鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

富士山中 に東海道 十里木 4

2013年06月28日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
>2001年3月10日   山梨日日新聞より
>「延暦,貞観,宝永の噴火噴火したのはどの場所から」
 <http://www.ypec.ed.jp/yamakai/yamakai%20106.html>
>日本洞窟学会の 小川孝徳さんが溶岩流に埋もれた木炭に 含まれる放射線を調 べる
>方法で,一連の 噴火のうちで山梨側で起こった4回の噴 火の場所と噴火の様 式を
>確定したとい う。小川さんによれば,800年の延暦の 噴火は,山頂からの 多量の
>火山灰の噴出 と富士宮市方向への溶岩の流出。

上図より、
781年天応元年 十里木峠より北の場所に溶岩の流出在り。
800年延暦19年 山頂近くの南側より、多量の溶岩流出在り。
801年富士山東山腹に噴火在り、文献に(10日にして小山が出現)とある.
その結果、図は十里木峠(足柄路)が溶岩流の影響を受けた事を示す図となります。

写真は、国土交通省「国土画像情報」より、
画面左下は十里木峠、画面右上は足柄峠方向で、画面中央を横切る線は 巨視的に直線で複数の痕跡が確認できる。
「古代東海道 蒲原から足柄ルート13」の場所と同一地点です。
ここで問題は、
781年に火山活動があり、その溶岩の流れが日本洞窟学会の図に示されているが、
写真からも、その溶岩流の痕跡が確認でき、左から直線道路脇まで舌状で扁平な山が溶岩流の特徴を持っています。
「古代東海道 蒲原から足柄ルート 13」の写真でもこの[舌状で扁平な山]は確認できます。
大化改新の詔(646年)の100年後に起きた溶岩流動跡です。大化の時から影響が在ったかは不明だが、この影響から逃れる為に道は曲げられたと考えるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士山中 に東海道 十里木 3

2013年06月13日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
先ずは、
「5月19日 廃相模国足柄路開筥荷途、以富士焼砕石塞道也(日本紀略)」
の項目に注目をしてください。
これを、火山灰が道を塞いだのか、溶岩流が道を塞いだのか、、、解釈の問題です。
書き直せば「足柄路を廃し箱根路を開く。富士の焼砕石が道を塞いだ為」であり、
足柄路を塞いだのは、火山灰ではなく「焼砕石が道を塞いだ為」と書いてある。

延喜式の東海道を考えた場合、三島経由ですから噴火の影響は御殿場辺りが影響大です。
当時の溶岩流跡が御殿場に無いので、古代道の研究家は足柄路が火山灰で路を塞がれたと想像した、、、のでは?
大化の東海道経路を十里木経由とすれば、、
十里木峠周辺には、幾多の有名、無名で噴火歴不詳の側火山が在り、そ街道に対する影響を否定できない。

次回は、駅路を曲げたり、塞いだ、、、噴火の具体的な証拠の話です、、
火山専門家でなく門外漢の 洞窟探検家のデーターです。
しかし、示されたデーターは納得の行く判りやすいモノです。

図は、十里木峠より足柄に向いています。
水色の「大化」と書いたマークは、従来よりの直線道路遺構の場所です。
赤色の小さな3個の印の間に道らしき痕跡があり、これが次の問題です。
大化の痕跡の様にハッキリとした直線では無いが、大局的には直線です。
その上、複数の直線がが絡み合い、ロープの様です。
大化の話と別な 小規模の道が、十里木から足柄に向い数本の道が絡み合った状態で存在したと考えるのです。
大和朝廷の強権で作った直線の道と、弱い権力で作った道の 地形に合わせ直線的に造った違いを感じます。
平安、鎌倉、江戸の時代まで、、何度も作り変えて作った痕跡ではないかと考える。

十里木から、折れる事無く直線的に足柄に向け造られています。 っが、この道と「大化の改新駅路」の行き着く先が微妙に違うのです、大化の改新駅路は、竹之下ではなく、伝承の無い場所に方向を向けている。どのルートで足柄峠を登ったのか?と言う問題です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士山中 に東海道 十里木 2

2013年06月04日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
古代東海道を系統立てようとしても、線で在る道が点の発掘状態で点線にもなっていないし、文献は希少。必要なデーターは無いし、無い分は全く触れないか推測推定から憶測が入り込む下地ができる。 そんな基礎を作る途中の学問です。
文献は「延喜式駅路」が 一番古い経路の解説であるのでこの引用を主体に富士山周囲の文章が書かれ、門外漢はソレシカ無い。っと認識するのが順当な思考法です、、、、
 分野違いの富士山研究家は 古代東海道を三島経由で結論を出した。

古代駅路の専門家が 古代駅路は三島を通ったと唱えた。 火山の専門家は鵜呑みにして考察したのが話の背景と考えています。
「大化の改新駅路」の十里木峠説はバロパパと私が、このブログで始めて言い出した話ですしね、、、
その上、検証されている訳ではない。
でも、私だって十里木の可能性を8年前から暖めての根拠を探しですから、、、
本に書くなら「大化の改新時代の駅路は不明」程度の事は書きます
大化の改新東海道が十里木を通ったと考えたなら、足柄峠が噴火で塞がれた事情は変わるのです。

地図は、、、
青い線が「大化の改新駅路」のラインで、足柄方面は七割が想定の延長ラインです。
赤いラインは、本来はこの様に駅路を造りたかったのであろうラインです。
赤いライン上に路を造れなかった理由は、地図左上部にある凸凹で塚、山等の有名、無名の高まりが十以上確認できるが、大半は火口の跡で、この近くを駅路は通っていた。
コレラが火山活動をしていたら、真っ直ぐな路を作れなかったのは、安易に想像できるでしょう。
この路は蒲原から足柄峠へ向かう「足柄路」であります。
更にその先の話をしましょう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする