鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

富士山中に東海道 序 6

2013年04月22日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
また、、、また「蒲原から足柄ルート4」で使った画像ですが、
足柄峠方向の赤矢印を逆行するとピンクのマークの忠ちゃん牧場へ向かいますが、そこから先は山で、みちの可能性は無くなります。
っという事は、、、
足柄方面の矢印と「忠ちゃん牧場」の間で十里木峠へ方向を変える場所があるのです。
さて、何処でしょうか?
十里木峠の何処を通るのでしょうか?
理屈では、峠の一番低い場所、、、っと考えるでしょうが、、、
Google Earthには、十里木峠に向けた直線遺構がシッカリ写っています。
さがして見ませんか?

こんなにヒントが在っても、
探す人を惑わすラインが幾らも在りますし、
解像度の問題で写らなかったり、
直下から見た映像では判りにくかったりしますが、、、
それを使いこなす事で見つけられる。
Earthは、二種類あり、
通常のブラウザーで表示できるGoogle地図のEarthと、PCにソフトを組み込んで使うEarthが在ります。
PCに組み込むと画像にマークを付ける事が出来便利です。

探した方は、何を思われたのでしょうか?
 曖昧さの無い直線で、他のラインとはハッキリ区別出来る人工的な痕跡です。
人間の工作には意図が在ります。
コレを道路でないと否定したら、何の目的でしょうか?
さらに、この様な工作を何時の時代に誰がやったのでしょうか?各時代を想定してください。
この様な辺鄙な土地に大規模な工作をする意図と力を持った人は、飛鳥から奈良の大和朝廷であろうと考えるのです。
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富士山中に東海道 序 5

2013年04月15日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
上のアース画像は、、如何ですか?
真ん中上のピンクのマークは「忠ちゃん牧場」で真下が足柄峠方向に設定してあります。
コレでも、微妙に写っていますが、、、



 更に拡大したこの画像なら判るでしょう?
解像度はもっと拡大して見えるし更にハッキリ観察できます。
こんな微妙なラインが道の痕跡と言えるのか? なんて疑問の方は、、、
是非 御自身でグーグルEATHを使って更に拡大してご覧ください。
疑問を解消するハッキリとした画像が見られます。

当ブログの「古代東海道 蒲原から足柄ルート2」で書いた
◆1「大化の改新駅路」より280年後の「延喜式駅路」と経路が同じ保障はない。
の件は、、
一、 延喜式駅路とは別に、十里木ルートの道路痕跡が存在する。
二、 大化の改新駅路の特徴である目的地に向かい直線的な道である。
三、 この痕跡は工作の規模が大きいと考えられ、自然の風化や、火山等の災害にも耐えて、痕跡が明確である。
この道路痕跡を根拠にして、古代道をもう一段掘り下げると、、
古道の痕跡は十里木峠より足柄峠に向いていますが、、、
この古道の脇には、足柄へ向けて他にも道の痕跡があります。

足柄山中の古道を ネットで検索すると、幾多の古道が竹之下と呼ばれる地域(足柄駅のある場所)に足柄峠の上り口が集中して幾筋ものルートが存在することが判ると思います。

しかしこの「大化の改新駅路」ルートは、足柄伝説や文献にある竹之下を向かず、伝承の無い北の麓を向いているのです。
 足柄峠の誰も言わない峰を通る道の話です。
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富士山中に東海道 序 4

2013年04月13日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
大化の改新駅路と「延喜式駅路」の違いは文献や他の資料の根拠がなくても、この十里木峠と足柄峠の間で見つかる道路痕跡で考察ができる。
(上の赤矢印は蒲原で、ピンクのマークは十里木の「忠ちゃん牧場」で、下の赤矢印は足柄です。十里木東の痕跡は「忠ちゃん牧場」を目標に探すと見つけ易い。)
駅路の経路が混乱する原因の基は、時代により、経路が変化することです。
◆大化の改新駅路、
 大和朝廷の力を誇示し、目的地へ向け直線的で道幅の広い道を作った。
◆大化の改新駅路以降、延喜式等を含めた平安時代の駅路。
 実利優先で、大化の駅路より道幅縮小、道筋変更、道路の工作の簡易化をしたと考えられる。

