Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

「たら」「れば」「もしも」との付き合い。

2022-06-19 10:58:57 | 考えの切れ端
僕はどちらかというと、「たら」「れば」を言うタイプではない。それは生きていく上でのある種の強みではあります。だけれど、そういった「たら」「れば」「もしも」は創作や工夫の種なんです。もっというと、後ろ向きの「たら」「れば」「もしも」こそが物語を生んだりもする。人の、切っても切れない「弱さ」だからなのかなあ。

会話の中で「~~だったらよかったね」「そうだねえ」なんて言いあうとき、表面上は同調しても本気の部分ではそうは思わないで割り切っているタイプです。十代の頃に後悔と格闘したひとつの結論としてのものなのかもしれません。「決定」するということについて、じっくり考えたんだと思います。生半可に決定するものじゃない、というように。

それでも、割り切っているようでいて、他者に「~~だったらよかったのに」なんて言われると腹が立ったり。後悔させたいのかな、とか、他人の「後悔案件」への対処から学びたいのかな、とか、他人の後悔を知って自分だけじゃないと安心したいのかな、とか思っちゃう。

いろいろと経験してきた後悔の気持ちは、他者の気持ちをわかること(シンパシーやエンパシー)と繋がるだろうし、ある程度はそのマイナスを引き受けながら共感する能力を育むなどのプラスを生む意味合いで後悔をとらえるのがいいのでしょうか。難しいものですねえ。

それと、「後悔」に苦しむ人は、「反省」だけすると良いことも言い添えておきます。「反省」は、あれを今度こう直せばいいはずだ、などという修正案とともにやって、悔いたりしなくていいものです。「後悔」が重い人はドライな「反省」だけでいい。若いうちは特にそうでしょう。

そのときそのときの心の余裕を考えながらその度合いを決めて、極端に針を振らずに「後悔」とも付き合っていけるようになると、人としての厚みは増しそう。でも無理するべからず。ほどほどに、時間をかけて、だと思うのですがいかがでしょうか。

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近況としてですが、ただいま原稿を書いている真っ最中です。80~90枚くらいで終えられそうで、現在65枚でクライマックスに片足を突っ込んだ状態です。青写真はできていますから、とん挫はしないと思います。
また、4時間のパート勤務を始めたんです。時間の都合がよく、介護や家事や家の問題、そして原稿と向き合いながら働けるのではないかと思い、就くと決めた販売店の仕事です。
ちょっと更新の頻度が低くなりそうなのですが、どうぞ今後ともおつきあいよろしくお願いいたします。
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