まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

毎日唱える呪文(2) 自業自得と因縁

2020年08月14日 | 読経の日々

曹洞宗では、般若心経、観音経、妙法蓮華経如来寿量品偈、大悲心陀羅尼、舎利礼文、修証義といったお経がよく読まれているようで、私の手に入れた曹洞宗檀信徒勤行という、普及版の経本にもそのいくつかがのっていた。

後に、解説書などを手に入れて読んでみると、仏教のお経は、物語としても興味深いと思うようになったけれど、実物は、日常の日本語からはかけ離れた難解な漢字の音読みで、まったくその意味は解らない。

唯一、繰り返し読んでいるうちに少しづつ言葉が入ってきたものが『修証義』だった。

『修証義』は、道元禅師が著した『正法眼蔵』から抜粋した言葉を口語体で表記したお経だという。

口語体で書かれているといっても、戦後の日本語教育の中で生きてきた私には、とてもとっつきにくい。

死生観、人生観、無常観、因果観、業報観など、自分と向き合ってラクに生きるためのヒントがたくさん書かれているが、特に、「ああ、そいうことか」と最初入ってきたのが、『自業自得と因縁』で、『懺悔文(さんげもん)』という短いお経だった。

我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生
一切我今皆懺悔

物事の結果(今)は、すべて自分で作った原因と今にいたるまでに自分が選択してきた条件、環境で生じている。

今の苦しい状況は、誰のせいでもない。
反省すべきは、お前だ!
また、それを改めてよりラクに生きられる時間を築けるのもお前だ!

そんな意味だと理解した。

もちろん、頭の中では、自業自得、因縁という言葉の意味は知っていた。

けれど、こういう具体的な言葉にふれ、振り返ってみると、自分が今まで生きてきた時間の中で、どれだけ他人を妬み、恨み、虐げて、意味なく腹を立て、他人に迷惑をかけて生きてきたか、その結果たくさんの敵をつくり、自分がどれだけ苦しんだか。

単に、知っているということと、そのことを理解し、納得することは違う。

もちろん、私は今でも『スーダラ節』のノリで生きている、そうとう強欲ジイサンである。

だから、この『懺悔文』という呪文を毎日唱えて戒めとしている。

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