鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

富士山中 に東海道 十里木 1

2013年05月31日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
足柄路が、、、噴火で通れない!
定説をヒックリ返す話ですが、、この手の話は結構気を使います。
当然専門家もご覧でしょうから、、、古道専門家から、火山の専門家まで影響がある。出来る限り、矛盾を孕む戯言はしないように、、、揚げ足を取られないように、、、反論があれば、真摯に対応し、こちらの記事を修正する用意もあります。
ご遠慮なく、、横槍を入れてください。

>日本紀略
>延暦19年 西暦800年
> 3月~4月 ▼「富士山嶺自焼,晝則煙気暗冥,夜則火光照天,其聲如雷
>        灰下如雨,山下川水皆紅色也」
>延暦21年 西暦802年 
> 1月1日 ▼駿河国富士山,晝夜燎,砂礫如霰者
> 3月   ▼富士山東裾野に10日程で小山が出来上がる。都良香「富士山記」
> 5月19日▼ 廃相模国足柄路,開筥荷途,以富士焼砕石塞道也(日本紀略) 
>延暦22年 西暦803年
> 5月   ▼廃相模国筥荷路,復足柄舊路


 この辺りが文献で書かれた事、、、
###########
話は現代へ、、、、
> 東海道の古地理
> 延暦噴火堆積物によって埋めつくされたという「足柄道」が御殿場付近から足柄峠
>を越える道だと考えると,その付近に堆積した3)のスコリア層の厚さが,等層厚線図
>から考えて2cmに満たないことは確実である.仮に延暦テフラが他の湯船第3スコリア
>群中の一枚だとしても,足柄付近の厚さが薄いことに変わりはない.よって,富士→
>三島→御殿場→足柄峠という富士山南麓~東麓を通る東海道のコースを考える限り

>「噴火堆積物に道をふさがれた」という記述は実際のテフラ(灰の意味)分布と矛盾する.-静岡大学

学者の言う事に、嘘は無くても認識不足で間違えは有る。
「文献の足柄路が塞がった」よって火山灰が路を塞いだ説と、「足柄路に火山灰は少なかった!」との矛盾が有る事です。
この手の話は、更に上位の真実を明らかにする事で、矛盾が消える。
問題は、どの様な真実か?「十里木峠を大化の改新東海道が通った」ことです。
更に一段深く考察しましょう。

google earthの図は十里木峠から、足柄に向けたラインは直線でない。
なぜこの様に曲がったのか?
山が在ったのか? 川が在ったのか? 
私の考えたことは噴火口か溶岩流の問題が在り、それを避けた為?
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富士山中に東海道 序 10

2013年05月23日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
十里木峠の最下部を通過しない理由は、、、
何故でしょうか?
在るとすれば、
行く(又は戻る)方向を明確に確認でき早く行く為に。屈曲する峠で、蒲原方向を直線で確認できる場所である。
水が出やすい場所を避ける。
十里木峠より足柄経路を直線にしなかった理由は、
道の近辺に宝永火山に連なる噴火列口が近くにあるのを避ける。
きっと、ひとつの理由ではなく、複合された結果と考えるのです。

上のGoogleアース画像の様に、、不必要と感じるほどの直線です。
巨視的には、富士の裾野の平坦な場所ですが、微視的には現代の自衛隊が道を作った様に山と谷が在り、地形の凹凸を避けて無理無く作れば曲線になる成る道を、強引に直線で作ったと思うのです。
周囲の道路と比較すれば、その直線の異常は理解できると思います。

結果、、、何が判るのか??
取り敢えずは「大化の改新」に書かれた東海道の可能性が考えられる事と、
この直線遺構が、十里木峠より足柄峠方向へ向かうと成れば、、、道として否定する事が困難に成るのでやはり、、大化の改新時代の東海道と考えるわけです。
更に足柄峠の古代道の考察ができるのです。
足柄峠は、金太郎伝説と伴に幾多の伝承があります。
でもそれは、、、古くても平安時代の伝承の道で、現在JR足柄駅の在る竹之下を通るが、足柄峠の平安以前の道である根拠にはならない。大化の改新の東海道は、竹之下に向かうか?っという課題です。
では「大化の改新」駅路は何処を通ったのか?
「駅路は竹之下では無く、伝承の無い場所を通った!」
この直線道路遺構を根拠に、其処まで語らせよう! っという考えです。

注:十里木峠東の火口もどきは、、
笛塚、岡野山、宮塚、南宮塚、麹ヶ塚、六郎塚、竜爪塚、上高塚、横塚、一木塚、他名称不明の 側火山らしきものが在り大化の改新当時に火山活動をしていたら、、当然迂回する訳ですが、これは憶測の部類でしょうか、、
<>ttp://www.yamareco.com/modules/diary/31995-detail-37597>ヤマレコより引用
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富士山中に東海道 序 9

2013年05月17日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
上のgoogle Earth 画像で、ハッキリと直線が確認できるでしょ?
水色の「大化」と書いたマークの下に伸びる直線ラインです。
私は、現地を確認していません。
地面を掘り返した訳でもない。
「見方や考え方」を合理的に使っただけです。
実際は、どの様に成っているか? 不明です。
このあたりは自衛隊の演習地で、自由に出入り出来ない、、かもしれない、、、
ラインは在るが路面に相当する場所が、植物に覆われて使用してないと考えられる。
此処に古代道が在った根拠は文献、伝承、を含めて無い。
唯一ある根拠は、
仮定として、莫大な権力を使って道を作るなら、、、
蒲原より、鎌倉に向けて直線的に作ると、十里木峠にラインを引くであろう!
っという、いたって私的で合理的な理由から出た「バロパパ」と「ぼ輔」の発想です。
「大化の改新」の詔に、東海道の記述はあっても、通過場所の詳細は無いのです。
この様に根拠がイイ加減で、道路か否かも未確認の直線遺構ですが、、、
道路遺構だ!と書かれると、妙に説得力が沸くと思いませんか?
何故でしょうね?

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富士山中に東海道 序 8

2013年05月10日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
google Earth の画像ですが、、、
画面上の大化のマークから真下に直線のラインが見えるでしょうか?
左のピンクのマークは「忠ちゃん牧場」右には北を示すearthのコントローラーがあり、これをヒントに場所を確定してください。
道の痕跡が微妙で判りにくかったら、Earthを拡大して確認してください。
この様な直線が自然界にあるのは不自然です。人口的な工作です。
誰が、何の為に作ったのか?
文献は「大化の改新」で他に詳細や古代よりの伝承はありません。
この富士演習場に自衛隊が作ったであろう道が在っても、この様な直線の道路はありません。
何かの意思と財力が無ければ、この様な直線の構造物は作らないのです。
考えられるのは、詳細が不明の「大化の改新」の文献が一番近いで在ろうと考えるのです。
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富士山中に東海道 序 7

2013年05月07日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
さて、、
足柄峠から、忠ちゃん牧場に向かい来た道は、方向を急に変えて十里木峠へ向かう。
見つけられた人はいましたか?
ヒントは赤い点々の道から水色の点線の道筋に変わります
Google earthdで、調べて見て下さい。
基本的には、調べた結果を発表する場ではありません。
このブログは調べる見方や考え方を書いています。
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