
鎌倉城内側の切岸2(由比ガ浜通りと鎌倉中心部)
初期の自然な要害の地は、、当然のごとく防衛力には問題です。
それ以降は鎌倉山の城郭の切岸、砦工事となる訳です。
現在残る遺構は、山の隅々まで人手の入った人工の切岸と曲輪が観察できる。
それを証明するのは、第二次世界大戦終結の昭和21年前後に撮られた空中写真が有り、
鎌倉が都市開発されても、城の証拠は個人宅の平地と裏の崖に存在する。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
(当初から地図作製の為の立体視出来る写真。)
私は古典文献に興味が無く、鎌倉の古代東海道に興味が有るのですが、、、
鎌倉城に関わる事情、、城造りの為に古代東海道を寸断した事情が有ります。
更に、その経緯と根拠を知る為に最低限の古典文献を知る必要が起る訳です。
このブログに書いた裏付け資料として後付の調査確認資料として使っています。
ですから古典文献に詳しい訳ではありません。
鎌倉の城郭遺構のオリジナルは太平洋戦争直後まで空中写真で遡れます。
その上で、古典文献は、遺構の根拠に使っています。
遺構の存在理由が、古典から導き出される。
遺構の存在理由が、古典から導き出される。
過去に述べられた鎌倉の研究図書の著者は『鎌倉は三方を山に囲まれた天然の要害の地』
と書かれるのが一般的ですが、、、、
山に囲まれた市街地側にも切岸が在るのを書かれた文献を見た事が無い。
大概は、社寺、住宅等の裏が切岸に成っているので、住宅を造る為に平地を造ったのであろうと、考えられている。
この考え方の問題は、
個人宅の平地を造るにも、社寺を造る土地にしても、其処まで大掛かりな崖を個人的な資力で造る事は無い。
それでは、この崖は何か?
それは、切岸である!
切岸は、外敵が侵入する事を防ぐ為の構造物です。
鎌倉の市街を守る為ならば、内側に切岸を作る必要は無いのですが、、、
首尾一貫し、統一された考えの基に、鎌倉の山は切岸が造られ、宅地や社寺の裏だけが崖ではなく、
外部から侵入した外敵が山に登れ無い様な、切岸の造りをしている。
次回へ、、、、