人は嫌いではないのだけれど、組織に入ってできる人間関係には、今でもとてもストレスを感じる。
ウォーキングについても、歩こう会のようなグループに入って、同世代の、知識を持ったみなさんと楽しくやれば、もっといい時間が過ごせるかもしれない。
仏教についても、お寺などで開かれる勉強会などに参加すれば、きっともっと深くいろいろなことに気づくのかもしれない。
そうは思うのだけれど、どうも一人がいい。
幸い昨今は、You Tubeでいろいろな情報を教えてくれる番組が多くなってきているので、そんなところで勉強させてもらっている。
人間関係不得手にとっては、こういうのは本当に有り難いと思う。
真言宗須磨寺派大本山 須磨寺副住職、小池陽人さんのご法話もよくYou Tubeで拝見している。
少し前ならば、わが家の檀那寺とは宗派も違うし、600Km近くも離れた須磨寺の副住職さんにご縁があるはずもない。
小池陽人さんは、若くてかっこいい。
そのまま大河ドラマにもいけそうな、と思っているのだけれど、中身はもっといい。
やさしい語り口で、お年なりの、明るい先を感じさせてくれる、いつも心に残るお話をしてくれる。
私自身は、祖母、父母の日常を通じて、昔から農村社会を支えてきたお釈迦様の教えを、習慣という形で、知らないうちに学んできた。
でも、朝から晩まで家にいないサラリーマンになった私には、子たちになにも使えることができなかった。
家族、みなばらばらの生活だ。
自分の過失を、若い世代に安易に申し送るのはダメだけれど、陽人さんのような若いお坊さんが、宗派(教えを学ぶ便法)を超えてお釈迦様の教えを広めてくれれば、多少は、日本人の心にも明かりが灯るのかな、最近は、そう思っている。
そんなご縁で、ある番組の中で紹介されていた坂村真民氏の詩集を買い求めて、毎朝数作品を読んでいる。
心がザワついているとき、気持ちが塞いでいる時には、ビタミン剤のようにじわっと来る言葉に出会う。
これ、なかなかいい。
著作権もあるのだろうから、全文を紹介はしない方が良さそうだけれれど、今朝は『生きていく力がなくなるとき』という詩に励まされた。
「死のうと思う日はないが
生きてゆく力がなくなるときがある
・・・」
という短文。
そう思っているのは、自分だけではないんだと気付かされた。
どんな自分だって、それをうけとめて生きる、ってことは、その日々が大変なことである。
合掌拝