大化の改新(西暦646年)から、延暦廿一年(802)迄約150年間に、十里木の経路も変遷が有ったでしょうし「火山灰や溶岩流が足柄路を塞ぐ」は文献以外にも起きていたと考えると、この道路痕跡が唯一の物とは思えない。
道路遺構の様な直線的痕跡は、この東富士演習場の中にはマダ有ります。
大半は火山灰に埋もれ、素人に手出し不可の不明瞭な遺構で書き様が無いのです。
とりあえず、、、誰でもgoogle地図で確認が出来る「富士山に人手を加えた古代の巨大遺構を紹介しました。」
考古学の特異な分野ですが、、一般人でも検証できる遺構です。
足柄路を延喜式駅路の根拠で、蒲原→沼津(長倉駅)→横走で語られます。
しかし、延喜式駅路以前の駅路は文献も無く語られる事も無い。
古代官路のコンセプトから、十里木経由の方が直線的で元来の古代東海道と考えられる。
足柄路が焼砕石で塞がった状況を、従来の延喜式駅路では噴火口や溶岩流から遠い為に説明できず、矛盾があるが、十里木峠の道路遺構は、焼砕石で塞がった状況を説明できる官路です。
以上がダイジェストです。
この場の再度の探索は、、予定していません。
行かれる方が居られたら、、、
留意点は、
1、東富士演習場は地元の地権者が立ち入る権利があります。
2、夏はすすき野状態と思われ、観察は困難と思います。
3、秋に野焼きを行います。
4、野焼きの後は、地表から10cmほど焼き残りの茎が飛び出した状態の原野となり、山靴で無いと、焼き残りの茎が踝を突く状態になります。
5、基地内は、ダートで道によっては荒れがヒドイ場所もあり2駆では立ち往生も考えられます。慎重に見極めて下さい。
現地に行かなくても古代道探しは、、、google(地図)や国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス)で楽しめます! ご検索ください。
航空写真は、年度、太陽の方向、植生の状態、画質の解像度等で、在るべき痕跡が消えたり浮かび上がったりとても微妙な状態で出来るだけ、数を見る事をお勧めですが、今のgoogleマップは解像度に優れて優秀です。(10年前は解像度が劣り使えなかった。)
写真は
愛鷹山、越前岳の一連の山塊ですが、、、
その下の十里木峠から足柄に行く東富士演習場内の原野です。
この原野の中から道路遺構を探そうとしても、位置情報や場所を確信できないと、写真の様な原野が広がっているばかりです。
写真は、5月の連休で、ススキは無い状態です。写真の解像度が高いので、クリックすると大写しになります。
道路遺構の様な直線的痕跡は、この東富士演習場の中にはマダ有ります。
大半は火山灰に埋もれ、素人に手出し不可の不明瞭な遺構で書き様が無いのです。
とりあえず、、、誰でもgoogle地図で確認が出来る「富士山に人手を加えた古代の巨大遺構を紹介しました。」
考古学の特異な分野ですが、、一般人でも検証できる遺構です。
足柄路を延喜式駅路の根拠で、蒲原→沼津(長倉駅)→横走で語られます。
しかし、延喜式駅路以前の駅路は文献も無く語られる事も無い。
古代官路のコンセプトから、十里木経由の方が直線的で元来の古代東海道と考えられる。
足柄路が焼砕石で塞がった状況を、従来の延喜式駅路では噴火口や溶岩流から遠い為に説明できず、矛盾があるが、十里木峠の道路遺構は、焼砕石で塞がった状況を説明できる官路です。
以上がダイジェストです。
この場の再度の探索は、、予定していません。
行かれる方が居られたら、、、
留意点は、
1、東富士演習場は地元の地権者が立ち入る権利があります。
2、夏はすすき野状態と思われ、観察は困難と思います。
3、秋に野焼きを行います。
4、野焼きの後は、地表から10cmほど焼き残りの茎が飛び出した状態の原野となり、山靴で無いと、焼き残りの茎が踝を突く状態になります。
5、基地内は、ダートで道によっては荒れがヒドイ場所もあり2駆では立ち往生も考えられます。慎重に見極めて下さい。
現地に行かなくても古代道探しは、、、google(地図)や国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス)で楽しめます! ご検索ください。
航空写真は、年度、太陽の方向、植生の状態、画質の解像度等で、在るべき痕跡が消えたり浮かび上がったりとても微妙な状態で出来るだけ、数を見る事をお勧めですが、今のgoogleマップは解像度に優れて優秀です。(10年前は解像度が劣り使えなかった。)
写真は
愛鷹山、越前岳の一連の山塊ですが、、、
その下の十里木峠から足柄に行く東富士演習場内の原野です。
この原野の中から道路遺構を探そうとしても、位置情報や場所を確信できないと、写真の様な原野が広がっているばかりです。
写真は、5月の連休で、ススキは無い状態です。写真の解像度が高いので、クリックすると大写しになります。