「古代東海道 蒲原から足柄ルート19」の写真はこの様な道路傍から入ります。
ちょうど車が駐車できる空き地があります。
この駐車場の奥を進むと断崖に成り、来た方向を振り返ると「ルート19」の写真の光景が見れます。
其処で、ハテナ?となります。
道の先は断崖ですから、、、、、、、道としては成立しない!
そんな、道路破壊工作は、幾通りも見ている為、、そんな疑問は薄くて「この場所も破壊されているのか、、、、」っという私の感想です。
更に峠に向かうと、これから足柄城の脇と言う場所に下のような場所が在ります。
寺庭城跡
寺庭城は直路ヶ尾ルートでも触れたように足柄城五連郭の前衛的な城郭虎口遺構と考えられています。もともと寺庭とは峠からの舗装道路が大きく左にカーブするところの内側の平場をいうようです。この場所がなぜ寺庭と呼ばれるのかは今では知る人もなく、研究者の説では聖天堂の旧地とするものもあるようです。右の写真は寺庭の平場の西側の大堀切とよばれる窪地です。
状態から見ると、古代東海道の規模の在る空間です。
足柄明神の鳥居際にある空間も、同様な特徴を持ちます。
足柄明神跡
右の写真は現在の足柄峠東側、足柄城跡東曲輪(明神山)の南側にある足柄明神の石祠です。足柄明神は矢倉岳の矢倉明神から狩野岩村の矢倉明神へと遷座していたようです。古代官道が越えた足柄坂(神の御坂)の神は足柄明神であったとし、足柄の古道は足柄明神のそばを通っていたと考えられます。現在ある石祠は明治期の新しいものですが、この場所が神社の旧地と伝えられているのす。
足柄城の明神曲輪(くるわ)空堀跡