リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ゆがんだ体面

2011-03-21 10:39:58 | オヤジの日記
浅草の三社祭の中止が決定したという。

おそらく準備期間を含めたら、今ごろ決定しないと各方面に迷惑がかかるかもしれないので、早めの中止を決めたのだろう。
それに、祭りどころではない、という心理的なものも影響していると思われる。

これを一つの例として、日本独自の祭りが雪崩を打って、中止になる可能性もある。

祭りの中止は、少なからず日本経済の停滞に影響すると思うのだが、実質的な経済より感情論を取るところが、いかにも日本らしいと言える。

つまり、体面というものだ。

いま祭りを開くのは、体面が悪い。
世間様から、何を言われるかわからない。

しかし、その世間様は、人様の体面にはうるさいが、自分がスーパーの棚にあるものを買いだめするのは、一向にかまわないのである。

ただ、多くの家庭が買いだめをしているわけでもないと思う。
ほとんどの人は、冷静に対処していると思いたい。

我が家では、買いだめはしない。
納豆家族である我が家は、スーパーやコンビニに納豆がないことに、一時パニックになったが、近所に移動販売のお豆腐屋さんが車で通ってくれるので、それを利用している。
価格的には若干高価だが、うまい納豆なので、文句は言わない。

インスタントラーメンやカップラーメンがなくても別にかまわない。
パンがなくてもいい。
米がないのは困るが、このパニックが一ヶ月以上続くとは思えないので、米を買いあさることはしない。
先日、スーパーを覗いたら、我が家が普段1580円で買っている米が、1980円の値段がついて、2袋売れ残っていた。

ケッ! と舌打ちをして、前を通り過ぎた。

バカにすんじゃねえよ、と思った。
消費者をなめんなよ!


話変わって、高校野球。
私は、高校野球にはまったく興味がないので、開催してもしなくてもいいのだが、この自粛ムードの中で開催する姿勢は、評価する。

ただ、これは中止にすると関係各方面に迷惑をかけるから開催する、という極めて実務的な計算によるものかもしれないが・・・。

高校野球を開催することによって、経済面で、すこしでも上げ潮になれば、それは意義あることである。

なんでも中止、自粛すればいいというものではない。

中止、自粛の体面よりも経済復興。
日本再生。

私は、それを第一に考えるべきだと思う。



ところで、高校野球を開催するのはいいが、チャリティという発想がなぜ出てこないのだろうか。
運営費を除いて収益は、すべて義援金に回す、という姿勢は体面的にもいいと思うのだが。

(あるいは、新聞を取ってない私が知らないだけで、実はチャリティだったりして。日本高等学校野球連盟のサイトでは、チャリティだとはひと言も書いてなかった)


テレビばなれ

2011-03-20 12:52:27 | オヤジの日記
こんなことを言ってはいけないのだろうが、明るいCMが見たい。

頻繁に流れるACのCMは、きっといいことを伝えようとしているのだろうが、こちらに理解する能力がないから、脳の奥に入っていかないのだ。

私は、テレビをあまり見るほうではないが、余計見なくなった。

ニュースは、FM放送とインターネットに頼っている。

とりあえず、不便はない。

緊急の地震は、FM放送とiPhone版の「ゆれくるコール」というアプリで教えてくれるから、テレビを見なくても問題ない。


ということで、完全にテレビ離れが進んだ我が家だった。


野球どころではない

2011-03-19 12:10:40 | オヤジの日記
韓流スターが震災後すぐ、多額の義援金を提供した。

それに対して、ごくごく少ないものだとは思うが、「日本で稼がせてもらったのだから、それくらいは当たり前」という心ない意見もあった。

あるいは、これも極めて少数意見だとは思うが、日本の著名人の寄付の額が、「多い少ない」と非難する向きもあるようだ。

私は、寄付金額に当たり前のものはないと思っている。

そのすべてが善意であるという完全肯定はしないが、助かる人が一人でも多くなるなら、それは有効だという考えている。

なかには、こんな意見もあった。
普段は電気使い放題で、食べ物も粗末にしている人が、多額の寄付をしたとしても、自己満足としか思えない、というものだ。

しかし、それでも私は、いま一人でも多く助かるなら、その行為は献身的であると思う。
有意義であると思う。

いま困っている人が助かること・・・・・それが重要なのだ。

小さな理屈付けは、いらない。
助かればいい。


まったく違う話になるが、プロ野球のセ・リーグが3月25日の開催を決めた。

しかし、そのことで色々な方面から意義を申し立てられているらしい。

東京生まれの東京育ちだが、幼いころからアンチジャイアンツだった私は、子どものころテレビで放映されていたジャイアンツ戦の中継を見て励まされたことは、一度もなかった(いや、中継を見たことがなかったから当たり前か)。

ただ、それは私がアンチジャイアンツだからで、「ジャイアンツ愛」に包まれた人は、おそらく励まされたに違いない。

被災された方の中にも、ジャイアンツフアンは大勢いることだろう。
その人は、ジャイアンツの選手の誰か(選手の名前を知らない)の活躍に、励まされるかもしれない。

しかし、それも彼らがテレビで中継を見ることができたらの話である。
彼らの活躍を見る機会がなければ、励ましにはならないと思う。


東京ドームでの一試合の興行で、電気をどれだけ消費するか、私は知らない。
夕刊フジのサイトで「5万~6万キロワットを消費する」とあったが、それは何世帯分の電力なのだろうか。

