鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

忘れ去られた鎌倉 城編5

2019年02月21日 | 忘れ去られた鎌倉


このトンネルの寿福寺側⑥です。




この非常に狭い峰を登り、源氏山に行く道⑦が在ります。

手前に一人、中程に三人、そして上に一人!
上の一人は異常に狭い道を通ります。更に上から弓で狙い撃ちをされたら、、、
大人数で攻めても、困難な訳です。
この道の他に源氏山に登る道は??
基本的にはこの周囲には無い。

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東富士演習場の立ち入り その後2

2019年02月15日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
この大化の改新後の駅路痕跡は、4㎞弱の距離があります。
しかし、目前に有っても野原が見えるだけ!
駅路痕跡の真上に立って、直線方向を見た時だけ解る!
簡単ではありません!
広大な東富士演習場の中で、特定地点の上に立つことは十分にGPSを使いコナセル事が必要条件!
スマホの電波は届かず、アラカジメ地図を仕込む(オフライン地図アプリ等)必要が有ります。
若しくは、この地形を習熟し、道路の分岐点等を区別できる事が必要です。
古代駅路上に立てても、自然条件が問題です。
時期次第で下草が伸び過ぎたり、野焼きが行われたり、雪が降りナドの自然条件次第では、遺構の確認不可状態も考えられます。
Googleマップの様に上空から好条件で良く見える事は期待できません。
鎌倉城にしても、東富士演習場にしても、大きすぎる事で目の前に在る物が認識できない事が在る訳です。

ある意味、、
物の見方考え方が無いと、目前に有っても判らないでしょうし、、
下手な日に行けば鉄砲玉が飛んでくるでしょうし、、
 基本は侵入禁止地区のダート道でサバイバルの演習現場です。
現地に立っても確認できるかは、、アナタ次第。

確認出来ない原因は、大自然の対応能力が低く自然の変化に対応できない貴方がいる訳です。
その時は、顔を洗って出直しをしましょう。
私も、一度では見つけられなかった!
これ等のgoogle地図以外の現地写真は、5月の連休に写された写真です。


上記は、十里木峠から交点に向かう道で、箱根の長尾峠の方向です。


これが、交点の場所ですが、真上から見ると、、、


これが、真上から見た交点です。

次回は、交点から次の直線を見ると、、、
その方向は足柄で足柄峠の登り口に向かう訳です。
しかし、
御殿場線の足柄駅とは違う方向で、竹之下の方向ではない。
竹之下の様な狭い谷を曲がりくねって登る考えは、古代東海道には無い。
更に、鎌倉時代の足柄峠では道幅が取れず、坂の傾斜も強すぎて、道としての品位に欠けます。
基本的には谷道では無く、峰通しの道が古代東海道のパターンですが、、、
それでは、何処を通るのか??
以前にもこのブログで書きましたが、、、交点から向かう直線がその登り口を示します。
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忘れ去られた鎌倉 城編4

2019年02月14日 | 忘れ去られた鎌倉

今小路から外れて、
刃稲荷から寿福寺のトンネルを潜ります。

先ずは、④の刃稲荷です。

源氏山からこの峰の南側は、その昔は正宗谷戸と呼ばれ広大な谷戸は正宗所有の土地で有ったそうな!
正宗谷戸の西は佐助隧道があり途中には正宗の使用した井戸があり、東の刃稲荷周辺では「たたら製鉄」で生じるカナ糞が多量に出土したそうです。

次は、⑤の寿福寺のトンネル

問題は、このトンネルの在る峰の不自然さに有ります。
この峰は、一様な傾斜で八坂神社へ向かい、その方向は六浦道を向く。
私が、古代東海道の痕跡と考え、道の境は不要になれば両側の地主の境界と成り、この様に削られた何て言う創作物語と憶測の世界に成る。
その様に、この峰は人工的に作られている。
更に、寿福寺のトンネルの右は下の写真に成り、その先端は八坂神社です。

