鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

戦う砦跡 鎌倉城の平場

2018年11月08日 | 大鎌倉城
日本城郭大系2 記 2015年06月26日  に記載の地図ですが、
「まんだら堂」と書かれた北側に東平場と呼ばれる場所が有り、平場の状態を観察できる。


左の上の柵に人がいるので大きさの参考にしてください。


同じ場所の反対側です。


一段下がった平場です。
人工的に造成した土地ですが、個人資産で大規模な造成はやらないのは、現代の重機を使わない時代の常識です。
農家ならば尚更の話です。
地方の士族の城とは、、規模が全く違うのです。
地方の小競合いの戦争とは規模が違う。
当時世界最強の軍隊と、国の存亡を賭けた戦いをする城です。
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新田軍は化粧坂に4 戦う砦跡

2018年11月05日 | 大鎌倉城
この図より、戦闘に必要な鎌倉軍の平場を探そう!っと言う訳です。
平場とその下にある崖が、鎌倉の戦う為の砦の証拠です。
ドレだけ見つける事が出来ますか?


緑のラインは、化粧坂から水堰橋に向かう鎌倉城大手の道です。
大手道の正面は、北鎌倉女子高校の周囲で土壁で乗り越えられない工作をしたと思えますが、住宅地となりその証拠は不鮮明です。
更に瓜ヶ谷から直接葛ヶ原を北から攻める兵と、梶原から葛原に向け南から攻める軍が考えられますが、、、
鎌倉軍が待ち構える平場(土地に傾斜が無いと白い。)を黄色でマークしました
如何ですか?谷底から攻め入る新田軍に対して、大手道に上がる場所には必ず平場が待ち構えている。

この平場に対して、住居跡だ!とか畑の跡だとノタマウ方が居ます。日が射さない場所に畑は作らないのは承知でしょうね?
そんな場所には家もつくらないし、、その場所に行く道路も無いのですよ!どうやって住むのでしょう?
日当たりが良い場所は、当然ながら屋敷も建てますし、畑も作ります。
その上、屋敷に出入りする道も作ります。要は、日当たりに無関係に平場は有る。
 当ブログ「武家屋敷跡」2014年10月10日 { 鎌倉に城は無い!}を参照ください。
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