読書。
『勝手にふるえてろ』 綿矢りさ
を読んだ。
『インストール』や『蹴りたい背中』に比べると、
だいぶ、社会のというか、俗世間の俗っけある成分に
作者は侵されたようにも感じました、それは良いとか悪いとかではなく、
歳を重ねたことなんだろうと思います。
生活してきた、その証としての俗っけでしょう。
表題作の「勝手にふるえてろ」はまずそう読んだんです。
主人公・ヨシカの、地味目で控えめながらも、
自律的に生きていて、その自らの滑稽さともつきあい、
女性ならではの細やかな計算もありながら、
物事をすぐさま先鋭的につきつめることなく、
時間とともに見えてきた骨の部分をやんわりと捉えて言葉にする感覚。
僕とこの主人公は歳も離れているし、性別も違うし、
まぁ、大きくいえば同じ現代人と言えることもあるので、
そこを頼みの綱にして言わせてもらうと、
ヨシカは「なかなか自分と似ていて、まったくの他人とは思えない」人でした。
ヨシカの彼候補のイチ彼やニ彼よりも、ヨシカのほうが僕に似ている。
それは、ヨシカの心の動きがつぶさに言葉で表現されているので、
論理的にせよ、感情的にせよ、おいやすかったというのはあるでしょう。
それでも、そこをそう考えても、僕が女性に生まれていたら、
このヨシカタイプだったんではないか、と推察してしまいます。
そんな近しい人物として読んでみた今作は、
小憎らしいところもありながら、おしなべると、笑えて面白い作品でした。
読みやすいし、これぞ一人称小説とでもいうべく、
主観性が3Dよろしく飛び出してくるごとく、主人公となった筆者が
赤裸々に語ってくれています。
きっとね、綿矢りささんを値踏みしようととかそういう魂胆で読む人じゃなかったら、
なにも心にささくれだつものもなく、本作に好評を与えると思います。
また、もうひとつ収録されている「仲良くしようか」のほうは、
「勝手にふるえてろ」から2年くらいの月日を経て発表されている作品でもあり、
私小説的な体裁に妄想的・想像的なうねりがあって、
苦々しい味わいの作品に読めました。
ただ苦々しいだけではなく、環境や人間関係や立場などそういったいろいろな、
人生を構成しているものと彼女の心の脈動の関連を描いているような感じがしました。
人が生きるということは、ただ平平凡凡としていることなどありえなく、
そういった人生の単純化をせずに切り取ったスケッチ的作品でもあると思います。
綿矢さんの作風って、心の動きをウソなく見てとる能力を感じさせながらも、
その能力を特権的なものだと、読者や他人にみせないところがあって、
そこが僕なんかは好きなんですよね。
うっとうしいわ、面倒くさいわ、って男からみたら大きなため息をつきそうなところも
ありますけども、そこは女だからね、人間だからね、
って許容できる感覚も同時に生じるのです。
ちょこちょこと笑えるところがあるのも、
そういう嫌味な部分の味を変えるスパイスとして、意識的にか無意識的にか
挿入しているのかなぁと思ったりもしました。
そんなわけで。
綿矢さんはその後、どんな作家さんになっていかれたのかなぁと
気になっていたので、こういうのを読めて改めて好感を持ったのでした。
『勝手にふるえてろ』 綿矢りさ
を読んだ。
『インストール』や『蹴りたい背中』に比べると、
だいぶ、社会のというか、俗世間の俗っけある成分に
作者は侵されたようにも感じました、それは良いとか悪いとかではなく、
歳を重ねたことなんだろうと思います。
生活してきた、その証としての俗っけでしょう。
表題作の「勝手にふるえてろ」はまずそう読んだんです。
主人公・ヨシカの、地味目で控えめながらも、
自律的に生きていて、その自らの滑稽さともつきあい、
女性ならではの細やかな計算もありながら、
物事をすぐさま先鋭的につきつめることなく、
時間とともに見えてきた骨の部分をやんわりと捉えて言葉にする感覚。
僕とこの主人公は歳も離れているし、性別も違うし、
まぁ、大きくいえば同じ現代人と言えることもあるので、
そこを頼みの綱にして言わせてもらうと、
ヨシカは「なかなか自分と似ていて、まったくの他人とは思えない」人でした。
ヨシカの彼候補のイチ彼やニ彼よりも、ヨシカのほうが僕に似ている。
それは、ヨシカの心の動きがつぶさに言葉で表現されているので、
論理的にせよ、感情的にせよ、おいやすかったというのはあるでしょう。
それでも、そこをそう考えても、僕が女性に生まれていたら、
このヨシカタイプだったんではないか、と推察してしまいます。
そんな近しい人物として読んでみた今作は、
小憎らしいところもありながら、おしなべると、笑えて面白い作品でした。
読みやすいし、これぞ一人称小説とでもいうべく、
主観性が3Dよろしく飛び出してくるごとく、主人公となった筆者が
赤裸々に語ってくれています。
きっとね、綿矢りささんを値踏みしようととかそういう魂胆で読む人じゃなかったら、
なにも心にささくれだつものもなく、本作に好評を与えると思います。
また、もうひとつ収録されている「仲良くしようか」のほうは、
「勝手にふるえてろ」から2年くらいの月日を経て発表されている作品でもあり、
私小説的な体裁に妄想的・想像的なうねりがあって、
苦々しい味わいの作品に読めました。
ただ苦々しいだけではなく、環境や人間関係や立場などそういったいろいろな、
人生を構成しているものと彼女の心の脈動の関連を描いているような感じがしました。
人が生きるということは、ただ平平凡凡としていることなどありえなく、
そういった人生の単純化をせずに切り取ったスケッチ的作品でもあると思います。
綿矢さんの作風って、心の動きをウソなく見てとる能力を感じさせながらも、
その能力を特権的なものだと、読者や他人にみせないところがあって、
そこが僕なんかは好きなんですよね。
うっとうしいわ、面倒くさいわ、って男からみたら大きなため息をつきそうなところも
ありますけども、そこは女だからね、人間だからね、
って許容できる感覚も同時に生じるのです。
ちょこちょこと笑えるところがあるのも、
そういう嫌味な部分の味を変えるスパイスとして、意識的にか無意識的にか
挿入しているのかなぁと思ったりもしました。
そんなわけで。
綿矢さんはその後、どんな作家さんになっていかれたのかなぁと
気になっていたので、こういうのを読めて改めて好感を持ったのでした。
小憎らしいところもありながら、おしなべると、笑えて面白い作品でした。読みやすいし、これぞ一人称小説とでもいうべく、主観性が3Dよろしく飛び出してくるごとく、主人公となった筆者が赤裸々に語ってくれています。きっとね、綿矢りささんを値踏みしようととかそういう魂胆で読む人じゃなかったら、なにも心にささくれだつものもなく、本作に好評を与えると思います。また、もうひとつ収録されている「仲良くしようか」のほうは、「勝手にふるえてろ」から2年くらいの月日を経て発表されている作品でもあり、私小説的な体裁に妄想的・想像的なうねりがあって、苦々しい味わいの作品に読めました。ただ苦々しいだけではなく、環境や人間関係や立場などそういったいろいろな、人生を構成しているものと彼女の心の脈動の関連を描いているような感じがしました。人が生きるということは、ただ平平凡凡としていることなどありえなく、そういった人生の単純化をせずに切り取ったスケッチ的作品でもあると思います。