「鎌倉の古代 4」は、如何でしたか?
ぼ輔の 定説崩しですが、、、
このブログの副題の真意をご理解していただけると思います。
でも、当初はココまで書けるとは思っていなかったのです。
書くだけの資料も無かったのです。
結構リアルタイムで、、記事は書かれているのです。
ですから、何処に話が行くのか?? 見当が付かないのです。
創作の推理小説を遥かに越える歴史の面白さ!
勝手に筋書きを変えられない歴史の重み!
半端な推測や憶測は、否定される遺構の価値!
アカデミックな裏は、功績を焦る早すぎた結論!
その様な権威発の半端な定説と、現実の遺構が示す証拠の落差。
これは、
武蔵国衙より、鎌倉に向けた赤いラインの断面図と、
武蔵国衙より、江ノ島へ向けた断面図ですが、、、
その断面の差は、断然江ノ島向けの方が滑らかな状況を示しています。
武蔵国衙迄なら、赤ラインでも黄色ラインでも、同じだが、、、
其処から鎌倉には決定的なな差が有る。
これ等の事から、
最初から鎌倉行きを目標にした東山道支道の「東山道相模路」が造られた!
これが「ぼ輔」の想像した根拠です。
武蔵の国周囲の民からは、都へ行く道「上の道」と呼ばれ、鎌倉では「武蔵大路」と呼ばれた道と成った。
これも、正しい事(定説)とは別な「ぼ輔説」です。
ぼ輔の 定説崩しですが、、、
このブログの副題の真意をご理解していただけると思います。
でも、当初はココまで書けるとは思っていなかったのです。
書くだけの資料も無かったのです。
結構リアルタイムで、、記事は書かれているのです。
ですから、何処に話が行くのか?? 見当が付かないのです。
創作の推理小説を遥かに越える歴史の面白さ!
勝手に筋書きを変えられない歴史の重み!
半端な推測や憶測は、否定される遺構の価値!
アカデミックな裏は、功績を焦る早すぎた結論!
その様な権威発の半端な定説と、現実の遺構が示す証拠の落差。
これは、
武蔵国衙より、鎌倉に向けた赤いラインの断面図と、
武蔵国衙より、江ノ島へ向けた断面図ですが、、、
その断面の差は、断然江ノ島向けの方が滑らかな状況を示しています。
武蔵国衙迄なら、赤ラインでも黄色ラインでも、同じだが、、、
其処から鎌倉には決定的なな差が有る。
これ等の事から、
最初から鎌倉行きを目標にした東山道支道の「東山道相模路」が造られた!
これが「ぼ輔」の想像した根拠です。
武蔵の国周囲の民からは、都へ行く道「上の道」と呼ばれ、鎌倉では「武蔵大路」と呼ばれた道と成った。
これも、正しい事(定説)とは別な「ぼ輔説」です。