鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

栃窪Z路から関本へ1 

2018年06月17日 | 古代東海道
素直に真上から見た傾斜部を黒く表した地図で、薄く衛星写真が載っています。(国土交通省より)

矢印は写した方向と、その写真ナンバーです。

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車は下からは登れません! 峰から下りこれ以上降りれない場所です。

この様に、歩行、馬、荷車が限界な恐らく道幅は1間(1.8m)で郡道で有ったそうです。
この当時(明治時代)は、地方最大の街道で在り、矢倉沢街道も同じ道幅の様です。
この道が古代東海道とは、、思わないのですが、探す指針にするのです。
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鎌倉の砂鉄6の補足

2018年06月11日 | 鎌倉の古代
下記のホームページにアクセスしてください。 公式の相模湾潮流の図です。
下図の様な海流は他の日では見つけられない筈です。
何故なら、その日、その時間で海流は総て変化し、同一のモノは無い。
海水の動き-流況・波高表示(相模) - 海上保安庁 海洋情報部
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KANKYO/KAIYO/oceanradar/currentsagami.html
潮流は、時間によりサキ潮(西向きの流れ)やカシマ潮(東向きの流れ)になります。
江の島でいえば、サキ潮が主流で東浜に境川の土砂が入り込まず砂浜が柔らかいが、
西浜は砂に川の土と泥が加わり硬く、車が通れます。
この砂浜の違いは、
黒潮海流の流れが三浦半島から回り込み三崎、葉山、鎌倉、江の島に向かう=サキ潮が主体で強い流れです。
逆な流れのカシマ潮は有っても弱く、砂を移動させる力が無い事を示す。 潮流の強さの程度の問題が絡みます。
同様に、砂鉄もサキ潮の為に稲村ケ崎から江の島方向に砂鉄は打ち上げられるが、由比ガ浜は白い事で、カシマ潮は弱く、砂鉄を移動させる力は無いことが衛星写真に示されている。
海上保安庁の示す刻々変化する潮流のデーターと、衛星写真を根拠に言える潮流の力です。
慶応の潮流図は、特殊な潮流の図面と考えられ引用するには特殊で不適切。 更に日時も表示されて無い。
公官庁の図面を示されると 潮流は常時この様に流れていると感じるのが、一般人です。
研究者も他人の研究を引用し、仔細を知らずに 潮流は常時この様に流れていると記述しています。
 しかし潮流は、刻々変化し一枚の潮流図で解説出来るほど単純なモノではない。
特殊例の潮流図から考え出された結論の間違えです。

このブログの様に権威も看板も無い素人の研究なら、ブログ内で訂正すれば済む話ですが、、
有名校の研究と NHK放映により不特定多数に拡散された情報は、常識となり、、、、
   権威が湧き疑うなかれ!信じろ!っと言う力を持つ。

 結論は
   砂鉄の出処は、極楽寺川から流れ出ている!
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鎌倉の砂鉄5の写真追加

2018年06月08日 | 鎌倉の古代
これは、2018年のgoogle地図で、更に砂鉄の黒い色が明確です。
稲村ヶ崎脇の極楽寺川から出た砂鉄は、鎌倉から江の島に向かう潮流にサラサレて、
砂は潮流に流され、砂鉄は波に打ち上げられ黒い砂浜となる。

〉稲村ケ崎の砂鉄について (徘徊おじさん)
〉2011-11-07 09:43:47
〉先日、NHKの高校地学の中で、稲村ケ崎の砂丘の話が出てきました。
〉ここの砂鉄は、海流により運ばれたそうで、比重の大きな砂鉄分が
〉こちらに堆積したものだと説明していました。
 重い砂鉄は何処にも運ばれず残るが、、、普通の砂は軽くて潮流に流される!
  極楽寺川から流れ出た砂鉄は留まり、この場所に黒く残っている。
 砂金取の盆を使って砂を流し、残った物は重い砂金ですが、、、その原理です。

〉神奈川県庁の土木関係の部署の人の記事によると、海流の変化により、
〉軽い砂はすぐに移動するが、比重の大きな砂鉄は最後に残ると説明されていました。
〉ですから長年の海流により稲村ケ崎に残留したのかもしれません。
 結局、理屈だけで、、理解せずに「稲村ケ崎に残留したのかもしれません。」って、、
 相模湾の海底に重い砂鉄は溜まっても、重力の法則で岸に上がっては来ないし、
 緩慢な潮流には流されません!
 一番最後で物理学を超越した現象の記述ととなりました。
 この様な研究が世に通用する根拠に、、NHKが信用して放映した。
 NHKの組織の中にも、慶応の指導者連中にも これを見破る人は無かった。

ちなみに潮の流れが江の島から稲村ケ崎、逗子の方向に流れたら、、、そりゃ
由比ヶ浜は砂鉄で真っ黒に成っているハズです。
尤も 「潮流に重い砂鉄が流される」誤解を肯定したらの話ですが、、、
その想定では、七里ガ浜全体が黒い海岸になると考えられます。
潮流の方向も深く現状を考えなかった。
常識的な思考法で文献を頼るので無く、常識の嘘を見破る科学的思考法と情報量を要求されるのが研究論文です。
「NHKの高校地学」の研究態度は安易すぎるし高校生の名前に傷が付く。 
      生徒を指導した人の教養の問題、、、  特に物理の基礎的考えが浅すぎる。
更にこの間違えが、常識の嘘となって拡散するのです
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