問題点1
右の黄色の図において、
A~C間 画面下で直角に曲がる旧道ですが、C点以降は道が細い!
A~C間は旧道の拡張工事を終えC点で工事が止まっている。
問題点2
A~B間では旧道とは別に更に道幅の広い新道が造られている!!
何故C点で旧道の拡張工事は止まったのか?
問題点3
考えられる事は、
このC点より先は坂の傾斜が強すぎて車両の昇り降りが困難であった。
道路工事の監督は、ココで初めて気が付いたと、、、言う訳でしょうね!
傾斜を弱くする為に切通にする事を考えた。
結果は、A点より道路を掘り下げ道路の傾斜を緩くした。
よって、
例えA~C間に旧道が残っていても、すでに拡張済みの道路と言う訳です。
其れ以上に権太坂同様に道を売却した様で地図から消滅!
道路を拡張した結果は、、
地図のC~Dの状態で
C点では両脇に在った茶店は左の白い地図上から消え切通の崖の印が書き加えられている。
更に道路の拡張は藤沢宿の際で止まっている。
立ち退き保証の問題が生じますから、手が出ないのでしょう。
江戸東海道は、明治の時代に道路が拡張されオリジナルでは無くなった!
私の知っている60年前の東海道の遊行寺坂も江戸時代の痕跡は無く、、、
明治の政府が作り替えた坂と、並木も明治に植え替え、江戸のオリジナルでは無かったのです。
遊行寺坂を見上げると結構な崖です。
大半の江戸東海道は、明治の一級国道として車両を通す為に作り替えられた。
よって、江戸東海道が残存するとすれば、
河川や山間の旧道を改造するより新しい道を作った方が良い場所とか、
街の家屋を取り壊しが絡む宿場で地権が大きくバイパスを作った方が安上がり!
その様な特殊な場所と考えられる。
よって、江戸東海道が残存するとすれば、
河川や山間の旧道を改造するより新しい道を作った方が良い場所とか、
街の家屋を取り壊しが絡む宿場で地権が大きくバイパスを作った方が安上がり!
その様な特殊な場所と考えられる。
藤沢宿は古い商家が建ち土蔵などの痕跡は古色蒼然として点在します。
明治、大正時代にこの地は大火と関東大震災に破壊され、現代的な道幅となった。
戦後に私は70年前の藤沢宿を見て、江戸の東海道は立派な道と考えて居たわけです。
イヤハヤ、、、コメントが無ければこの様な裏事情は知らないママでした。
古代東海道の話が、 江戸東海道になってますが、、、
更に、、続くのです