読書。
『心の野球 超効率的努力のススメ』 桑田真澄
を読んだ。
高校時代はPL学園で甲子園で大活躍をし、プロ野球選手になると読売ジャイアンツで長年エースとして実績を残し、最後はメジャーリーグに挑戦しパイレーツでユニホームを脱いだ野球人、桑田真澄さん。彼が2010年に出版した自らの野球哲学、ひいては人生哲学の本が文庫化されたものが本書です。彼がずっと背負い続けた背番号「18」と合致する、全18章仕立てでした。
桑田さんといえば、天賦の才能を持った選手という印象と共に、日々一歩一歩、確実に向上していく選手というイメージもある方でした。努力を積み重ねていくことを愚直に体現した人、といってまったく間違いにはならないでしょう。他方、プロとして駆け出しのころには、不動産で騙されて多くの借金を背負ったり、先発投手情報をよそに流して野球賭博関連に関与したという偽記事の被害に遭ったり、メンタル面で追いつめられた時期を過ごされている。遠征先の札幌で、自殺を考えたこともあった、と本書では述べられていて、その心理状況がそのままのかたちで説明されていたりします。
さて、そんな桑田さんですが、「努力は楽しまなければならない」と本書の始めの方でまず述べています。彼は表の努力と裏の努力の双方が大切だといいます。表の努力は技術や体力などを向上させるための選手としての努力。裏の努力はトイレ掃除や草むしりなどの仕事を人の見てないところでしっかりやる努力。裏の努力は運やツキ、縁をもたらすと経験から述べているのです。
努力は量より質だし、努力と休養を「いい加減(「not 適当」であり、「よい塩梅」という意味のほう)」でやっていくのが身になる、と。努力の質の面では、毎日短時間でもコツコツ続けていくことを桑田さんはやってきて、超合理的かつ超効率的だと自ら評価していました。
桑田さんの言う、裏の努力、徳を積むことが自分に運や縁をもたらすことは僕にもわかります。余談ではありますが、以前、財布の中に3000円しかない状態でしばらく過ごさなきゃならない時期に、募金運動中の集団を見つけたんです。そのとき自分から歩み寄って100円だったけれども募金箱に入れました。赤い羽根をくれそうになったのだけど、少額だし断って帰宅しました。そしてその後……。二週間ほどで、30万円近く手に入れていた。まあ、競馬だとかのあぶく銭ではあるのだけれど、桑田さんのいう裏の努力や徳を積むことの跳ね返りを考えると、もしかするとこれ、僕のケースにも当てはまっているのではないかなあ、と思ったのでした。
閑話休題。次のトピックに移ります。
メリハリのある生活、生活のなかにリズムを持つこと。それらを桑田真澄さんが著書で「こういうのいいんだよ?」というふうに記されているのですが、想像してみるとすごく合点がいきます。朝6時に起きると決めたならば、なにがなんでもそれを守ることも説かれていて、こういうことでメンタルが強くなるから、とあり、それも納得がいきます。僕個人の場合ですと、介護をしていて大変なのって自分のリズムを被介護者に合わせるために崩れていくことですし、「朝6時に起きる」と決めても夜中に介護しなきゃいけなくて睡眠不足に陥り、「朝6時に起きる」が守れないことが起こる。決めたことを守ることでメンタルが強くなるのと反対に、守れないことでメンタルが削れて弱くなるのかもしれなくて、少しずつ疲れていって、しんどさは増していくのです。自分で決めた規律をひとつでも守れてリズムのある部分を作ることは、メンタル保護の観点からも大切かもしれないです。
あと、驚いたのが、PL学園からスカウトがきて、進学を決めたときの話。桑田さんには他校からもわんさか誘いが来ていて、なかには、桑田さんがウチに来てくれるのならば、他の野球部員もまとめてうちに進学してもらう、というものがあったそうです。でも、桑田さんはPLと決めていた。そこを担任の先生が、他の生徒もまとめて入れてくれるというのだから、他校の方にしろ、と勧めました。桑田さんが断ると、「友達を裏切って自分のわがままでPLに行くという薄情者」という烙印を押されてしまい、中学校にいられなくなって、三学期は転校を余儀なくされたとのこと。これはひどい話だなあと思いました。時代精神でしょうね、自分が他者の犠牲になるのでなければ許されないとされてしまう。主張してはいけない、自分の人生であっても人に譲らなければいけない、そういった考え方が当たり前のものとして多くの人が内面化していたんだと思います。僕も自分のメンタリティーを考えてみると、そういったところをよく気にするところがありますし、昔の時代の名残なんだろうな、と感じさせられました。
