まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

お経を読むのは思ったより難しい

2015年02月08日 | 読経の日々

1月から週3回、般若心経を読む練習を始めました。

急に信心深くなった、宗教や東洋哲学に興味がわいた、宗教団体に目覚めた、悩み事があって信仰に救われたい、どれも始めた理由ではありません。
だいたい、神聖な宗教の教えを、趣味のように、週3回気ままに練習をしようというのは、不謹慎と言われるかもしれませんね。

お墓には、近世、文政年間からの墓石があり、代々曹洞宗のお寺の檀家にはなっていますが、仏教には今までなんの興味も関心もありませんでした。

お彼岸やお盆に、ご住職さんが来てくれるのですが、家の場合は、玄関が空いていれば、ご住職さん、勝手に上がってお経をあげてくれます。
私は不覚にもその傍のソファーで、読経を子守唄に、ぐうぐう昼寝を決め込んでいるといった罰当り系です。

そんな人間が、なぜ読経の練習を思い立ったのか、自分でも正直わかりません。

今まで父、義父、祖母、オジ、オバ、母、ご近所の人や職場の関係でたくさんの人をおくってきました。
そこで必ずあるのが、意味の分からないお経でした。

昨年の母の葬儀、法要で、主体性をもってお経を聴いていると、意味は分かりませんが、そのリズムというか響きは、悪くないと思うようになっていました。

母の姉妹一人、父の兄弟一人残り。
どちらも高齢で、もう自分では出かけてくることもできません。
代替わりです。

私の兄弟(父母の子)は、私以上に罰当り系(笑)でして、今後の供養にも来ないかもしれない。

母の七七忌が終わった頃、そんな思いの中で、父母も仏壇で寂しいだろう(父母は今、骨なんで思うことはないのですが、私自身が思っているんですね)から、自分はできないけれど、時々録音でお経でも流してみるかと、『曹洞宗檀信徒勤行』というCDを買いました。

それも昨年内は、ほってあったのですが、今年に入り、時間はたくさんあるのだから、自分で読んでみようと思い立ったわけです。

今はやりの歌よりは簡単だろうと、おおナメで始めたのですが、抑揚のないお経の調子の中にもリズムがあり、特に、息継ぎが難しいです。

つっかえ、つっかえ。
じきにおいて行かれてしまい、文字の中で迷子に。

これも、毎日の生活の一部になって来ています。

なんども読んでいると、般若心経って、つながりいうかリズムが良いですね。
漢字をじっと見て、理解しようとすると、わけがわかりません。

お経の内容についても、これから勉強していきたいと思っています。

コメント
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