東山道武蔵路は、最初からこの鉄の産地と染屋太郎(東八箇国の総追捕使)の軍事目的で道を作ったのであろう!
そう考える根拠です。
イタチ川沿いの古代遺跡が語る事は、
青銅器文化を駆逐する、、、渡来人の存在と鉄器文化です。
農業用の鍬や鎌として、防衛の刀、槍、矢じり、これらは国力の基盤となるのです。
東海道だけでなく、東山道支道まで鎌倉へ造る重要さは、この辺りではないかと、、、
ぼ輔は想像するのです。
イタチ川沿いは、鉄器文化の幕開時代と政治の後押しで作られた事を想像するのです。
都から離れた鎌倉で、遺構の規模の大き、道路の整備を根拠に、ぼ輔はそう考えるのです。
> 深田製鉄遺跡(横浜市栄区上郷町555番地)
> 無数の「たたら」跡が発見された上郷、深田製鉄遺跡の発掘現場。
> 現在遺跡の主な部分は舞岡上郷線の道路の下になっています。
> 昭和61年の発掘調査により規模の大きな古代の製鉄遺跡であり、
> 神奈川県教育委員会の説明には、
> 奈良、平安時代の大規模な製鉄遺跡で。製鉄の原料は遺跡の周辺に
> 砂鉄を含む堆積層があり、この砂鉄が使われた。
っとあるのが、お役所の公式見解です。
写真は、鉄器文化を示す「白山社」の入り口昇竜橋と登りの階段。
「鎌倉の古代3」の三品さんの写真はこの場所の下。
とても、、ピンボケですが、朝の4時で薄明かりの中です。