それでは、ここからは引用を。
__________
完璧を求める思いと心の平和は水と油だ。現状よりいいものばかりを求めていると、不満のみが増殖されていく。現状に満足し、感謝し、人生を楽しむ。完璧ばかり追い求めなければ、人生はそれ自体で完璧なのだ。(p85)
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→言い得てます。完璧を求めるというのはつまり理想主義のことです。そこで現実にきちんと目を向けてみると、実はそこに完璧さが見いだされるという、法話のような哲学だと思いました。
__________
しかし、ピッチャーの商品価値は、監督やコーチの価値観に左右されてしまう。このピッチャーを使うか、使わないのか、商品価値は各々の基準で決まってしまう。同時に、他人の評価を気にしてそれにあわせようとすると、自分を見失ってしまうことにもなる。「絶対」ということはありえない。(p103)
__________
→上司や先輩がいて、いろいろ指図や指示、命令をされて従わなくては行けなくても、自分自身のボスは自分なのだということをしっかりわかっていることって重要なんですよね。自分を見失うと、なにをやってもうまくいかなくなりがちです。僕も、気をつけないとと気を引き締めました。
__________
指導者が「一日に1000回素振りをしろ」と言う。身体ができあがっていない子どもたちが1000回全力で素振りできるはずがない。どうしたって1000回できるようにペース配分をしてしまうし、そのペース配分をした素振りを筋肉が覚えてしまうから、スイングが鈍くなるという悪循環に陥る。そうなってしまうのであれば、50回を全力で、一回一回集中して素振りをしたほうがよっぽど効果がある。少し考えればわかることだけれど、それがわかっていない指導者が本当に多い。(p115)
__________
→これは小説を書くことがうまくなりたい場合もそうです。ただ多作であったり枚数を書いていけばいいというものではない。そうすると、手を抜くところを覚えてしまい、言語化していく言葉が鈍くなるというのはあります。
__________
そんなある日、藤田(元司)さんにこう言われた。「桑田、野球っていうのは、もういいやってやめてしまうようではダメだよ。これでもかこれでもかってくらい食らいついていけよ。それが本当に野球に愛してる男のやることじょないか……」
僕は藤田さんのその言葉を聞いた瞬間、背筋がゾクゾクした。(p141-142)
__________
→のちに、数字が伴わなくなって、「潮時じゃないか」「引き際を考えろ」という先輩たちがいたそうなのですが、ボロボロになるまでしがみつけとおっしゃったのは藤田さんだけだった、と。そしてその藤田さんに桑田さんはとても感謝しているのでした。でも藤田さんは、自分でそう言ったことを「桑田、悪かったな」と後年、謝っていたそうです。
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身体の使い方を覚えるというのは、ある動きをするときに、今まで使えていなかった筋肉を使えるようにするということと同時に、その動きの邪魔をする筋肉をあえて使わないようにすることも大事なのだ。(p224-225)
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→これも小説を書くときに感じていたことととても似ています。あるシーンを書いていて、「あっ」とひらめくように哲学的なことが浮かんでくるのですが、それを原稿のそこのところに書いてしまうと流れが悪くなるし、おそらく読者の集中もちょっと切れてしまう可能性がある。でも、主浮かんだこともなかなか素晴らしくて、書かないともったいような気がする。それが、ここで桑田さんがいう「その動きの邪魔をする筋肉をあえて使わないようにする」から考えると、その哲学的なアイデアは書かないほうがベターになりますし、実際そうなんだと思えます。
