青ラインの道のD点ですが、寿福寺門前に相当します。
青いラインの「窟小路」の載った地図の脇にD点周囲の詳細な地図を載せました。
岩屋不動のあるのが、不動茶屋の場所で、、、「窟小路」のイワレだと考えるのですが、
この場所の崖が、、注目に値する場所ですが、話題は別で、
問題は、赤い線で挟んだ場所ですが、変に思いませんか?
道幅がほかの部分より太い!
昭和58年の写真には、道がはっきりと明るく写し出されています。
おまけに、途中で太い道を断ち切った様な形をしていますね!
私は、「窟小路」の作られた経緯と、 この場所は歴史が違うのではないか?
と推測をするのです。
この様な謎に誰が解答を出来るでしょうか?
自分で考え 謎解きをするのが、このブログの「古代道を探すゲーム」ですから、、、
せっかくの楽しみを、本探しをして 調べて等 、、 という発想はありません。
っというか、、、それに答えてくれる本も無いのでは??
そんな事よりも、自分で推理する楽しさ!
これが、古代道を探す醍醐味ですね!ですから、モット事情通の方が本を出しているかも知れません!
コンピューターゲームの様に作者が必ず通り道を作ってありクリアーできるバーチャルな世界では有りません。
現実の世界の 考える人次第で何が起きるか判らないお遊びですね!
道は始点から終点まで一貫して作るものですが、、、
一貫していない場所は道を作る時、前時代の束縛と歴史的経緯があると考えます。
「窟小路」と言われる道も、赤い線で挟んだ場所は、他の青いラインの場所とは異質の道と考えられる。
その異質の意味と歴史を、、あなたの目で確認して欲しいのです!
空中写真から、何か探し出せましたか?
ラインが見つかった人は、、、、
D点の太い道の意味が理解できた、、、デショ?
理屈抜きで理解して貰えるのです。
ラインが見つかから無い人は、、更に古い写真を載せます。
青いラインの「窟小路」の載った地図の脇にD点周囲の詳細な地図を載せました。
岩屋不動のあるのが、不動茶屋の場所で、、、「窟小路」のイワレだと考えるのですが、
この場所の崖が、、注目に値する場所ですが、話題は別で、
問題は、赤い線で挟んだ場所ですが、変に思いませんか?
道幅がほかの部分より太い!
昭和58年の写真には、道がはっきりと明るく写し出されています。
おまけに、途中で太い道を断ち切った様な形をしていますね!
私は、「窟小路」の作られた経緯と、 この場所は歴史が違うのではないか?
と推測をするのです。
この様な謎に誰が解答を出来るでしょうか?
自分で考え 謎解きをするのが、このブログの「古代道を探すゲーム」ですから、、、
せっかくの楽しみを、本探しをして 調べて等 、、 という発想はありません。
っというか、、、それに答えてくれる本も無いのでは??
そんな事よりも、自分で推理する楽しさ!
これが、古代道を探す醍醐味ですね!ですから、モット事情通の方が本を出しているかも知れません!
コンピューターゲームの様に作者が必ず通り道を作ってありクリアーできるバーチャルな世界では有りません。
現実の世界の 考える人次第で何が起きるか判らないお遊びですね!
道は始点から終点まで一貫して作るものですが、、、
一貫していない場所は道を作る時、前時代の束縛と歴史的経緯があると考えます。
「窟小路」と言われる道も、赤い線で挟んだ場所は、他の青いラインの場所とは異質の道と考えられる。
その異質の意味と歴史を、、あなたの目で確認して欲しいのです!
空中写真から、何か探し出せましたか?
ラインが見つかった人は、、、、
D点の太い道の意味が理解できた、、、デショ?
理屈抜きで理解して貰えるのです。
ラインが見つかから無い人は、、更に古い写真を載せます。