似た場所を通っても、時代で成り立ちが別と考えられ、実態は遺構を調べる事で区別できる。
大化の改新駅路で判っているのは、東海道駅路は路面9mの巨大道路である。

古代東海道については、文献は限られ資料は少ない発展途上の学問ですが、
開放されたインターネットの世界では、簡単に駅路の痕跡を追える資料が手に入るのです。
古来、文献には権威が沸きます。しかし人が意図を持って書くからには、公平性は保てずに真実も嘘も混在する。
 権威に頼るより、現実の遺構や痕跡を根拠に文献を検証するのが科学的であり、正攻法と考えています。

この写真は、方法2の
googleのアースで表示する衛星写真です。
5年程前のアースは、都市部だけ解像度が高く、、山間部は極端に荒く使えなかった。
今は山間部も解像度が高く、道の溝を判別できる様になった。この部位のEarthを拡大すると、、、道が浮かび揚ります。
 巨大駅路の痕跡はパソコンの中から探せます。
必要なのはgoogle Earthを思考錯誤して思いのままに使いコナス事ですが、、、
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大鎌倉城 隠された切通し編 6

2013年04月01日 | 切通し
  隠された大切通しの巻 終り
北鎌女学園のグランド立体視の画像です。
立体視が不明な方は、国土交通省のHPへ、
http://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/200604/geography200604-01-04.pdf
立体視が出来た方は、この谷戸の全体が理解できるでしょう。
過去に鎌倉の歴史を興味深く探索した人も、現地を見て全体が掴めない地形で、、、
地図からも伝わらず、航空写真でも難解で、誰にも問題にされなかった場所です。
空から立体的に見て 初めて特異な人工構造の全体像が理解できる場所です。
巨大過ぎて全体像が掴めず、話題にも上がらない遺構です。
特にグランド右の谷戸は、地図から想像できない直線的な道と人工的な壁面が立体画像から確認できるでしょ?
何が人工的なのか?
一、谷戸の底が極端に平らで等幅の道路の様な平面。
二、谷戸の壁は、斜面の角度が上から下まで一定角度で切って落とした様な壁。
三、土橋の有る壁も一定の角度の急激な斜面。

グランド左の砦構造は、真ん中から登ってくる敵を、三方から囲んで弓矢で射ると考えます。
グランドは、アーチ型の土砂止めをした物と考えられるでしょうが、それは不正解です。
初めからアーチ型の構造の砦です。その後に盛り土をして今のグランドが出来上がった。土地の取得に関連した問題でしょうね、、、、

この大きな遺構ですら、、鎌倉城のホンの一部です。
この立体写真から見えるものは、非常に人工的な地形である事。
それを理解するには、切通しを隠して迎撃用の砦にしたと考えれば説明できる。
その考えの根拠に海蔵寺裏の大堀切があります。

更に話を掘り下げれば、グランドの無い1940年代の空中写真があり、オリジナルな遺構が確認できます。
詳細は、国土交通省「国土変遷アーカイブ空中写真」の画像で立体視と確認をおねがいします。
歴史を逆登る光景が見られます。
当然、、そんな空中写真を立体視して、この場所は砦構造ですと書き込んでいます。

隠された切通しは、海蔵寺裏大堀切だけではなく、、他にも有ったと言う事です。
このパターンはコレだけ?そんな事は無い!!
この他にも隠された切通しを想定できる場所がある。

それも、、、
これらの隠された切通しは、朝比奈切通しを上回るであろう規模の切通しです。
海蔵寺裏の大堀切を参考に、その規模を想像して下さい。
「大鎌倉城 ** 隠された切通し」へ続くのでした.
※空中写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より引用しました。
コメント (2)
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