頼朝落馬の地の碑がJR東海道辻堂駅の近くに在るそうです。
> 2022年4月市民センター開館記念講演にて、
>辻堂在住の郷土史家・大石静雄さん(98)が地域の歴史に
>ついて語った。小学5年生の時に、地元の高齢者から「この
>場所で昔頼朝が落馬した、よく覚えておいて」と教えられた。
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これが根拠で案内板が造られた様です。
.文献の(北条九代記)と(保暦間記)には、義経の亡霊は「八的ヶ原」にあらわれたと書かれており、、、その場所は藤沢市辻堂だという説がある。
.物的根拠は無いようです。 この周囲は砂地の土地で鎌倉古道を確定するには、発掘で路面の硬化が見つかれが良いのですが、、唯一 口伝が在りました。
.更に、古代東海道の引地川辺りからの分岐と成れば、、橋脚遺跡に向け妥当な京鎌倉往還の鎌倉道と考えられます。
赤丸が頼朝落馬地点の碑で、青いラインは京鎌倉往還の鎌倉道の想定です。
.しかし明治の地図ではその鎌倉道痕跡は無く、砂地の原野と考えられ。現代の地図では、建築が密で鎌倉道の物理的証明は無理と思います。
願わくば、当然鎌倉道の痕跡上に頼朝落馬地点が有ったハズで、鎌倉道の明治の状況が語られたら、信頼の置ける話に成ると思うのですが、、、
辻堂在住の郷土史家・大石静雄さんに当時の鎌倉街道の痕跡が在ったのか? そんな記録が在れば知りたいのですが、800年経てば砂の中! その場所の詳細が無い口伝で、鎌倉道の痕跡をご存じの方はお知らせください。この場所が頼朝落馬の場所と言うだけで、京鎌倉往還の経路を思い巡らせる面白い情報でした。