないのは、自由主義のためだと思うのです。
いろいろメディアも発達したし、人々の関係性ってものも変わってきたはず。
どこかまで行くのに1時間短くいけるようになった!とか、そういう小さなことだけでも、
バタフライ効果的な、何か「法」なんかを遺物化させるものなんじゃないのかなぁなんて思って
みたりします。

ま、こういう文章自体、まるで「問題が何か」をきちんと把握していないわけですけれど。
いろいろと既存のシステムっていうか、今のあり方(どこまでわかってるか知らないけどさ)
に真っ向から挑もうとすればするほど、極端なほどの柔と剛ばかりが気になってくるように思えます。
そこでね、オルタナティブだとかインディペンデントだとか、そういうものがすげぇなと。
先人たちがいるので、たぶん、10年くらい前から感じてきてますよ。だけど成長しない。
で、自由が好き。つーか、創造性の自由が好きなのかな。
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