>2001年3月10日 山梨日日新聞より
>「延暦,貞観,宝永の噴火噴火したのはどの場所から」
<http://www.ypec.ed.jp/yamakai/yamakai%20106.html>
>日本洞窟学会の 小川孝徳さんが溶岩流に埋もれた木炭に 含まれる放射線を調 べる
>方法で,一連の 噴火のうちで山梨側で起こった4回の噴 火の場所と噴火の様 式を
>確定したとい う。小川さんによれば,800年の延暦の 噴火は,山頂からの 多量の
>火山灰の噴出 と富士宮市方向への溶岩の流出。
上図より、
781年天応元年 十里木峠より北の場所に溶岩の流出在り。
800年延暦19年 山頂近くの南側より、多量の溶岩流出在り。
801年富士山東山腹に噴火在り、文献に(10日にして小山が出現)とある.
その結果、図は十里木峠(足柄路)が溶岩流の影響を受けた事を示す図となります。
写真は、国土交通省「国土画像情報」より、
画面左下は十里木峠、画面右上は足柄峠方向で、画面中央を横切る線は 巨視的に直線で複数の痕跡が確認できる。
「古代東海道 蒲原から足柄ルート13」の場所と同一地点です。
ここで問題は、
781年に火山活動があり、その溶岩の流れが日本洞窟学会の図に示されているが、
写真からも、その溶岩流の痕跡が確認でき、左から直線道路脇まで舌状で扁平な山が溶岩流の特徴を持っています。
「古代東海道 蒲原から足柄ルート 13」の写真でもこの[舌状で扁平な山]は確認できます。
大化改新の詔(646年)の100年後に起きた溶岩流動跡です。大化の時から影響が在ったかは不明だが、この影響から逃れる為に道は曲げられたと考えるのです。
>「延暦,貞観,宝永の噴火噴火したのはどの場所から」
<http://www.ypec.ed.jp/yamakai/yamakai%20106.html>
>日本洞窟学会の 小川孝徳さんが溶岩流に埋もれた木炭に 含まれる放射線を調 べる
>方法で,一連の 噴火のうちで山梨側で起こった4回の噴 火の場所と噴火の様 式を
>確定したとい う。小川さんによれば,800年の延暦の 噴火は,山頂からの 多量の
>火山灰の噴出 と富士宮市方向への溶岩の流出。
上図より、
781年天応元年 十里木峠より北の場所に溶岩の流出在り。
800年延暦19年 山頂近くの南側より、多量の溶岩流出在り。
801年富士山東山腹に噴火在り、文献に(10日にして小山が出現)とある.
その結果、図は十里木峠(足柄路)が溶岩流の影響を受けた事を示す図となります。
写真は、国土交通省「国土画像情報」より、
画面左下は十里木峠、画面右上は足柄峠方向で、画面中央を横切る線は 巨視的に直線で複数の痕跡が確認できる。
「古代東海道 蒲原から足柄ルート13」の場所と同一地点です。
ここで問題は、
781年に火山活動があり、その溶岩の流れが日本洞窟学会の図に示されているが、
写真からも、その溶岩流の痕跡が確認でき、左から直線道路脇まで舌状で扁平な山が溶岩流の特徴を持っています。
「古代東海道 蒲原から足柄ルート 13」の写真でもこの[舌状で扁平な山]は確認できます。
大化改新の詔(646年)の100年後に起きた溶岩流動跡です。大化の時から影響が在ったかは不明だが、この影響から逃れる為に道は曲げられたと考えるのです。