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なぜならば、「格好悪い」というのは、人の評価で、人の評価ほど曖昧なもの、いい加減なものはないから。だって、それを評価している人間自体が完璧ではない。この世の中に「完璧な人間はいない」から。(p234)
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→これも、他人に自分を委ねてしまわないことの大切さが述べられている箇所でしょう。自分をしっかり持つことは、自分のことを考えて自分をよく知ることから始まるのかもしれません。そういった内省の習慣があってこそ、他人の評価に振り回されない自分が形づくられていくのかも。それと、世界をよく知ることも大事ですね。他者からの見方の替わりになるような客観性というものを持ちつつ、自分をしっかり保つこと、でしょうか。
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野球のいいところは、一緒に戦っている実感を味わえることだと思う。自分がよければみんなを助けてあげられるし、自分が苦しいときは誰かが助けてくれる。お互いが声をかけるとか、そういううわべのことだけじゃなくて、目に見えない信頼とか想い、そういう気持ちはベンチからも遠くで守っている野手からもマウンドには伝わってくる。そうやって一つの心でつながる野球が僕は好きだ。(p310)
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→これが、桑田さんの野球観の根底にあるものでした。僕にはとっても共感できる考え方です。
というところでした。本書に書かれていることは、選手としての桑田さんのイメージとオーバーラップするような論理の組み立て方だと思いました。シンプルに少しずつ構築していって、そのスタイルで高いところには上っていき、深いところには踏み入っていく。そうして見出したものをまたさらに積み重ねて、自分の目指すところへと進んでいく。
今、桑田さんは巨人の二軍監督をされていたはずです。どんな野球をそして指導をされているのか、好奇心が湧いてきました。
『心の野球 超効率的努力のススメ』 桑田真澄
を読んだ。
高校時代はPL学園で甲子園で大活躍をし、プロ野球選手になると読売ジャイアンツで長年エースとして実績を残し、最後はメジャーリーグに挑戦しパイレーツでユニホームを脱いだ野球人、桑田真澄さん。彼が2010年に出版した自らの野球哲学、ひいては人生哲学の本が文庫化されたものが本書です。彼がずっと背負い続けた背番号「18」と合致する、全18章仕立てでした。
桑田さんといえば、天賦の才能を持った選手という印象と共に、日々一歩一歩、確実に向上していく選手というイメージもある方でした。努力を積み重ねていくことを愚直に体現した人、といってまったく間違いにはならないでしょう。他方、プロとして駆け出しのころには、不動産で騙されて多くの借金を背負ったり、先発投手情報をよそに流して野球賭博関連に関与したという偽記事の被害に遭ったり、メンタル面で追いつめられた時期を過ごされている。遠征先の札幌で、自殺を考えたこともあった、と本書では述べられていて、その心理状況がそのままのかたちで説明されていたりします。
さて、そんな桑田さんですが、「努力は楽しまなければならない」と本書の始めの方でまず述べています。彼は表の努力と裏の努力の双方が大切だといいます。表の努力は技術や体力などを向上させるための選手としての努力。裏の努力はトイレ掃除や草むしりなどの仕事を人の見てないところでしっかりやる努力。裏の努力は運やツキ、縁をもたらすと経験から述べているのです。
努力は量より質だし、努力と休養を「いい加減(「not 適当」であり、「よい塩梅」という意味のほう)」でやっていくのが身になる、と。努力の質の面では、毎日短時間でもコツコツ続けていくことを桑田さんはやってきて、超合理的かつ超効率的だと自ら評価していました。
