1960年の頃、玉縄城を興味を持って見た人も少ないと思います。
前記の玉縄城の写真はそんな開発以前です。
中学生の時未開発の城を探し出し、その後高校の文化祭の考古学クラブで、玉縄城の詳細な紹介をされているのを見て、自分の見たモノが何かを確認しました。
城の出入り口は一つで、七曲と称する道を通り城に入る。
七曲の一段上の道から侵入者に矢を射掛ける構造も残っていた。
今有る本を散見しても、高校生の研究発表以上に書いてある成書は見た事がありません。
そんな高校生の研究成果など、見向きもされずに処分されたと思います。
田中内閣の列島改造頃より、、、開発は始まり、
史跡玉縄城は地図を調べると総て開発されています。
この時期の写真は、他に数点が鎌倉市の玉縄図書館にあります。
鎌倉を世界遺産に登録しよう!
そんな話の中でも、朝比奈切通しは、四輪駆動車の轍の餌食です。
化粧坂も観光破壊が進みワズカ40年で、バイクも登れない荒れようです。
本気で史跡を守る市政の姿勢は???
ドチラニしても、、反対運動を起こす気持ちも無い私としては、、、
心がある人に面白がって探す楽しさを判って頂きたい。
何かの権威にスガッタリ、信用したりせず、自分の目で判断し、自分の考えで探す楽しさです。
そんな、自由な考え方で遊びませんか?
専門家も十分な資料がなく、考え方もアマチュアとプロの境がアイマイナ時期。
貴方の住む周囲でスペシャリストになれると思いませんか?
それが、、、古道探しです。