まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

房総駅間ひとりウォーク(JR本納駅~JR茂原 営業キロ6.6Km) 

2015年02月19日 | 房総駅間ひとりウォーク

本納(ほんのう)市街を後に、新茂原(しんもばら)駅を目指しました。

この間で気になっていたのが、いつも車窓から見える貨物列車の引き込み線跡地、駅周辺遺跡になりますが、太平洋戦争時の航空機を隠したという掩体(えんたい)壕です。
この2ヶ所は立ち寄ってみたいと思っていました。

本納市街を抜けて、国道128号線を横切ると、前方に線路が見えてきて、線路沿いに農道が続いています。

下り線路の進行方向左側に沿った農道を歩いていると、いつも車窓から見ていた引き込み線(貨物)が見えてきました。

 

茂原市は、昭和の時代、三井東圧、日立製作所、東芝など大手企業の工場ができ、近隣町村の中心として栄えました。

この使用されていない線路は、三井東圧への専用線が外房線と分岐したあたり(新茂原貨物駅)の風景です。
同じような変化の少ない日常の繰り返しですが、時間は確実に移ろい、現在は、大手企業は撤退し、新茂原貨物駅周辺は廃墟のようでした。

線路からは外れてしまうのですが、この辺りから掩体壕を探して歩き始めました。
新茂原駅周辺から三井東圧付近にかけては、昭和18年ごろに海軍の飛行場(大日本海軍第252航空隊基地)がありました。
今は、民家が立ち並ぶ地域柄ですが、少し前には、航空機が飛び交い、私の親世代は、戦争をしていた場所です。
済んでしまったことではありますが、こういう事は忘れ去ってはいけないのかなと思います。

掩体壕は、2000年ごろに一度見学したことがあるのですが、最近は取り壊しも進んでいるとの話もあり、近くにいったら、再度様子を見てみたいと思っていました。

当時、バイクでは、至近距離だった記憶があるのですが、ここで、大失敗。
良く調べて行かなかったので、見事に迷子です。


(2000年頃に撮影した掩体壕:現在の状況は未確認です)


(大正期に外房線等を走った8620形テンダー蒸気機関車:萩原交通公園)

茂原市立萩原交通公園付近へ出てしまい、更にダメ押しの方向音痴で、新茂原駅を飛び越して、茂原駅方向へどんどん歩き、途中から、Uターン。
大幅無駄歩きで、トホホでした。

15時過ぎ、新茂原駅へ到着。

「もう、ここから電車に乗ろうかな!」
相当弱音が出たのですが、ここからは、「あと一駅頑張ろう!」の繰り返しでなんとか歩きました。

 

新茂原、茂原駅間は、高架下が遊歩道になっていて、車の心配もなく歩けました。



茂原市のマンホールの蓋。
カラーの物は見えませんでしたが、この図柄のものがだいぶ目に入りました。

 

ようやく、どうにか、やっとの思いで、16時少し前に、茂原駅へとどきました。

本納―茂原(営業キロ6.6Km) 2015年2月10日
歩いた歩数 16,822歩(11.91 Km)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

房総駅間ひとりウォーク(JR大網駅~JR本納駅 営業キロ4.8Km) 

2015年02月18日 | 房総駅間ひとりウォーク

2月10日(火)、先月10日(土)の終了地、JR外房線大網駅に戻って、駅間ひとりウォークを再開です。今回は、10時過ぎに大網駅を出発し、できるだけ線路に沿った歩ける道を探しながら、営業キロ20.1Km先の、上総一ノ宮駅を目指しました。

先日家の片付けをしていたら、だいぶ古いリュックが出てきました。
駅ハイの缶バッチがいくつもついており、中からはマフラーと手袋、ヤッケが。
まったく記憶になかったブツですが、10年以上も前にカミさんや子たちと出かけた残骸です。
型は古いですが、色褪せもなく、問題なく使えるので、今回はこのリュックにおにぎりと昨年自作した梅酢で作ったスペシャルドリンク(^○^)を入れて、出かけました。

大網駅からJR外房線の終点、安房鴨川駅までは、国道128号と着かず離れず歩くことになります。

次の永田(ながた)駅までの間は、みずほ台を中心に住宅開発が進み、市街化してきましたが、線路沿いは、田園風景が広がっています。

「今日も、変な事始めちゃったなぁ」と思いながら、トボトボ歩いていると、踏切から電車の近づきを知らせる音が聞こえてきました。

 