桑田さんの言う、裏の努力、徳を積むことが自分に運や縁をもたらすことは僕にもわかります。余談ではありますが、以前、財布の中に3000円しかない状態でしばらく過ごさなきゃならない時期に、募金運動中の集団を見つけたんです。そのとき自分から歩み寄って100円だったけれども募金箱に入れました。赤い羽根をくれそうになったのだけど、少額だし断って帰宅しました。そしてその後……。二週間ほどで、30万円近く手に入れていた。まあ、競馬だとかのあぶく銭ではあるのだけれど、桑田さんのいう裏の努力や徳を積むことの跳ね返りを考えると、もしかするとこれ、僕のケースにも当てはまっているのではないかなあ、と思ったのでした。
閑話休題。次のトピックに移ります。
メリハリのある生活、生活のなかにリズムを持つこと。それらを桑田真澄さんが著書で「こういうのいいんだよ?」というふうに記されているのですが、想像してみるとすごく合点がいきます。朝6時に起きると決めたならば、なにがなんでもそれを守ることも説かれていて、こういうことでメンタルが強くなるから、とあり、それも納得がいきます。僕個人の場合ですと、介護をしていて大変なのって自分のリズムを被介護者に合わせるために崩れていくことですし、「朝6時に起きる」と決めても夜中に介護しなきゃいけなくて睡眠不足に陥り、「朝6時に起きる」が守れないことが起こる。決めたことを守ることでメンタルが強くなるのと反対に、守れないことでメンタルが削れて弱くなるのかもしれなくて、少しずつ疲れていって、しんどさは増していくのです。自分で決めた規律をひとつでも守れてリズムのある部分を作ることは、メンタル保護の観点からも大切かもしれないです。
あと、驚いたのが、PL学園からスカウトがきて、進学を決めたときの話。桑田さんには他校からもわんさか誘いが来ていて、なかには、桑田さんがウチに来てくれるのならば、他の野球部員もまとめてうちに進学してもらう、というものがあったそうです。でも、桑田さんはPLと決めていた。そこを担任の先生が、他の生徒もまとめて入れてくれるというのだから、他校の方にしろ、と勧めました。桑田さんが断ると、「友達を裏切って自分のわがままでPLに行くという薄情者」という烙印を押されてしまい、中学校にいられなくなって、三学期は転校を余儀なくされたとのこと。これはひどい話だなあと思いました。時代精神でしょうね、自分が他者の犠牲になるのでなければ許されないとされてしまう。主張してはいけない、自分の人生であっても人に譲らなければいけない、そういった考え方が当たり前のものとして多くの人が内面化していたんだと思います。僕も自分のメンタリティーを考えてみると、そういったところをよく気にするところがありますし、昔の時代の名残なんだろうな、と感じさせられました。
それでは、ここからは引用を。
__________
完璧を求める思いと心の平和は水と油だ。現状よりいいものばかりを求めていると、不満のみが増殖されていく。現状に満足し、感謝し、人生を楽しむ。完璧ばかり追い求めなければ、人生はそれ自体で完璧なのだ。(p85)
__________
→言い得てます。完璧を求めるというのはつまり理想主義のことです。そこで現実にきちんと目を向けてみると、実はそこに完璧さが見いだされるという、法話のような哲学だと思いました。
__________
しかし、ピッチャーの商品価値は、監督やコーチの価値観に左右されてしまう。このピッチャーを使うか、使わないのか、商品価値は各々の基準で決まってしまう。同時に、他人の評価を気にしてそれにあわせようとすると、自分を見失ってしまうことにもなる。「絶対」ということはありえない。(p103)
__________
→上司や先輩がいて、いろいろ指図や指示、命令をされて従わなくては行けなくても、自分自身のボスは自分なのだということをしっかりわかっていることって重要なんですよね。自分を見失うと、なにをやってもうまくいかなくなりがちです。僕も、気をつけないとと気を引き締めました。
__________
指導者が「一日に1000回素振りをしろ」と言う。身体ができあがっていない子どもたちが1000回全力で素振りできるはずがない。どうしたって1000回できるようにペース配分をしてしまうし、そのペース配分をした素振りを筋肉が覚えてしまうから、スイングが鈍くなるという悪循環に陥る。そうなってしまうのであれば、50回を全力で、一回一回集中して素振りをしたほうがよっぽど効果がある。少し考えればわかることだけれど、それがわかっていない指導者が本当に多い。(p115)
