読書。
『はじめての福島学』 開沼博
を読んだ。
東日本の震災、そして原発事故後の福島のことを、
そのままのかたちで伝えてくれる本でした。
そのままのかたちの福島を知らないひとは、
きっと本書を手に取っていない福島県外のひとの
ほぼすべてでしょう。
ぼくは原発事故の問題は福島だけの問題じゃなくて、
日本の問題なのではないか、と大きく捉えてきたふしがあって、
いろいろと放射線や原発関連の本を手に取ってきました。
つまり、自分の問題としても福島の問題をとらえていた。
けれども、やはりそこに住まう人々とはかなり温度差があります。
こっちで勝手に想像している日常や気持ちなどが、
事実とはまったくの正反対を向いていたりもする。
データを用いながら、そういうことを教えてくれる本です。
結局、いまの福島は、日本全体にあるような
少子高齢化や過疎などの問題が福島にも当然あり、
それらが原発事故によって加速されて現実化しているのが
一番大きい問題のようです。
そういう、いわゆるふつうの問題に、
放射線関係の問題が薄い膜のように
覆いかぶさっているとでもいえばいいのか。
最後の章では、
福島を応援したいのならば、「迷惑をかけない」ことだとして、
福島への「ありがた迷惑12カ条」が掲げられていますが、
これがなかなか厳しい物言いで、
ふつうの心理に密着している憐憫などいろいろな心理を
ひっぺがえさなければならないような、
ちょっと痛みをともなう行為をしましょうとなっている。
開沼さん、これは手厳しいのはしょうがないけれど、
これじゃちょっと福島人の孤高を奨励するかのようですよ。
ほうっておいてくれというような、
ひとを遠ざけちゃいそうな感じです。
学者らしい率直な物言いではあるのですが。
憐憫の情などいらぬ、そんなのは野暮である、とされるみたいです。
実際、震災直後なんて、
かわいそうだって非被災地のひとは思ったでしょう。
その延長の気持ちで、いまもちょっと憐憫の情を
持ってしまうひともいるだろうけれど、
迷惑だってやられると、傷つきますよね。
まあ、言わんとしていることはわかるんです。
ぼくの福島の友人にも、
(ぼくは)福島人じゃないのに、
なんでそんなに福島の事を考えるの?
みたいなニュアンスを感じたことがある。
だけれど、きっと難しいところなんですよね。
ぼくの住む街も有名な破たんした街ですが、
憐れみもちょっとはもってくれて構わないんだぜって
このごろ思うんですよ。
前面に憐れみを出されても困りますし、いやですが、
苦境にいることは忘れてほしくないものなんですよね。
まあ、ぼくは多少あまったれなんで、
たまにそういう気持ちになるだけかもしれないですが。
閑話休題。
多少乱文(ひとのことは言えないけれどね)ではありましたが、
論理がしっかりとしていて、読んでいてわかりやすいです。
ただ、それでも、ボリュームがあるし、
ちょっと疲れる部分もありますが、
興味を持って「もっと知りたい!」と思って読めば、
理解できるレベルの論説です。
もう発行から一年がたってしまいましたが、
今読んでもまだ間に合うでしょう。
きっと続編というか、アップデート版が数年後に出版されると思います。
そのときにはまた読みたいですね。
『はじめての福島学』 開沼博
を読んだ。
東日本の震災、そして原発事故後の福島のことを、
そのままのかたちで伝えてくれる本でした。
そのままのかたちの福島を知らないひとは、
きっと本書を手に取っていない福島県外のひとの
ほぼすべてでしょう。
ぼくは原発事故の問題は福島だけの問題じゃなくて、
日本の問題なのではないか、と大きく捉えてきたふしがあって、
いろいろと放射線や原発関連の本を手に取ってきました。
つまり、自分の問題としても福島の問題をとらえていた。
けれども、やはりそこに住まう人々とはかなり温度差があります。
こっちで勝手に想像している日常や気持ちなどが、
事実とはまったくの正反対を向いていたりもする。
データを用いながら、そういうことを教えてくれる本です。
結局、いまの福島は、日本全体にあるような
少子高齢化や過疎などの問題が福島にも当然あり、
それらが原発事故によって加速されて現実化しているのが
一番大きい問題のようです。
そういう、いわゆるふつうの問題に、
放射線関係の問題が薄い膜のように
覆いかぶさっているとでもいえばいいのか。
最後の章では、
福島を応援したいのならば、「迷惑をかけない」ことだとして、
福島への「ありがた迷惑12カ条」が掲げられていますが、
これがなかなか厳しい物言いで、
ふつうの心理に密着している憐憫などいろいろな心理を
ひっぺがえさなければならないような、
ちょっと痛みをともなう行為をしましょうとなっている。
開沼さん、これは手厳しいのはしょうがないけれど、
これじゃちょっと福島人の孤高を奨励するかのようですよ。
ほうっておいてくれというような、
ひとを遠ざけちゃいそうな感じです。
学者らしい率直な物言いではあるのですが。
憐憫の情などいらぬ、そんなのは野暮である、とされるみたいです。
実際、震災直後なんて、
かわいそうだって非被災地のひとは思ったでしょう。
その延長の気持ちで、いまもちょっと憐憫の情を
持ってしまうひともいるだろうけれど、
迷惑だってやられると、傷つきますよね。
まあ、言わんとしていることはわかるんです。
ぼくの福島の友人にも、
(ぼくは)福島人じゃないのに、
なんでそんなに福島の事を考えるの?
みたいなニュアンスを感じたことがある。
だけれど、きっと難しいところなんですよね。
ぼくの住む街も有名な破たんした街ですが、
憐れみもちょっとはもってくれて構わないんだぜって
このごろ思うんですよ。
前面に憐れみを出されても困りますし、いやですが、
苦境にいることは忘れてほしくないものなんですよね。
まあ、ぼくは多少あまったれなんで、
たまにそういう気持ちになるだけかもしれないですが。
閑話休題。
多少乱文(ひとのことは言えないけれどね)ではありましたが、
論理がしっかりとしていて、読んでいてわかりやすいです。
ただ、それでも、ボリュームがあるし、
ちょっと疲れる部分もありますが、
興味を持って「もっと知りたい!」と思って読めば、
理解できるレベルの論説です。
もう発行から一年がたってしまいましたが、
今読んでもまだ間に合うでしょう。
きっと続編というか、アップデート版が数年後に出版されると思います。
そのときにはまた読みたいですね。