数千世帯分になるかもしれないが、詳しいことはわからない。
そこは、電力の専門家の発表を待つしかない。

プロ野球という娯楽がもたらす目に見えない励ましを取るか、現実的な電力の供給を取るか、と言われたら、私は迷いなく後者を取る。

しかし、人それぞれ価値観は違う。


プロ野球を興行する側は、会社や選手、スタッフの生活権というものがある。
毎年の契約更改をしたときに、こんな想定外の事態のときに、給料の支払いはどうなるかを想定して契約する選手は少ないのではないか。

球団に属する職員は、入場料その他が入らなければ、生活権を犯される。
プロ野球興行に携わる人が何人いるかは知らないが、セ・リーグ側は、そんなことも考えて、強行開幕に踏み切ったのだと思う。

そして、意地悪な考え方をすると、セの経営者側は「開幕してしまえば、何とでもなる。時間がたってシーズンが終わるころになると、開幕時のゴタゴタなんか、みんな忘れてしまうよ」と思っているのかもしれない。

ただ、史上例を見ない災害を冷静に受け止めるなら、「プロ野球の開幕どころではない」というのが、私の正直な感想だ。


いま開幕したら、「あんなときに野球を開催したプロ野球は、非常識だ」という汚点を歴史に残すかもしれない。


「第2次世界大戦後、プロ野球は、それほど間をおかずに開幕した。だから、今回も開幕を」という意見の人がいたが、戦後の電力事情と今回の電力事情は別である。

比較にならないものを都合よく比較しても意味はない。


アンチジャイアンツの私としては、歴史に汚点を残した球団、あるいはセ・リーグ機構が没落することは一向に構わないが、現実は「電力量の確保」にある。


野球どころでは、ない。



明日への希望

2011-03-18 16:39:26 | オヤジの日記
我が家では、3回目の計画停電が終わったばかり。

ただ、我が家では、計画停電ではなく「無計画停電」だと言っているが。


テレビの災害報道は、相変わらず見ない。

惨状や悲劇を映してばかりの報道に、正直うんざりしている。


明るい希望を感じさせる報道があったとしても、日本テレビ系列で夏に行われる恒例の24時間テレビの域を出ていないので、恣意的な感じがする(私はひねくれものなので)。

「~が足りません」という切実な訴えを見かけると、何かしなくては、と思う。
しかし、ひとりでやきもきしても、事態は前に進まない。

どうせ24時間テレビのような放送なら、たとえばテレビ局側が、トラックを数十台用意して、それに物資を詰め、有名人が乗り込み、被災地に運ぶという放送をやってみたらどうか、と妄想的なことを考えている。

最初から物資を詰めたトラックや、最初は何も積んでないが、行く先々で沿道の人から物資を集めるトラックを時間差で走らせ、中継局まで来たら「目的地まであと何キロ」というテロップを流す。

そして、それぞれの被災地に、物資を届ける様子をリアルタイムで放送する。
有名人が先頭に立てば、救援物資も相当集まるのではないだろうか。

義援金を集めるのもいいが、物資がストレートに被災者に届いた方が、もっといい。


これは、明日への希望に繋がるものだと思うが、妄想的過ぎるだろうか。


昨晩、電気が落ちて暗いなか、妄想を膨らませた私だった。



東京電力はお殿様か

2011-03-17 11:17:43 | オヤジの日記
昨晩、我が家も計画停電を経験した。
2時間だけ、電気が止まった。

覚悟していたことなので、不便はそれほど感じなかった。
不便を感じないように準備は進めていたので。

ただ、我が家は、ガスは風呂しか使わない「半オール電化」だったので、調理のために「ひと口ガスコンロ」を買った。
その出費だけが、予定外だった。


この極限の状態で、東京電力に文句を言っても仕方がないとは思うが、停電を経験した側から言わせてもらうと、今回のことは、はじめに「計画停電ありき」だったのでないかと私は疑っている。

ものの順序として、最初に来るのは、まず節電だろうと思う。
しかし、「節電」を強く呼びかけることなく、いきなり「計画停電」。
利用者が拒めない状況を否応なしに作って、力技で電気を停める。
まさしく「有無を言わせぬ」状態で、東京電力が電気を人質に取った観がある。

なぜ「節電」では、いけかったのか。
東京電力側は、ユーザーを信用していなかったのか?

節電のできないユーザーだと、最初から見下していたのか。


さらに、この電気を人質に取るお殿様は、お殿様であるがゆえに、人に事実を伝えようとしない体質があるようだ。

「ユーザーは我慢するのが当然」という発想が強すぎるのではないか。


初めてのことなので混乱しているのは理解できるが、隠し事はよくない。

電力使用料を取っている分だけの説明責任は果たしてもらいたい。

企業がユーザーから金を取る以上、最低限の義務は果たしてもらいたい。


それは、少しも難しいことではない・・・とユーザーは思うのだが、お殿様は別なのか。