__________
→これは小説を書くことがうまくなりたい場合もそうです。ただ多作であったり枚数を書いていけばいいというものではない。そうすると、手を抜くところを覚えてしまい、言語化していく言葉が鈍くなるというのはあります。
__________
そんなある日、藤田(元司)さんにこう言われた。「桑田、野球っていうのは、もういいやってやめてしまうようではダメだよ。これでもかこれでもかってくらい食らいついていけよ。それが本当に野球に愛してる男のやることじょないか……」
僕は藤田さんのその言葉を聞いた瞬間、背筋がゾクゾクした。(p141-142)
__________
→のちに、数字が伴わなくなって、「潮時じゃないか」「引き際を考えろ」という先輩たちがいたそうなのですが、ボロボロになるまでしがみつけとおっしゃったのは藤田さんだけだった、と。そしてその藤田さんに桑田さんはとても感謝しているのでした。でも藤田さんは、自分でそう言ったことを「桑田、悪かったな」と後年、謝っていたそうです。
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身体の使い方を覚えるというのは、ある動きをするときに、今まで使えていなかった筋肉を使えるようにするということと同時に、その動きの邪魔をする筋肉をあえて使わないようにすることも大事なのだ。(p224-225)
__________
→これも小説を書くときに感じていたことととても似ています。あるシーンを書いていて、「あっ」とひらめくように哲学的なことが浮かんでくるのですが、それを原稿のそこのところに書いてしまうと流れが悪くなるし、おそらく読者の集中もちょっと切れてしまう可能性がある。でも、主浮かんだこともなかなか素晴らしくて、書かないともったいような気がする。それが、ここで桑田さんがいう「その動きの邪魔をする筋肉をあえて使わないようにする」から考えると、その哲学的なアイデアは書かないほうがベターになりますし、実際そうなんだと思えます。
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なぜならば、「格好悪い」というのは、人の評価で、人の評価ほど曖昧なもの、いい加減なものはないから。だって、それを評価している人間自体が完璧ではない。この世の中に「完璧な人間はいない」から。(p234)
__________
→これも、他人に自分を委ねてしまわないことの大切さが述べられている箇所でしょう。自分をしっかり持つことは、自分のことを考えて自分をよく知ることから始まるのかもしれません。そういった内省の習慣があってこそ、他人の評価に振り回されない自分が形づくられていくのかも。それと、世界をよく知ることも大事ですね。他者からの見方の替わりになるような客観性というものを持ちつつ、自分をしっかり保つこと、でしょうか。
__________
野球のいいところは、一緒に戦っている実感を味わえることだと思う。自分がよければみんなを助けてあげられるし、自分が苦しいときは誰かが助けてくれる。お互いが声をかけるとか、そういううわべのことだけじゃなくて、目に見えない信頼とか想い、そういう気持ちはベンチからも遠くで守っている野手からもマウンドには伝わってくる。そうやって一つの心でつながる野球が僕は好きだ。(p310)
__________
→これが、桑田さんの野球観の根底にあるものでした。僕にはとっても共感できる考え方です。
というところでした。本書に書かれていることは、選手としての桑田さんのイメージとオーバーラップするような論理の組み立て方だと思いました。シンプルに少しずつ構築していって、そのスタイルで高いところには上っていき、深いところには踏み入っていく。そうして見出したものをまたさらに積み重ねて、自分の目指すところへと進んでいく。
今、桑田さんは巨人の二軍監督をされていたはずです。どんな野球をそして指導をされているのか、好奇心が湧いてきました。
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