今日は、とにかく暑い。
朝から、さっきまで、地域の役仕事。
もうなにもやる気がしない。
こんな時間、夕方の蝉しぐれの中、熱風の中に、ときどき混じる涼風を感じながら、ラジオを聞くのが好きだ。
ブログで、あいみょんがいい、と何度か書いたけれど、「麦わらの帽子の君が・・・」、あのフレーズの感性である。
孫のような娘に、あれを歌われ、感動してしまっては、ジイサンマン、かたなしである。
NHK R2の停波の話題をブログに書いたけれど、民放の中波放送も、生活ノイズの増加や送信コストの問題で、縮小や停波の方向に動くという話は、少し前にあった。
AM放送(振幅変調、短波放送もこの括り)は、波長が長いので、とても大きな出力アンテナがいる。
建設、維持には相応のお金がかかるのは間違いない。
以前、ラジオ日経の送信所(千葉県長柄町)を見に行ったことがあるけれど、広大な土地だった。
経営側のバランスをとれる経営にしたい。
それは、間違いではないと思う。
でも、全体で考えたらどうなんだろうか。
>エアコンをきかせ、長袖シャツを着て、みてもいない動画コンテンツをBGMで流し時を過ごす。
>夕方の蝉しぐれを聞きながら、熱風の中にときどき混じる涼風を感じ、もしあったらだけれど、朗読とか、いい話をきかせてくれるコンテンツをきいて過ごす。
生活スタイル、文化の問題だけれど、あっつければ、それを受け入れて、気持ちを今に充実させる。それも悪くないと思う。
お金もかからないし、自然に近い。
ラジオのようなシンプルなメディアも、『日本の夏』の文化には必要だろう。
私がよく聞く放送局は、TBSラジオである。
どこも厳しい経営環境なのだろうけれど、TBSラジオは、いちはやく野球実況をしない方針を出した。
コロナのない、いつもなら、夕方のこの時間、野球放送一色だのだけれど、TBSラジオとNHK R2は野球以外のコンテンツを与えてくれる。
落語や朗読の番組もあり、時評番組は充実している。
聞く人目線でとても頑張ってくれていると感じる。
ラジオという文化も、電波の特性も含めてよく検討し、緩やかに変えて行って欲しいなぁ。
そろばんは長い時間をかけて電卓に置き換わったけれど、そろばんの計算をイメージする(数をみて、瞬間に合計値等を把握する訓練)という文化は、今も必須だと思う。
ラジオも、ある意味、言葉を自分のイメージとして取り入れる能力を鍛えるツールではないかと思う。