鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉に城は無かった! なんてね、 8

2013年08月17日 | 大鎌倉城
鎌倉の城は日本的な山城の最初の城で有ったと考えられるのですが、、、
その造城技術が、以降の時代に城を作る基に成ったと私は考えます。
その様な意味で、日本の城の原点となる遺構で有り、どの考えにも無い独創的な構造をしています。
幕府の資力を防衛の為に注ぎ込んだ城であり、以後の城は大半が1km四方の城となります。通常の城の概念とは違う巨大な規模です。
城を多く見ればなお更に鎌倉は巨大過ぎて城には見えない。
そして、誰も調べようとしない。
其処までは良いとして、、、、
「武家の鎌倉」世界遺産登録に失敗して、、、
市民組織「鎌倉世界遺産登録推進協議会」鎌倉世界遺産登録推進協議会等の内部から、、、、鎌倉城は、無かった!

更に年は過ぎ、山城から石垣を備えた城に変って行くわけです。
鎌倉城は調べる事の無いまま宅地化が進みますが、それでも遺構は残っています。
木を見て森を見ず」の現状で、鎌倉城の巨大さと文献の無さの為に全体の遺構をマトメタ情報を持つ人物や著作物は無い。
あなたが部分的にでも詳しくレポートをしたならば、貴方はその場所を知るスペシャリストでしょうし、それ程研究されていない分野だと言えます。
ネットを見れば、如何に資料が無いか判ると思います。
しかし、「武士の都鎌倉」を世界文化遺産にしよう!と言う話が官民の間で持ち上がった。
そんな鎌倉城の遺構など調べもせず、、建築物も片手で数えるほどですが、、
何処に「世界文化遺産」としてアピールするものがあるのか?
武士の心? 武術? そんなのは、戦国時代や江戸時代の産物でしょうね、、、
「武士の都鎌倉」の残した物は、鎌倉大仏と鎌倉城の遺構だけ!

写真は、小坪、名越の切通、報国寺、に連なる切岸(報国寺近く)
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足柄峠越え 3

2013年08月12日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
誓いの丘周辺の古道と思われる道を赤の点線で書き込みました。 (国土交通省の電子国土地図より)

目立つ道だけでして、細かな道は他にもあります。
谷筋だけでなく峰の路も使われていたが、忘れ去れたか、無視されたのか、伝承に惑わされ未調査であったのか?書く人は稀です!
それは、片手落ちと言うものです。
他人の興味は脇に置き、こちらの嗜好をゆうせんします。

路にマツワル話は、古代道を見つけると、その周辺には、同じ目的地へ向けた別路が見つかるのが常です。鎌倉に入る東山道も巨大道は、別ルートが有り、東海道についても、一つだけとは考えないのです。
ここに書かれた記事は、取りあえず、最初に見つけ感動したり、興味が強い時に書かれたモノです。
同じ程度や格下の道が在っても、既に興味が失せたら書かない事が大半です。
足柄路も同様で路は一つではない。
、、もっとも、峰通しですと同じ場所を使いまわしするようで一本にしか見えませんが、、、
この様な難所では、ロープが解けるように、、複数の路に分かれます。

次の、、この大道の延長の遺構は、何処にあるでしょうか?
峰の路は、現在の県道365号が使用しており、一寸した場所に有る筈ですが、峠の足柄城周辺の遺構です。

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足柄峠越え 2

2013年08月05日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
上の画像は、2004年に撮影した足柄県道365号の「誓いの丘」下で{A}の場所です。
矢印の方向から撮った画像です。


この場所を、私より1年前に調べた方が居ります。
ホームページ「足柄峠の古道探索」この中の「金太郎冨士見ラインに沿って・・・2  不思議な地層」 を書かれています。

不思議な地層は{B}の場所です。

googleストリートで{B}を見ると、、、


この不思議な地層を重ね合わし描くと、、、、、


更に、私も今まで気が付かなかったのですが、「googleストリートビュウ」画像は車上の一段高い場所から撮られ、視点が違うことで、木の間の空から地形を想像できるのです。すると、一段上の青いラインとなります。

如何でしょうか?
A、BとBの上の道の方向性と、大道特有な掘割の横断面のラインが合致する訳です。

誓いの丘下は、峰のナダラカナ道とは違い、急傾斜で何かの細工をしないとナダラカな坂道を造れない場所です。当然掘割道が考えられ、大道を探すには発見し易い場所と想定し、結果は相応の痕跡が在り、偶然発見した訳ではありません。
逆を言えば、それだけ道を作るコンセプトが明確で、それを理解すれば、見つけられる訳です。
問題は、A地点の写した場所は垂直に断ち切られています。
この様な大道を消し去る手法は、此処だけではない。
何故?
この場所は、攻め上る敵を迎え撃つのに好都合で広い道は困るのです。
さらに上の足柄城の守りで大道の断ち切と考えられる場所がある。
路を探す根底に、「路を作る人のコンセプト」を描き、
片や大路を破壊し、城や砦として守る為の考慮を踏まえて探す必要があります。
路ですから、壊されても延長線上に痕跡が残り、路として繋がる。
その時に、この大道特有な掘割の横断面のラインのイメージが探す根拠になる。

この道路痕跡に限らず、この場所には幾多の道路遺構が存在し、未調査です。
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