Fish On The Boat

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『春の庭』

2023-07-26 23:20:10 | 読書。
読書。
『春の庭』 柴崎友香
を読んだ。

第151回芥川賞受賞作。くわえて、単行本未収録短編二点と、書下ろし短編一点を収録。

表題作『春の庭』は、妙な出会いというか縁というかによって話をするようになった、取り壊し間近の同じアパートに住む主人公・太郎と西という女性漫画家。この二人を主要人物として物語は進んでいきます。しかしながら、物語はどうなっていくのか、中盤まで読み進めていってもまったく先が読めません。僕にとっては「物語」というものの引き出しの外にある「物語」で、つまりは自分にとっての新種の「物語」なのかもしれない、なんて思いました。あるいは、「物語」のどのようなコードに対してもそのまま従うということをしない、というカテゴリに分類される「物語」なのかもしれません。とはいっても、僕の中にある「物語」の類型のストックがまだまだ少ないがために断言はできないのですが、それでもおそらく未踏の地を行く冒険家の類いの作風なのではないかと思いました。くわえて言うならば、派手な物語ではないのだけれど、現実というものの質感のある物語であるといったところでしょうか。

それが残り40ページくらいのところから、怪しい感じ、つまりこの先に何かあるなあ、という感覚になりました。それからそれまで三人称で語られていた人称がいきなり変わり、「え」と楽しくあたふたし、その後まもなく「やっちまってるじゃないか!」というふうにそれまで納まってきていた枠外に飛び出し、ねじれていく物語にわくわくしながらめまいを感じました。これは語りの技術だし、独自の表現方法でした。それで仕舞いの一行ですとんとそしてぐにゃりと着地させる技があります。その一行までのあいだの40ページくらいでは、ぎりぎりのところで読者をおきざりにするかしないかみたいな、でも技術的にはテンポやトーンを変えていて「ついてこれますか」と走っていくんです。さらに背後から忍び寄るような緊張感が漂いだします。それをたった最後の一行で見事に回収する、というか、解放する、というか、無に帰す、というか。相撲や柔道で、うまく投げられてしまった、という感じ、それに似ていたかもしれません。

全体をぼんやり見てみると、平常の感覚では、日常はつるんとしたものだ、と、とくに疑いもなくとらえている。それがなにかひとつ、気にかかったことをきっかけとして注意を与えると、そのつるんして見えてきた日常に実は存在している凹凸が見えてくる。たとえばそれは、小説を作るという一連の流れと似ていたりもするかもしれない(作り方にもよるけれど)。つるんとした細部の決まっていないアイデアを、粘土を練り造形するみたいに凹凸をこしらえていく、あるいは探り当てていきますから。そんなふうにもこの作品からは感じられました。

その他の短編も含めて、住んでいるアパートやマンションの重要度が高く扱われていました。本書の特徴の一つだと思います。そして、どこか不穏で、でもなまぬるさのようなものがあって、健全なのか不健全なのかわからないような安穏がある。

その他の短編のなかでは、書下ろしの『出かける準備』がとくに気に入りました。女性二人による、亡くなった知人の男の噂話のところがぐっときたのです。男と昔いっしょだった職場で、主人公ではないほうの女性がとてもしんどくてどこか遠くへ行きたくなっていたとき、男はなにげなく「だいじょうぶ?」と声をかけ、でも、冗談のようにそれはうやむやになるのだけれども、女性はそれで救われた、と今になって涙を流すのです。この男についての噂話はまだあって、それで一人の人間の多面性、立体性が浮かび上がりながら最後にこのエピソードで締められていて、ここらのあたりの没入感は違いました。

というところです。なんとなくですが、著者は実直に原稿に向う方なのかな、という気がしました。でも、他の作品をまた手に取ってみないとわかりませんし、一作だけの印象ってあてにならなかったりします。またそのうち、違う作品に触れてみようと思います。


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