江戸城の話です。通常は下の図を江戸城と考えると思います。
天守閣がお城と考えるのは、筋が違います。天守は権力を誇示する為の建築で、そこ迄攻められたら中で自決する為の時間稼ぎの場所です。
外敵が襲ってきた時に防禦する堀や壁(土塁)に囲まれた範囲が古来よりの城です。その想定で江戸城を考えると、、、
上図を見ると、、、
江戸の下町迄堀が囲い巻貝を連想する構造です。
外堀の防御に対し、、一番攻めやすい場所が芝口見付けと考えられますが、その脇には「浜大手門」現在の浜離宮が有ります。品川、銀座と攻め入り、城の周囲を一周して虎ノ門、日比谷に行き着き江戸城の核心を攻撃できる訳です。
上掲載の古地図はWikipediaより引用。
上のgoogle地図より、
江戸城総構えの面積は 16.6㎢
外堀の距離は 16km
南北4.7㎞ 東西5.6㎞
と言う規模の巨大な城です。Wikipediaの理屈で考えれば世界一ですが、、、
京都では、羅城門なんて言う話はありますが、外部から攻められた時にその羅城で戦った話は無く、常に京都市内の屋敷に踏み込まれた話となる。
実質は羅城が無いと考えていましたが、江戸時代前に、羅城が造られていた。
その京都の羅城の名は御土居堀で、
御土居堀の面積 21㎢
御土居堀の距離 21㎞
南北8.2㎞ 東西3.5㎞
このデータは、江戸城より大きい訳です。
更に古い鎌倉城はモット大きい城で在る訳です。
しかし、これ等の城が城郭資料に無いのは何故???
単なる「天守閣が無いから!」程度の理屈でしょうね!
城の本質を理解しない城郭研究者の為せる技と考えています。
それだけではなく、余りの広さに調べきれない! 何て言うのもアリかな??
場合によっては、、
鎌倉時代には世界一若しくは二を争う巨大な城と考えられます。
日本には、、更に巨大な羅城が在ったが、、、城郭研究者は調べようとしなかった。
その名は??