平地では、直線的に作られた古代駅路ですが、、
残念ながら山間地ではどの様にカーブを描き作られたのか?
平坦地の古代駅路の発掘例は、幾らも有りますが、山間部の道路遺構の発見例は無い。
もし在るとすれば、このブログが唯一扱っているだけです。
例えれば、
鎌倉朝比奈の道路遺構、足柄峠の道路遺構、富士十里木峠を越える足柄道の道路遺構、
そして、今回の
平塚道路遺構から下大槻道路遺構を通り、関本に抜ける道路遺構です。
上記の山間部遺構に文献は一切有りません。
しかし、、
足柄の矢倉岳から金沢八景の六浦港迄の直線上に存在する合理性を持っています。
更に、道路が直進しない場合は、曲がるだけの合理性のある理由を持っており、全体から見れば直進に造られています。
何が何でも直進と言う訳ではなく、程度の問題を含む直進です。
(google地図)右の黄色いマークは、Z路でその後尾根道(赤い点)を通ると考えられます。
理由は、篠窪へ降りると地形が複雑で太くて直線的な道が造れない。
尾根には、太い道路を作れたと思われる広い尾根が続いています。