安倍晴明 嵯峨墓所
1005年(寛弘2年)9月26日に85歳で没したといわれる。
“公式”の墓所が定められて居り、場所は京都の嵐山、長慶天皇陵の脇の寿寧院に葬られたと伝えられている。この場所以外にも以外にも伝承は有る様です。
陰陽師は宮廷の御用達ですが、鎌倉に招いたのは、大江広元で在ったと考えられる。
長野県木曽郡木曽町は大江広元が育った場所の縁が有るわけで、安倍晴明の墓所が有る。
長野県木曽郡木曽町新開清博士 これは地名ですが、地元民は此処にある二基の五輪塔を晴明様と呼んで祭っています。その他にも墓所が有る様でどの墓が本来の墓かは不明の様です。
安倍晴明が鎌倉幕府の結界を張っただけでなく、建長寺の結界を張り 場所は第六天社に建長寺の四方鎮守の一つで、南の方角の守護と成る。
道路の突き当りが建長寺と成ります。
第六天社に建長寺の四方鎮守の一つで、常時鳥居の前で閉鎖されており、年に数時間だけ開放されるそうです。
例祭は毎年七月十五日から二十二日にかけて行われるが、神事は二十日前後に執り行われます。