「あっ、特急わかしおどうしのすれ違いだ」
一瞬の出来事できたが、珍しいすれ違い風景に出合い、俄然やる気が出てきました(笑)

更に進むと、『光昌寺』という看板があったので、立ち寄ってみました。

このお寺は、長享(ちょうきょう)2年(1488年)に、土気城主 酒井 定隆(さかい さだたか)の改宗令(七里法華)により、真言宗から日蓮宗(顕本法華宗)に改宗させられたという歴史があるそうです。

今になれば、どうでも良い事ですが、『房総駅間ひとりウォーク(JR誉田~JR大網 営業キロ10.3Km)』で書いたように、広い範囲に影響を与えた施策は、今の人たちの生活(地域の人の考え方)の中にも、少なからず伝わっているように思います。
ここには、明治大正期の山武郡瑞穂村(大網から永田周辺)の指導(教育)者の顕彰碑があり、とても熱い土地柄を感じました。

 

永田駅(大網白里市)にとどきました。

この駅は、1959年(昭和34年3月20日) 、延べ2470名の住民の勤労奉仕で埋め立て工事が行われ、国鉄の駅として開業したのだそうです。
先の『光昌寺の顕彰碑』でも分かる通り、自分たちで駅を作ってしまったのですから、この辺の皆さんは熱いですね。

 

永田駅から本納(ほんのう)駅方面へも線路沿いの田園風景の中に農道がのびていました。
いつも車窓から見る田園風景には、ゴミは見えませんでしたが、歩いてみると線路沿いにはたくさんの生活ゴミ、テレビ、自転車、バイク(盗難品?)の放置などもありがっかりです。

人の裏の生き様をみたようです。

本納は、土気(とけ)同様、歴史のあるエリアで、橘神社(上総国二宮)、中世の本納城遺跡、近世の荻生徂徠の遺跡を訪ねてみたいと思っていましたので、市街に入る少し手前で線路沿いから少それて、旧市街地散策をしました。

まず、上総国二宮、橘神社に立ち寄りました。

 

 ここに参拝したのは初めてですが、しっとりした雰囲気を残す立派な神社で落ち着けました。

市街地を茂原(もばら)方面に向かって歩くと、蓮福寺という看板が出ていました。

 

ここが、中世里見氏の支城で、黒熊某が治めた本納城の遺構がある場所のようです。
本堂付近に立って見渡してみると、山城があったのも頷ける風景でした。

16世紀後半には、土気城酒井氏支配下に入っており、光昌寺同様、日蓮宗(顕本法華宗)のお寺です。

本納は古い時代、地域の中核の一つだったのですね。

史跡を楽しんでいて、駅を忘れそうでしたが、市街地の道路沿いに本納駅の看板を発見。



今回のウォークは、駅を訪ねる巡礼旅のようなものなので、ここは外せないですね。

市街地の道路に戻って、茂原方面へしばらく歩くと、『荻生徂徠勉学の地』という看板が見えてきました。
右に折れ、古さを感じさせてくれる石積みの水路沿いの路地をしばらく進むと、宅地跡と思われる場所に、顕彰碑がありました。

 

今となればどうでもよい古い話しではありますが、荻生徂徠は、政権中央での影響力を持った江戸時代の儒学者で、有名なところでは、『忠臣蔵』赤穂浪士の義士切腹論を主張した人と言われています。
本納は、徂徠のお母さんの生家があった地のようですね。
お父さんも政権中央にいた人のようですが、今で言う左遷され、本納に移り済んだらしいです。
徂徠も14歳から青年期の13年を本納で過ごし、この間、良く学問をし、後の基礎を築いた原風景の地と言われています。

顕彰碑の裏側にある石のベンチで、宅地跡の雑草をながめながら、おにぎりをパクつきました。
300年以上の時空の流れはあっても、同じこの地で徂徠の家族が暮らしていたことは間違いありません。
もしかしたらこの庭の風景を見ながらお茶でも飲んでいたのかもしれないなどと妄想を膨らませ、楽しい時間でした。

 

本納の市街を抜けた所にある長生郡市公立病院です。
『ながいき病院』(実は、ちょうせい病院)なんですが。
これから歩く八積駅は、長生郡長生村(千葉県唯一の『村』)にあります。
『ながいき郡ながいき村』
いい響きのエリアですね。

名称は、長生郡発足時に、『長』(長柄郡)と『生』(上埴生郡)をくっつけただけらしく、特に長寿の人が多いとか、ここのあたりに移住すると長生きできるわけではないようです(笑)

ながいきは心がけ次第ですかね。
壊れない程度に、歩きましょう!

