鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

栃窪Z路から関本へ3

2019年05月31日 | 古代東海道

このZ路は、特徴からして「古代道であろう!」っという、、、
普通の道には無い構造が根拠で始めた調査ですが、、
調べると、オリジナルな道路では無い事がスグに理解できる。
〇雨水が逃げる場所が無く、路を侵食してV字型の切通状に成っている
〇結果は底辺は人が歩く幅に成って古代道の道幅が無い。

 そんな訳で、
本来の道は雨に侵食される以前場所=切通状の道の上の在るに違いない!
そんな想像をしたのです。


その様な訳で、千年の雨で削り取られた道が「堀切状に成っている」と考えた場所です。



そして、
「切通状の道の上の在るに違いない!」現行の道の上に在る 古代道の遺構と思われるのがこの写真です。

何故?
この場所が古代道の痕跡なのか??
この写真が示す、地形のU字ラインが根拠なのですが、、、
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栃窪Z路から関本へ4

2019年05月05日 | 古代東海道
先ずは、この画像ですが、
場所は足柄峠の「誓いの丘」下にある場所です。

上の青いラインは、ブログ「鎌倉街道上の道」の作者が偶然見つけた写真が在り、
私はこの様な積み石状に成った後しか知りません。
著作の問題で公表出来ないので、現状の上書きを青いラインで記入しました。


上の写真から100m弱先の場所が下の写真です。

私が見つけた場所で、この写真の話の延長で上の写真の元画を見せて貰いました。

更に、足柄峠の近くに在る場所です。

以上のU字型の道路断面は、9m幅の両脇が崩れればこの様な形に成ると考えられる形と規模です。

その様なラインと大きさの道が、考えられる場所に存在する事は必然性の有る話で、偶然とは思われない。

必然的な話は、、それで終わりじゃない!
この栃窪のU字痕跡と足柄峠の2枚目の写真はトンデモない共通点が在りました!
それは、、、次回へ、






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