読書。
『自助論』 S・スマイルズ 竹内均 訳
を読んだ。
およそ150年前のイギリスで出版された世界的名著です。
日本でも明治時代に翻訳されて、当時で100万部ほど読まれたそう。
ぼくが読書や思索をかさねていく目的の大きな一つは、
じぶんやみんなの「生きづらさ」を解消するなにかを見つけるためです。
指針ややりかた、スタンスや意識のありかた、
世の空気やシステムについて変えるべきものなんなのか、などを探っている。
そして、そのなかでも個人のあり方としては
「自助」をつよく推奨してきました。
それで、じゃあ「自助」を掘り下げて考えるとどういうことをすることなの?
という問いが生まれます。
漠然と、こうだろう、と考えていた「自助」というものの捉え方を、
そんな150年前の書物で確かめ、アップデートするのが目的の読書でした。
温故知新です。
自助・共助・公助のどれがいちばん大事だろうか、
というと、最近では共助がもっとも大事だ、
という答えが多いように見受けています。
そこには、前提として自助が行われいるというのがあるかもしれない。
自助が最低条件としてあって、そのうえで、
共助が大事です、と言っているかのように、
ぼくにはとれるようなふしがありました。
しかし、
民度が高くてなんでも言える世の中で、
自己開示していけるならばそれが一番いいのでしょうけれど、
あんな街だとかあんな病気だとか、
負のイメージにこりこりに固まるひと(スティグマにとらわれるひと)が多いから、
自分はこういう窮状にいてこんなことに困っているのだと、
自己開示して共助を求めるよりか、
自助でなんとかしようというほうが現実的な場合が多々あるでしょう。
本書によれば、
逆境や窮状にいるひとでも、
めげないでがんばるためには希望を持つことだそうです。
ぼくもなかなか大変な立場にあるほうだけれどまあ元気なのは、
希望のほうを向いているからなのかなあと、
自分のことはよくわからないながらもそう感じました。
本書のおもしろいところは、
学業で秀でていたひとよりも、
学業でぱっとしなかったひとでも努力したひとのほうが、
出世したりうまくいっているパターンが多いことを書いている点です。
ほんとうのエリートはどうか知らないけれど、
ふつう程度の学校にはこれはあてはまると思う。
重ねて言いますが、150年も昔の本です。
よって、昔の人みたいな堅さがちょっと残っているし、
四角四面に感じられるところもあります。
でも、そういうところがあることをわかったうえで読めば、おもしろい。
要点は、「勤勉さ」でした。
勤勉に誠実に、努力していこうというもの。
金銭面では、節約が第一にあげられていて、
ぼくも参考にしようと思いました。
けっこう浪費するほうなので。
そして、
過保護と束縛は、自助の精神を育まないそうです。
むしろだめにする、と。
ここはひとのために気をつけたいところです。
「天はみずから助くるものを助く」と書いてあります。
この世界はそういうものなのでしょう。
ぼくは、ゴールデンウィークからバイトもはじまり、
家ではできるぶんの家事と介護をしていくわけですが、
『自助論』を読んでいると、
そうしながらでも、
今と同じペースは無理だとしても読書をし続けられそうだし、
創作にかかることもできそうな気持ちになってきました。
前を向いて歩くための自助を、
あらためて実践していくつもりです。
みなさんにもおすすめです、『自助論』も「自助」も。
『自助論』 S・スマイルズ 竹内均 訳
を読んだ。
およそ150年前のイギリスで出版された世界的名著です。
日本でも明治時代に翻訳されて、当時で100万部ほど読まれたそう。
ぼくが読書や思索をかさねていく目的の大きな一つは、
じぶんやみんなの「生きづらさ」を解消するなにかを見つけるためです。
指針ややりかた、スタンスや意識のありかた、
世の空気やシステムについて変えるべきものなんなのか、などを探っている。
そして、そのなかでも個人のあり方としては
「自助」をつよく推奨してきました。
それで、じゃあ「自助」を掘り下げて考えるとどういうことをすることなの?
という問いが生まれます。
漠然と、こうだろう、と考えていた「自助」というものの捉え方を、
そんな150年前の書物で確かめ、アップデートするのが目的の読書でした。
温故知新です。
自助・共助・公助のどれがいちばん大事だろうか、
というと、最近では共助がもっとも大事だ、
という答えが多いように見受けています。
そこには、前提として自助が行われいるというのがあるかもしれない。
自助が最低条件としてあって、そのうえで、
共助が大事です、と言っているかのように、
ぼくにはとれるようなふしがありました。
しかし、
民度が高くてなんでも言える世の中で、
自己開示していけるならばそれが一番いいのでしょうけれど、
あんな街だとかあんな病気だとか、
負のイメージにこりこりに固まるひと(スティグマにとらわれるひと)が多いから、
自分はこういう窮状にいてこんなことに困っているのだと、
自己開示して共助を求めるよりか、
自助でなんとかしようというほうが現実的な場合が多々あるでしょう。
本書によれば、
逆境や窮状にいるひとでも、
めげないでがんばるためには希望を持つことだそうです。
ぼくもなかなか大変な立場にあるほうだけれどまあ元気なのは、
希望のほうを向いているからなのかなあと、
自分のことはよくわからないながらもそう感じました。
本書のおもしろいところは、
学業で秀でていたひとよりも、
学業でぱっとしなかったひとでも努力したひとのほうが、
出世したりうまくいっているパターンが多いことを書いている点です。
ほんとうのエリートはどうか知らないけれど、
ふつう程度の学校にはこれはあてはまると思う。
重ねて言いますが、150年も昔の本です。
よって、昔の人みたいな堅さがちょっと残っているし、
四角四面に感じられるところもあります。
でも、そういうところがあることをわかったうえで読めば、おもしろい。
要点は、「勤勉さ」でした。
勤勉に誠実に、努力していこうというもの。
金銭面では、節約が第一にあげられていて、
ぼくも参考にしようと思いました。
けっこう浪費するほうなので。
そして、
過保護と束縛は、自助の精神を育まないそうです。
むしろだめにする、と。
ここはひとのために気をつけたいところです。
「天はみずから助くるものを助く」と書いてあります。
この世界はそういうものなのでしょう。
ぼくは、ゴールデンウィークからバイトもはじまり、
家ではできるぶんの家事と介護をしていくわけですが、
『自助論』を読んでいると、
そうしながらでも、
今と同じペースは無理だとしても読書をし続けられそうだし、
創作にかかることもできそうな気持ちになってきました。
前を向いて歩くための自助を、
あらためて実践していくつもりです。
みなさんにもおすすめです、『自助論』も「自助」も。