大網―本納(営業キロ4.8Km) 2015年2月10日
歩いた歩数 12,522歩(8.89 Km)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコと空缶拾い

2015年02月17日 | ワンコとの日々

今日、明日と家事の日です。
開墾した畑でジャガイモを作ってみようと思い、午前中、苦土石灰をまいて畝作りの準備。
お昼過ぎから冷たい雨が降り始めたので、作業は中止です。
「寒!」
明日もこんなお天気らしいですね。
春めいてきて、いろいろ外でやる事が増えて来ているのですが残念です。

さて本題ですが、昨日のワンコの散歩から道に落ちている空缶、ペット等のゴミ拾いを始めました。

2月10日に、駅間ひとりウォークでJR大網駅から上総一ノ宮駅までの線路沿いを歩きました。
車窓から見える田園風景では気づきませんでしたが、歩いてみると線路沿いに空缶やペットボトルばかりでなく、生活ゴミ、バイク、テレビ等が捨てられていました。

「いかんなぁ」と憤ってみたものの、世の中の隅っこになんとか置いてもらいたいと思っている無職・シルバーフリーターのじいにはどうにもできません。
歳をとっての物忘れというのもこういう時は便利で、てくてく歩いている内にその日は忘れてしまいました(笑)

最近少しずつウォーク記を整理していて、ゴミのことを、ボコボコっと田んぼにガスが湧くように思いだしたのですが、「いかんなぁ」とひとり憤っていても健康に良くないし、現地をボランティアで片付けるには広範囲・大量過ぎる。
ムリ、ムリ、ムリ!
ムリ三連発!
新聞等に投書するのも、子供が先生に言いつけて問題を解決するような感じがして好きじゃないし、だいいち投稿文書を書くのが面倒(笑)

毎日ワンコと散歩していて、ふと道端を見ると、灯台下暗し!
わが家の裏の田圃道にも、空缶やペットボトルがけっこう捨てられているじゃありませんか。

自分の地域の事を棚に上げて、他所の事に声をあげなくて良かったぁ、ですね。

小さな小さな活動ですが、いつもワンコと歩かせてもらっているいくつかのコースのゴミを拾ってみることにしました。
のらりくらり、あっちへ止まり、こっちへ止まりの散歩なんで、ゴミくらいは持ち帰れると思います。

まあ、この辺が今の私にできることだと思っていますが、また変なことに関心を持ってしまったのかもしれません。

地位名声とかお金もうけとかにひらめきがあると、もう少しパリッと生きられるのかもしれませんが、そういう分野でのひらめきは、子供の頃からぜんぜんです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎移住希望者(日テレ番記者)雑感

2015年02月15日 | 日記

18時30分過ぎですが、低気圧が入ってきて、強い北風が吹き荒れています。
寒いです!

テレビで、田舎移住希望者(日テレ番記者)が流れていて、アンケートでは、私の住まいに近い、千葉県いすみ市への移住希望者がかなりあるような報道です。

悪くない傾向だとは思いますが、地元にも地元の都合があるんじゃないかなと思います。

田舎は、たまに気晴らしに来るには、多くの人たちにとって良いかもしれません。
でも住むには、とても不便で、仕事も少なく、役場等(公務員)、農協、郵便局の正職員以外は、賃金は都市部に比べればびっくりするほど安いです。
最近は、Webを使った農産品等の起業で活気のある方もあるようですが、一般の人が気軽にできる仕事ではありません。
いすみ市付近(外房側)は、有効求人倍率も低い地域です。

