本納(ほんのう)市街を後に、新茂原(しんもばら)駅を目指しました。
この間で気になっていたのが、いつも車窓から見える貨物列車の引き込み線跡地、駅周辺遺跡になりますが、太平洋戦争時の航空機を隠したという掩体(えんたい)壕です。
この2ヶ所は立ち寄ってみたいと思っていました。
本納市街を抜けて、国道128号線を横切ると、前方に線路が見えてきて、線路沿いに農道が続いています。
下り線路の進行方向左側に沿った農道を歩いていると、いつも車窓から見ていた引き込み線(貨物)が見えてきました。
茂原市は、昭和の時代、三井東圧、日立製作所、東芝など大手企業の工場ができ、近隣町村の中心として栄えました。
この使用されていない線路は、三井東圧への専用線が外房線と分岐したあたり(新茂原貨物駅)の風景です。
同じような変化の少ない日常の繰り返しですが、時間は確実に移ろい、現在は、大手企業は撤退し、新茂原貨物駅周辺は廃墟のようでした。
線路からは外れてしまうのですが、この辺りから掩体壕を探して歩き始めました。
新茂原駅周辺から三井東圧付近にかけては、昭和18年ごろに海軍の飛行場(大日本海軍第252航空隊基地)がありました。
今は、民家が立ち並ぶ地域柄ですが、少し前には、航空機が飛び交い、私の親世代は、戦争をしていた場所です。
済んでしまったことではありますが、こういう事は忘れ去ってはいけないのかなと思います。
掩体壕は、2000年ごろに一度見学したことがあるのですが、最近は取り壊しも進んでいるとの話もあり、近くにいったら、再度様子を見てみたいと思っていました。
当時、バイクでは、至近距離だった記憶があるのですが、ここで、大失敗。
良く調べて行かなかったので、見事に迷子です。
(2000年頃に撮影した掩体壕:現在の状況は未確認です)
(大正期に外房線等を走った8620形テンダー蒸気機関車:萩原交通公園)
茂原市立萩原交通公園付近へ出てしまい、更にダメ押しの方向音痴で、新茂原駅を飛び越して、茂原駅方向へどんどん歩き、途中から、Uターン。
大幅無駄歩きで、トホホでした。
15時過ぎ、新茂原駅へ到着。
「もう、ここから電車に乗ろうかな!」
相当弱音が出たのですが、ここからは、「あと一駅頑張ろう!」の繰り返しでなんとか歩きました。
新茂原、茂原駅間は、高架下が遊歩道になっていて、車の心配もなく歩けました。
茂原市のマンホールの蓋。
カラーの物は見えませんでしたが、この図柄のものがだいぶ目に入りました。
ようやく、どうにか、やっとの思いで、16時少し前に、茂原駅へとどきました。
本納―茂原(営業キロ6.6Km) 2015年2月10日
歩いた歩数 16,822歩(11.91 Km)