そんなに土地が欲しければ、この峰をすべて削り取ればよい!
それをしないのは、防御に好都合である、、、この発想は、この場所は城の壁と言う理由から生まれます。

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忘れ去られた鎌倉 城編3

2019年02月12日 | 忘れ去られた鎌倉

鎌倉の街から周囲の山を見て、どの様に感じるか?
物の見方や考え方で 感じ方は変わる。
大概は、自分で考えずに常識や書かれた情報に依存する。
それに従えば、鎌倉に城は無いという説を本や講習で習うと、、、
   「本当に無いのだ!」
等と、本気で信用します。それが常識なのですが、、、
物事の現象に、専門外の更に重大な要素を知らない事が有る。
多種な理論、多様な考え方の組み合わせで世の中は動く。
単純な理論で説得力のある研究をされても、広い見識が無い研究は現状と合わない。他のモット重大な要素を理解してない為です。
頭で考えた理屈と、現実(遺構や古文献が証明するモノ)が合わないのを机上論と言います。
鎌倉幕府を語るなら、古文献と鎌倉の地形を考慮に研究すべきとおもいます。

> みうら サン
> 2015-03-11 09:09:46
>  前略
> すみませんが、初心者でも分かるお城のあとを教えてください。
> 歩いてみたいので

800年間放置された城跡で、荒廃した城は、自然に帰り緑のベールが掛けられた。しかし、その下には、鎌倉城の切岸が眠っている。

山林の放置と樹木伐採禁止で必要以上の繁殖となり、城壁の切岸は緑に隠された。その様な変化を思考力で取り去る必要が有る。

②の写真の紹介です。
今小路から路地の奥を見ると駐車場が在るのですが、、、


更に先の駐車場③です。
観光客は、、こんな遺構の知識は無く見ようとはしません。
レストランの紹介をされた観光案内片手に、食べる興味が主の様です。
巽神社やはちみつやの在る周囲です。

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忘れ去られた鎌倉 城編2

2019年02月08日 | 忘れ去られた鎌倉

鎌倉の歴史には古代からの経過が在りますが、
東山道の分岐が在る。新田郡衙の東山道(下新田ルート)は、武蔵路が分岐し鎌倉へ向けて痕跡が在る。
その延長は、海蔵寺裏の大掘割(切通し)と続き、武蔵大路とも呼ばれ、今小路に名前を変えて鎌倉郡衙の在った御成小学校へと続く。
今小路自体は歴史の片鱗も感じない道ですが、、、
道の脇には、トンデモ無い遺構が在ります。


駅を出て、四つ角を右に曲がると今小路です。


昔の9m幅の駅路は、無駄に大きい為に平安時代は、6mや3m幅の道路に作り替えられた。
そんな道を散策する訳です。
しかし、この様な歴史を感じない道の脇を覗きながら歩いてみましょう。



その①は古我邸です。

①の古我邸の詳細は、武家屋敷跡としてこのブログにも書きました。参照してください。
基本は、三方を山で囲み、一方は海や土手で遮る。
その一方の海から攻め寄せるのが元寇の蒙古軍です。
そんな訳で、
外部から侵入を防ぐと考えられた切岸と呼ばれる城壁が鎌倉市街に向けて在るのですが、この矛盾した城壁の観察をするコースです。

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東富士演習場の立ち入り その後

2019年02月07日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
東富士演習場の立ち入り から5年が過ぎました。

私の持論だけでなく、誰でもgoogle地図を扱えれば、この痕跡を確認出来る「富士山に人手を加えた古代の巨大遺構を紹介しました。」
考古学の特異な分野ですが、、一般人でも検証できる遺構です。
出来なければ、google地図の操作が習熟されて無い為で、頑張って使い慣れてください。

2014年以後ののgoogleマップは解像度に優れて優秀です。(10年前は山間部の解像度が悪く使えなかった。)

更に5年経ちネットの環境が良くなり、googleマップも国土地理院のマップも精度が上がって見やすくなっています。
その様な訳で現在のGoogleマップで古代駅路と思われる遺構は どの様に見られるか?と言う検証です。


上図 画面上は足柄峠の峰であり、左下は十里木峠です。
今回の画像は、十里木と、折れ曲がった交点の間の画像です。


画面中央を下から上にラインが有ります(赤矢印の間)が、屈折点より西に向いた画面で 御殿場より十里木峠に登って行く図です。


上図は、同じ道を逆に下って行く十里木より御殿場向き(箱根山の長尾峠を向く)の図です。


上図は、同じ図の拡大です。

次回は交点の状態です。
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