1月から週3回、般若心経を読む練習を始めました。
急に信心深くなった、宗教や東洋哲学に興味がわいた、宗教団体に目覚めた、悩み事があって信仰に救われたい、どれも始めた理由ではありません。
だいたい、神聖な宗教の教えを、趣味のように、週3回気ままに練習をしようというのは、不謹慎と言われるかもしれませんね。
お墓には、近世、文政年間からの墓石があり、代々曹洞宗のお寺の檀家にはなっていますが、仏教には今までなんの興味も関心もありませんでした。
お彼岸やお盆に、ご住職さんが来てくれるのですが、家の場合は、玄関が空いていれば、ご住職さん、勝手に上がってお経をあげてくれます。
私は不覚にもその傍のソファーで、読経を子守唄に、ぐうぐう昼寝を決め込んでいるといった罰当り系です。
そんな人間が、なぜ読経の練習を思い立ったのか、自分でも正直わかりません。
今まで父、義父、祖母、オジ、オバ、母、ご近所の人や職場の関係でたくさんの人をおくってきました。
そこで必ずあるのが、意味の分からないお経でした。
昨年の母の葬儀、法要で、主体性をもってお経を聴いていると、意味は分かりませんが、そのリズムというか響きは、悪くないと思うようになっていました。
母の姉妹一人、父の兄弟一人残り。
どちらも高齢で、もう自分では出かけてくることもできません。
代替わりです。
私の兄弟(父母の子)は、私以上に罰当り系(笑)でして、今後の供養にも来ないかもしれない。
母の七七忌が終わった頃、そんな思いの中で、父母も仏壇で寂しいだろう(父母は今、骨なんで思うことはないのですが、私自身が思っているんですね)から、自分はできないけれど、時々録音でお経でも流してみるかと、『曹洞宗檀信徒勤行』というCDを買いました。
それも昨年内は、ほってあったのですが、今年に入り、時間はたくさんあるのだから、自分で読んでみようと思い立ったわけです。
今はやりの歌よりは簡単だろうと、おおナメで始めたのですが、抑揚のないお経の調子の中にもリズムがあり、特に、息継ぎが難しいです。
つっかえ、つっかえ。
じきにおいて行かれてしまい、文字の中で迷子に。
これも、毎日の生活の一部になって来ています。
なんども読んでいると、般若心経って、つながりいうかリズムが良いですね。
漢字をじっと見て、理解しようとすると、わけがわかりません。
お経の内容についても、これから勉強していきたいと思っています。