現代の地図と明治初期の地図を重ね合わせてみましょう。
上図 重ね合わせた地図より、
砂山の三角点11.53mの場所は、国道134号線に削り取られた状況を示します。
下の写真は現代の状況です。
写真で緑に写る公園が由比ヶ浜南遺跡となります。
> 有鄰 第 430 号 H15/9/10発行
> 以下は 記事の抜粋です。
> [座談会]中世鎌倉の発掘 仏法寺跡と由比ヶ浜南遺跡をめぐって
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> 由比ヶ浜南遺跡は鎌倉海浜公園内の遺跡です。
> この遺跡の発掘調査は地下駐車場建設に伴う工事に先立って行われました。
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> 齋木氏:大きな礎石建物と屋敷は13世紀後半になって造られます。
> この屋敷と建物の特徴は、北側が敷地外で調査されていないので判りませ
> んが、屋敷の入り口である門が南の海に向かって造られていることです。
> 門の両側には塀がありますが、その塀の板が造られた当初は線路の枕木み
> たいに太い角材を使っています。
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> 屋敷の東と西には鎌倉石を使った大規模な土塁か築地があります。
> 屋敷の西側土塁の外には木組み護岸の河川が流れて、その西には御成小学校
> の前を通る今小路に真っ直ぐに延びて行く、丁寧に造られた道路があります。
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> この土塁と強固な塀で囲まれた屋敷と建物は、鎌倉でこれまでに見つかって
> いる屋敷にくらべて異様に防御的に造られていると思います。
> 防御的な屋敷の門が海側にしか無いということも不思議な点です。
その防御施設の場所とは、砂丘の崖に相当する場所と考えられます。