まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

静かな時間

2020年08月30日 | 読経の日々

午前中は、地域の役仕事で外を動き回った。

残暑の日照は、ジリジリ肌が焼ける感じで、危険な暑さだった。

午睡をし、気持ち的に少しラクになった時間で、写仏をした。

仏像などを、これがご本尊さまだから、有難がれ。
と言われても、私には理解ができない。

偶像にどんなにお布施という名で、お金をつぎ込んでも、お願いしても、事態は好転しないと思っている。

ただ、優れた仏教美術や仏像。

綿々と地域の人々が守り受け継いできた仏像などを前に、静かな時間を持つことは、とても清々しい。

情緒的だけれど、神々しさを感じることもある。

仏教美術や仏像、田舎の片隅に残る、庶民の心、生活が紡いできた仏像などを崇める気持ちは経験的に受け入れる。

そういう点では、偶像もメンタル的には大きなご利益があると思う。

Web上には、写仏、写経のツールを無料公開しているサイトもあり、随分前からそんなツールをDLし、印刷して、徒然の時間を過ごしてきた。

観音様の細かい柔らかい輪郭線や、意味のわからない般若心経の漢字に集中してなぞっている内に、とてもいい時間となる。

モーツアルトと写仏、写経の、和洋折衷も案外いい。

何かに集中するということは、その分余計なことを忘れるということかもしれない。

今日も、いい休養時間になった。

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