まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

只見の河合継之助記念館はクサムシの大攻撃をうけていた(只見の旅2)

2016年10月21日 | 旅行

いつのころ(50歳を過ぎたころ?)からか、すごく頑張れないけれど、そんなに眠らなくてもいい体質になりました。10月18日の朝は、ジャスト4時に”お目覚め!”

トイレにいったら、すでに歯磨き・洗面をしている方が数名いました。長距離のドライバーさんなのかな?

ぜんぜん眠った感じがしませんでしたが、数時間は記憶が飛んでいる!大丈夫、眠ってる!

河合継之助記念館は、10時開館。
残す距離は、180kmあまり、計算どうり!のはずでしたが、房総の田舎道どころではない走りやすいスカスカの走行環境で、9時には現着。

眠るか?、歩くか!
せっかくなので、付近を散策してみることにしました。

記念館前は、鶴が飛来するという只見川の清流が流れ、使用されていない只見線の線路は草で茫々でした。


鉄道という外の世界へつながる乗り物も、時代に合わなくなれば淘汰され、埋もれていく。この草茫々が、継之助の活きた時代とかさなり、とても印象的でした。

集落のはずれの医王寺まで継之助のお墓参りに歩くと、おお、うちのかあちゃんのいうとおり!
民家のすぐ近くなのに、クマがでるようです()

自然とヒトがせめぎ合って共生している厳しい環境なんですね。
房総のように、観光気分で山道をふらふら散策してはいけないところなんだな、と感じました。

分骨されたお墓のあるお寺です。今は無住のようでしたが、ものすごく雰囲気がありました。奥の石塔がお墓で、

こんな感じでした。

10時になり、記念館(継之助が亡くなった地とのこと)が開きました。

どこかの老人クラブのご一行さんが一緒で、「くせえ、くせえ。クサムシだらけだ」と騒ぎ出しました。
クサムシ?
よく見ると、入り口のガラスに強烈な臭いのあるカメムシがびっしついてうごめいています。異常発生?!いやいやびっくりです。こういう光景初めて見ました。

継之助終焉の間などの展示物を見ながら、しばし小説『峠』の世界にワープ。

 

R252で、六十里越雪わり街道に向かう途中、八十里越につながる道路(R289未開通)の入り口があり、担架で運ばれてきた継之助一行をイメージしました。

時空はちがうけれど、150年くらい前に、この場所に、長岡の国づくりを夢みて突き進み、挫折して、死を覚悟した河合継之助の時間があった。そこに、何もできずに還暦近くまで生きてしまった腰抜けじいさんの自分がいる。
太く短く熱く生き抜いたヒト、生きているヒトは、憧れです。

その交差点には、八十里越してきた継之助一行が休憩したといわれている叶津番所跡が保存されていて、ここでも、思いき切り深呼吸。小説の世界の空気をこれでもか、と吸い込んできました。

今度『峠』を読み返すとき、違う世界が見えてくるかもしれない。そんか感じがする時間になりました。

 

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