『平穏死』、今朝のNHK R1 ラジオ深夜便、四時台『明日への言葉』の中で初めて聞いたこと言葉である。
語り手は、『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』(講談社)、『「平穏死」という選択』(幻冬舎ルネッサンス新書)などの著者、特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医、石飛幸三(いしとびこうぞう)氏。
2018年07月04日のブログ「
医は算術?」中で、昨今の医者どんへの「???」を書いたが、今朝のお話を聞く中で、この「???」はすとんと消えた。
自分が医療に求めているものは、延命ではない。皆が迎える老化現状なら、多少の痛みがあっても、不自由があっても、それはそれで受け入れていこうと思っている。
ただ、今を生きていくうえで、痛みは少ない方が良いし、手術や眼鏡などの技術を使って補える部分があるのなら、自分の財布の中と相談して治したい。
そう思う。
数年前に母をおくったが、認知症が進み意識朦朧の中で、頻繁に誤飲し肺炎等を起こした。体は床ずれで見るも無残だった。
生きたいのなら、少しでも長生きしてほしいとの思いだったが、今自分に置き換えて考えると、間違ったように思っている。
味もわからない食べ物を口にお押し込むように食べさせられ、その結果肺炎等を起こし、医療行為を受け、もう余命いくばくのないのに、まだまだ頑張れがんばれと言われ続ける。もうここいらでよかろうかいと思っている当人にとっては、とても辛いことなのではないだろうか。
「人は老衰などで体が弱ってくると自然に食が細くなる。食べ物をとらなくなると人の体には自然麻酔が効いてきて、眠くなるようにできている。こんこんとした眠りの中で息を引き取り、しまいには土に帰っていく。それが自然の仕掛けだ。」
「今は生きているのだから、その今を大切に、前向き過ごそう、そのための医療だ」
「医療は、頑張れ、頑張れという『煽りの文化』ではなく、『鎮めの文化』へ向かうべき」
「エンジョイライフから平穏死へ。ゆっくり坂を下っていけるよう支えるのが医療の役割だ」
自分のうまく言えなかった思いが、石飛氏の語りによって、一つ一つ腑に落ちた。
医者どん、といっても普通の人なわけだから、間違いもするし、分からないことも多いのだろう。
技術・知識を売り物にした『分別のない名医』より、患者の生活状況、立場を踏まえて生きる力をくれる『分別のある普通の医者どん』。この辺が、現代の「医は仁術」ということなのか。
朝から、いいお話が聞けた。
『あら楽し 冥土の旅は 花盛り』
伊藤左千夫のお父さんの辞世の句、こんな心境が一番なのだろう。
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<今日は何の日>
2000(平成12)年の今日、42年ぶりの新額面紙幣、二千円札が発行されました。
二千円札の発行を企画したのは、当時の小渕恵三内閣総理大臣だったそうですが、小渕さんはなくなり、二千円札もめっきりみませんね。
あの、二千円札、今はどこに溜まっているんだろう?