まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

前夜の気まぐれ?

2018年11月20日 | 読経の日々
今年の夢をしめくくる年末ジャンボ宝くじが明日から発売されるようだ。
 
年数回のジャンボ宝くじは、気が向くと買っている。
当選番号抽選日までのわくわく感が楽しい。
 
もしあったらどうしよう!?

1億円当たったら、年一千万円ずつ使っても10年(70歳越)、10億円も当たったら100年(これはどう考えても自分の意思じゃ使えない)も使える!
さてどうしよう?
『八万四千の煩悩』をめいっぱい膨らませるのが楽しい時間だ。
 
ところが現実は以前所さんがCMで歌っていたとおり、「年末ジャンボ、カラっくじ!」なわけで、末等300円をもらい、ほんとおりゃツキがない人生だなぁとぼやきながらも、まあ、収益金は公益事業等に役立つらしいから、と自己満足で終わる。
これがいつもの宝くじストーリー(笑)。
 
煩悩、欲は、行動に移せば自分の苦痛、心を苦しめるもとではあるけれど、これがなくちゃ生きている楽しさも意味もない。

宝くじなどは、その縮図だと思う。
 
日々の生活では、「年一千万円ずつ使っても・・・」などと妄想したところで、貧乏性の私の欲望はせいぜい1、2年で満たされ、さてどうしようと、お金の使い道に困る。
 
古い軽四を最新の軽四に替えたい!
祖父母の代からの作業場(物置)など老朽化してきたものどうするか?
母屋も建て替えちゃうか!
 
これ、全部すぐやっても三千万円もあれば事足りるかも。
 
お金は便利で、なんにでも化けるから、たくさん残せば”仲の良い兄弟姉妹も他人の始まり”のトリガーになることは間違いない。
 
働ける程度の健康がある限り無理せず働く+将来の少しの公的年金+40年以上の勤労生活の余剰(多少の蓄え)=たぶんだいじょうぶ!

自分の生涯賃金の数倍のような、根拠のないお金はこれからの生活には必要はない。
これが今の目論見だ。
もちろん、人生の第4コーナーを回ったところでのもし・・・があれば、それもどんな展開になるかおもしろそうではあるけれど、お金の増やし方をしらない貧乏性が使い方に悩んで生きるより、毎日最賃の日銭でその日を過ごす生活の方が自分らしい。
 
目論見が外れたとき、最後は、子たちや社会の救済制度を受けよう(__)。
 
40歳代後半からボーナスがでるとユニセフや国境のない医師団を通じて少額だがお布施してきた。
その縁でDMが届いていた。
 
ここ数年最賃生活の構築で余裕がなかったが、今年はジャンボ宝くじを買わず両団体に少しずつ送金した。
 
しょせん、私の都合、気まぐれではあるけれど、きちんとした組織を通じて、私の思いというか、自分自身というかが、少しでも新しい命に受け継がれていくというのも気持ちのいいものだ。
 
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<今日は何の日>
今日は、『世界こどもの日』です。
 
コメント
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