今朝も4時前に目が覚めてしまい、ラジオ深夜便で時間を過ごした。
3時台はサーカスの特集をしていて、懐かしさのあまりふとんから抜け出してステレオ音源で、『ミスターサマータイム』などを楽しんだ。
つい先日のような気もするが、もう40年も前のヒット曲である。
当時の自分と今の自分、同じようであっても同じではない。あっという間の時間の隔たり。
まさに、「光陰は矢よりも速やかなり」である。
続く4時台明日への言葉は、ホスピスケアのある野の花診療所(鳥取市内らしい)の徳永先生による「豊かな終わりを見つめて」というお話しで、死についての考え方をじっくり聞くことができた。
現代は、何でもかんでも病院に行き、年をとれば家族に迷惑をかけたくないと介護施設に入る。
そして最後は知らない人たちの中で一人死んでいく。
死に向かったベルトコンベヤーにのっているような社会だけれど、人はもっと自分の死についても個性を求めていいのではないかというお話しをされていた。
近代医療がどんなに進んでも、死の数は変わらない。医療は万能ではなく一面的な対処にしか過ぎない。人はいずれ必ず死ぬのだ。
世の中、だいたいのことは変えていけるけれど、人が生まれてくる、死んでいくというのは、思い通りにはならない。
人の生命は科学では解明できない自然物なのだ。
本当に先生のおっしゃるとおりである。
だとすれば、自分の選択肢の一つとして、老いも病も受け入れて、自然に近い形で生を全うするという生き方もいいなぁを感じた。
「自然に亡くなっていく姿は忌み嫌うものではなく、豊かなものだ」
そんなしめくくりだった。
****記憶に残ったフレーズ
〇ユーモアとは、「・・・にもかかわらず、笑う」
苦しくて仕方がないときでも、思わずくすっと笑ってしまう。それがユーモアである。笑いは、人の辛さを和らげる。
〇日常は適当に生きているけれど、死を迎える時はみな、「まさかわが家に、なぜ私が」と真剣になる。死はどうしても避けては通れないものだ。
今朝はいいお話をきけた。
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<今日は何の日>
今日は、七十二候の『楓蔦黄(もみじつたきばむ)』です。
近所のもみじも少しずつ色がつき始めました。