Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『向日葵の咲かない夏』

2017-07-20 22:52:16 | 読書。
読書。
『向日葵の咲かない夏』 道尾秀介
を読んだ。

ファンタジー・ミステリー小説かと思って200ページくらい読んでみると、
だんだんそれだけではないことがわかってきて、
最後には、サイコ・ホラーめいた小説に色が変わっていました。
ファンタジ、ミステリー、エロス、サイコ、ホラーなどのジャンルを縦断し、
それらをグラデーションのように扱いひとつの作品として仕上げている印象です。

文章や設定がちょっと雑じゃないかなと思う部分が序盤にありましたが、
それも最後まで読んでみると気にならない程度ですし、
なにより読者を裏切り続ける逃亡者のようなストーリーです。

出来映えからしてみても、出し惜しみしていないですねえ。


(以下、ネタバレというか、解釈バレありです)


ただ、やっぱり、中盤から後半にかけて見えてくる実際面によって、
がっくりきますし、つらい気分になります。
なんでこんな作品を作るのだろう、と思います。
それも、100万部を売ったというじゃないですか。

そういうつらさが読者の中に生じることを織り込んで、
つまり、痛みをあえて感じてもらい、
それでも語りたいものがあったのではないかと考えてみると、
それは、自分のやったことや
未熟なあたまで考えたことが引き金であったとしても、
その結果から、良くない負の影響を多大に受けて、
人生がねじ曲がってしまうんだ、
無かったことにはしてもらえないんだ、
そして、そういうことに耐えられるほど、ひとは(子どもは)
強くないんだ、っていうことかなあと思いました。

主人公のミチオにしろ、
S君にしろ、岩村先生にしろ、おじいちゃんにしろ、
子ども時代か若い時分にねじくれる運命にあっています。
それだけ、子どものあたまというのは狂いやすいのだ、とも読める。

最後のあたりで「物語」についても触れられていますが、
一般的に人生の上での「物語」とは、
その結果ばかりではなく、場合によっては結果と対等以上に
過程を大事にすることにあるのではないでしょうか。
本書での「物語」は現実や運命による分断や亀裂を補ったり、
カモフラージュしたりするための
ツールのように書かれている印象を持ちました。
また、そういう物語観を持っていることが、
主人公ミチオが救われないところなのでしょうか。

『向日葵の咲かない夏』。
このタイトルはつまり、
主人公にとっては向日葵の咲かない夏という意味なのでしょう。
人生の最後に向日葵の花をみて、
それを神様だと思ったS君は死んで生まれ変わった。
しかし、主人公のミチオは、死なないし、生まれ変わらない。
つまり、慈悲が無いのです。
苦しんでも苦しみ続ける道を往くのが、主人公のミチオでした。
いつかその苦しみと真っ向から勝負して打ち勝つ日が来るのか。
その日を期待したい、と、本書の結末を読んでからの願いでした。


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