まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

自重を減らす大切さ

2020年06月05日 | 日記

カミさんのたっての希望で、ユニットバスを交換した。

設置後三十数年たち、浴槽の表面は荒れて、水漏れも疑われたけれど、解体したブツを確認したら全然問題なかった。

壁面も汚れてはいても、水漏れはなかった。
手入れさえしっかりしたら、まだまだ使えたブツではあった。

泡の出るタイプ、貧乏性の私には『無駄』としか思えないけれど、自分の退職金の一部でなおすというので、ほおっておいた。

契約はずいぶん前に行ったが、コロナ騒動で工事はずっと伸びて、ここ来て工事を完了し、きれいなお風呂に生まれ変わった。

これは、これで結構なことだけれど、この工事の初日、カミさんが仕事先の階段から転げ落ちたといって、指を骨折、頭をぬったひどい状態で帰ってきた。

幸い外観だけの負傷ですみ、元気にしているのが救いである。

笑い話的だけれど、ずいぶん長い時間を過ごしてきたので、この際外観はいい。

鬼滅の刃的に、首のないカミさんでも、普通に話せて暮らせれば、まあいいかとも思う。(笑)

カミさんは、二十歳のころの体重からは予想もつかないほど、丸々となった。

パンパンである。

私自身も当時から15㎏ほど増え、対策の日々ではあるけれど、たぶん、現在のカミさんは私の体重をゆうに超えていると思う。

あえて体重を聞けばもめごとの種になるから、「もう若くはないのだから、毎日歩かないと歩けなくなるよ」とか、「夜中まで起きてお菓子を食べていると六十代後半には辛い日々になるよ」とは言ってきたのだけれど、そんな心配が現実になった。

動かさない筋力は日々急激に衰える。

気持ちは若い時のままではあるけれど。

ちょっとつまずく。
予想以上の自重に体を支えられない。

物の断捨離も大切だけれど、自分の体に溜まった断捨離も、体に活力があるうちにしっかりやっておくべきかもとおもった出来事だった。

人はラクをしたい。

でも、お菓子を食べて(酒を飲んで)寝て暮らし、泡のお風呂に入って『極楽気分』
これは一時の楽しみだからいいのだろう。

気づかないけれど、自分の体の細胞は日々死んでは生まれ変わっているという。

一年も経てばみな入れ替わって、別人のようになっている数の世界だと聞いたことがある。

「俺が俺が」の日々だけれど、自分の体の細胞は、方丈記の諸行無常である。

いつも人とかかわりながら何かをしていく、ときどきお菓子を食べて寝て暮らし、泡のお風呂に入るくらいが、自分の小人的な『極楽』なのかな。

未だ、死んだら『仏』になる、極楽に暮らすという糸口は見つからない。

私は今まで、たくさんの嘘もついたし、たくさんの人の心を傷つけてきた。仕事にかまけて親の見取りも十分できなかった。

こんなパターンは、たぶん地獄に落ちるのだろう。
だったら、生きているうちに一時でも極楽を見つけたいと思う。

コメント (2)
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