地元の若者は、安定した高収入の職を求め都市部へ出て行きます。
そんな土地柄で、人が増えるのは悪くはないのですが、今の私の歳くらいになって、纏まった資金がある、土地建物・物価安い、自然がある等の理由で、早期退職や定年後の終の棲家として移住されるのであれば、おそらく、地元の人の負担でしかないと思います。

本気で、田舎生活を望むのであれば、30~40歳代の若い時期に決断実行し、早い時期に染みながら、地に定着して欲しいと感じました。

60前後の定年後に夢を持って移住してきても、確かに数年は充実しているように見えますが、いずれか一方が欠けた時、独居で、認知症等に入る。

元々の人間関係はなく、会社生活の延長での別荘暮らしのような田舎生活は、行政にとっても、地元にとっても、大きな負担でしかありません。
逆に、そういう地域だから、地元の若い人は都市部へ行ってしまう。

利便性も大切ですが、田舎生活の基盤は、田舎文化です。
自分やカミさんの出身の田舎、父母の地があるのであれば、まず一番にそこを検討すべきだと思います。
そこは、文化も近いので、おそらく自分も楽だし、地元の人も受け入れ易いのではないのでしょうか。

不便で、何もなくてもいいんだよね。
ここには、自然の営み、豊かな時間の流れがある!
毎日雨露を凌いで、飲み食いして、子達の将来に備えるだけを目標に頑張り、名もなく、地位もなく、地道に助け合って生きる。
それが田舎生活かなと思います。

単調な毎日の中にも、自然の時間軸の中での人の営みには、たくさんのドラマがあると感じます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポチの脱走

2015年02月14日 | ワンコとの日々

まだまだ寒い日が続いていますが、雑草はもう元気に活動を始めていますね。

今日は、北風がものすごく冷たかったのですが、『庭先農園』の雑草取りをしていたところ、チャリチャリと軽い音を立てながら、ワンコがすぐ近くまで寄って来て、ニコニコしていました。

このブログでは、ポチと言ってきましたが、本名は『梅吉』という、かなり古風な名前があります。
通称『うめちゃん』です。
先代の『桃』が亡くなり、母の認知症も始まり、少しでも母の気休めになればと、ちょうど今の時期に柏市のNPOからもらい受けました。

たぶん、今年で9歳になるのかな。
NPOでも、引き取り手がなく居残っていた方なので、器量はよくありません。
NPOのゲージの中で、来る人に一生懸命アピールしていたので、生きるのは一生懸命で、人は大好きです。
ただし、従順かと言えばそうでもない(笑)

一般的な、ハウス、待て、つけ、止まれ、ダメ、お手、お座り、ゆっくり、は理解でしますが、未だにためなのが、ワンです。
そんな、ヤツなんで、数メートル先で草取りをしている私の姿をみて、何気に近寄ってみた。
すると、行けた!

「おやじ、なにやってんだぁ、暇だったら遊んでやんぞ」 

みたいな感じだったのでしょう。

たぶん、この時までは、ワンコもリードの金具が壊れて、自由に身になっているという自覚はなく、単に私をかまいに来たのだと思います。

その時の私の第一印象は、「なんだ、手伝いにきてくれたのか?おお、よしよし」的な感じだったのですが、「あれ?ここまでこられるはずはないようなぁ」と思った瞬間、ワンコが喜んで動き回り、自由の身を自覚。

ワンコの日常を見ていると、人を噛んだりする心配はないですし、しばらくすればいつもの散歩コースを徘徊し、遊び飽きたら帰ってはくるのですが、田舎と言っても、時々車や自転車、歩行が厳しい老人は通ります。

事故等の原因になってしまっては大変です。

ママチャリ使って、追跡開始!

いつもの散歩コースで田圃道を全速で走っている姿を発見。

呼ぶと遠巻については来るのですが、こちらがリードを取ろうとすると、「やぁだよ~ん」と逃げてしまいます。

リードを付けて散歩をしている時には見せない、ニコニコ顔で、すっかり遊ばれてしまいました。

ワンコだけでなく、人も似たような所がありますが、本当は、自由気ままに走り回りたいんですね、きっと。

事故等も発生せず、無事帰宅。

まずは、良かった。

その後ホームセンターで壊れた部分を購入。

『庭先農園』の雑草取りは、大幅に遅れてしまいました。

もちろん、夕方の定例散歩は中止です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする