まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

街の人は何故、直新型?

2021年02月09日 | 少し働く日々

本日のシルバーバイトは、かなり遠方の大網白里市某所の通行止めに伴う、車両、自転車、歩行者等へのご案内&誘導だった。

作業のシルバーメンバーは、何度か一緒に作業し、悪い印象のない人たちだったが、さすが、街!(笑)

昨日までの山間の、ほとんど自転車、歩行者等の通行のない場所と違い、田舎誘導員の私には、結構厳しかった。

工事でいつも通っているところを通行できなくしているのだから、ご不便は十分わかるけれど、制止も聞かず、誘導も無視して自分勝手の判断で、工事の中に入り込む!
これって、なんなんだろう。

工事は混乱し、誘導に従ってくれている通行の皆さんにも余計な待ち時間が生じ、何もいいことないのに、「はい、はい。わかりました」といいながら、誘導に従わずに進んでしまう。

警察権があれば公務執行妨害で逮捕してやりたいけれど、交通誘導のシルバー警備員は、所詮、道路に立つただのじいさま。
安全を考え声をかけても、前に立ちふさがって止めたり、まして、首根っこを押さえて止めることはできない。

小さな工事会社の皆さんはそんなことも要求するけれど、あたしらは何の権限もない。

数百円の赤い誘導棒は持っているけれど、朝晩小学生の見守りをしているボランティアのみなさんと変わらない。

公安委員会から免許を交付されている車のドライバーや自転車、歩行者等、また工事関係者の『補助者』でしかない。

でも、そんな『補助者』の行動にももっと関心をもってほしい、そう思った。

山間の片交でも、常識なく飛ばしてきて問題を起こすのは、都市部のナンバーを付けた立派なみなさんだ。

軽トラのおっちゃん、おばちゃんは、工事帯前にはゆっくり走ってくれ、対向車があれば、軽くクラクションを鳴らしてくれたり、しっかりアイコンタクトをとってくれる。

ずべてにおいて、ゆっくり確認しながら進めば、ちっとは良い社会になるとおもうのだけれど。

先日ブログに書いた『真民さんの詩集 (2021年02月07日 | 読経の日々)』で、書いた「生きてゆく力がなくなるときがある」とはこんなときが続くときである。

本日の最悪事例:
本日は歩道を通行止めしていた。

遠くにシニアカーが歩道を走ってくるのが見えたので、現場立ち位置を離れ、工事場所から100mほど離れた迂回路前まで移動。

更に前に出て走っっているシニアカーの方に「この先、歩道は通れません。この先で迂回してください」と語りかけるも、まっすぐ向いたまま無視。

迂回路の交差部分で、前に立ち塞がって、「進めません!」と制止。

それも、無視。

工事真っ最中の交差点に侵入し、まっすぐ向いたまま、なんの言葉も発せず。
大混乱!である。

自分もいずれは使うのかもしれないけれど、シニアカーは免許制とか許可制にすべきだと思う。
シニアカーも、時と場所だろう。

今日のようなおっちゃんは、ひとりで街の交通社会にでちゃいかん!
そう思う。

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真民さんの詩集

2021年02月07日 | 読経の日々

人は嫌いではないのだけれど、組織に入ってできる人間関係には、今でもとてもストレスを感じる。

ウォーキングについても、歩こう会のようなグループに入って、同世代の、知識を持ったみなさんと楽しくやれば、もっといい時間が過ごせるかもしれない。

仏教についても、お寺などで開かれる勉強会などに参加すれば、きっともっと深くいろいろなことに気づくのかもしれない。

そうは思うのだけれど、どうも一人がいい。

幸い昨今は、You Tubeでいろいろな情報を教えてくれる番組が多くなってきているので、そんなところで勉強させてもらっている。

人間関係不得手にとっては、こういうのは本当に有り難いと思う。

真言宗須磨寺派大本山 須磨寺副住職、小池陽人さんのご法話もよくYou Tubeで拝見している。

少し前ならば、わが家の檀那寺とは宗派も違うし、600Km近くも離れた須磨寺の副住職さんにご縁があるはずもない。

小池陽人さんは、若くてかっこいい。

そのまま大河ドラマにもいけそうな、と思っているのだけれど、中身はもっといい。
やさしい語り口で、お年なりの、明るい先を感じさせてくれる、いつも心に残るお話をしてくれる。

私自身は、祖母、父母の日常を通じて、昔から農村社会を支えてきたお釈迦様の教えを、習慣という形で、知らないうちに学んできた。

でも、朝から晩まで家にいないサラリーマンになった私には、子たちになにも使えることができなかった。
家族、みなばらばらの生活だ。

自分の過失を、若い世代に安易に申し送るのはダメだけれど、陽人さんのような若いお坊さんが、宗派(教えを学ぶ便法)を超えてお釈迦様の教えを広めてくれれば、多少は、日本人の心にも明かりが灯るのかな、最近は、そう思っている。

そんなご縁で、ある番組の中で紹介されていた坂村真民氏の詩集を買い求めて、毎朝数作品を読んでいる。

心がザワついているとき、気持ちが塞いでいる時には、ビタミン剤のようにじわっと来る言葉に出会う。

これ、なかなかいい。

著作権もあるのだろうから、全文を紹介はしない方が良さそうだけれれど、今朝は『生きていく力がなくなるとき』という詩に励まされた。

「死のうと思う日はないが
生きてゆく力がなくなるときがある
・・・」

という短文。

そう思っているのは、自分だけではないんだと気付かされた。

どんな自分だって、それをうけとめて生きる、ってことは、その日々が大変なことである。

合掌拝

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この春ドラは面白い

2021年02月06日 | 日記

『俺の家の話』
https://tver.jp/corner/f0066860

私的にはすごくいい。

今回の放送で、西田敏行さんのセリフ、「風呂敷のたたみ方がわからない!」
この演技、台詞にしびれた。

全くだよなぁと思っている。

バラエティードラマだけれど、本はしっかりしていて、楽しめそうだ。

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生活の変化で、体重増加中

2021年02月03日 | バーチャルウォーク

『ENJOY WALKING』に参加し、2020年10月5日から九州一周コース(1,045.6km)を歩きはじめ、1月末は、40番目の通過ポイント、 宮崎県小林市駅南まできた。

歩いた距離516.8km(738,319歩)。
ようやく半分まできたか、というのんびり旅を続けている。

今日、1月の歩数を同サイトからコピペして、『4千万歩の男』計画の実績を更新した。

気になったのが、ここ数年だんだん歩数がおちてきており、かつ、ここ数ヶ月は右肩下がりという点である。

3年間の一日あたりの平均歩数は、2018年=7978歩。2019年=7637歩。
コロナが広がった2020年=6161歩。

同時に、ここ数ヶ月の体重記録は、みごとな右肩上がりの線となり、3Kgも増えて、高原状態にある。

コロナ太りという言葉をよく耳にするようになったけれど、自分の場合もそう言えなくもない。

特に、ここ数ヶ月は、コロナの影響もあり公園清掃のシルバーバイトが終了したことによる歩数の減少が響いている。

公園清掃のシルバーバイトは、月10日あまりだったけれど、出勤日は1万5千歩は歩いた。

1月に入って交通誘導のシルバーバイトが中心になったのだけれど、こちらはせいぜい2千歩くらいしか歩かない。

今後運動量を増やしていく方法を考えなくてはと思案中である。

朝目覚めるのは早いのだけれど、どうも暗いうちから歩き出すというのは気が進まない。(^_^;)

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シートベルトの捻れ、ようやく解消

2021年02月01日 | 道具弄りの日々

古い軽四の、運転席のシートベルトが、いつの頃からか、こんなふうにねじれてしまった。


普通、ベルトを外して車を降りるときは、意識しなくても、シートベルトはシュルシュルっと、収縮してくれる。

でもこの状態だと、デレッと伸びっぱなしなので、無造作にドアをバタンとしめると、バックルというのだろうか、差し込み金具がドアに挟まって、ガキッとえらい音がする。

もう十分歪んでいるドアが、オシャカになりそうである。(笑)

これをDIYで回復しようと、ネットで情報を集め、試行錯誤したがなおらない。(汗)

ネット情報では、ベルトを三角に折って、バックルの隙間を通せば簡単になおる、ような話があったけれど、バックルのベルトの隙間に、二つ折りしたベルト厚は、特殊工具か何かを使って引っ張らなくてはとても通らない。

そもそも、普段の運転で、ねじれるほどの、そんな大きな力がかかったという記憶がないし、たわみを強引に引っ張ったとしても、筋力低下中のジイサンマンのパワーで引ききれるはずはない。

今朝、お仏壇に向かって、いつもの短いお経を唱えてひらめいた。

因果。因縁。
対症療法ではなく、原因を見つければ、なおせるかもしれない。

シルバーバイトに出る前の余裕時間で、しげしげと観察。
今までは、バックルの隙間を使ってねじれをなおすことばかり考えていたのだけれど、ねじれがあるピラー側のベルトを全部引き出してみた。

と、である。

普段は使わない部分、シートベルトの巻きつけ具の最初の部分で折れていたのが原因だった。

ここを修正して、収縮したら回復。\(^o^)/

どうもシートベルトに折れグセ(ねじれ)の癖があるようで、全部引き出して使うと巻取り時にこの現象が起こる。

でも原因が分かった。

この状態になる、縁(条件=ベルト全体を引き出す)にしなければ、古い軽四のシートベルトもなんのストレスもない。
また、ねじれたとしても、原因が分かっていれば、修正も可能だ。

仏教の教え、因果とか因縁。
案外、生活の役に立つ。

有り難い。

合掌

 

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