鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

篠窪から関本へ8

2020年02月13日 | 古代東海道
古代東海道が秦野を通る経路については、秦野の醍醐道と呼ばれる道が在り、
この醍醐のイワレですが、
 秦野市HPによると、醍醐道は、、、
「本町地区には大道通り、曽屋通り、乳牛通りなど名前の
ついた道が多い。そんな道の1つに通称、醍醐(だいご)
道というのがある。本町小学校と市役所の間を東北に通っ
て乳牛通りに抜ける細い道だが、ここは奈良・平安時代の
古道だったといわれる道。」
その経路は
飛鳥の都より、足柄→神山→篠窪→栃窪→醍醐道→大道バス停へと考えられる。
近代は 明治に大住郡の郡道として使用された経路です。
秦野市HPに書かれてある様に、この道は細道と考えるのが常識ですが、
経路は、同じでも古代東海道は9m幅の道で在り、千年前の痕跡は希薄です。
しかし、平野なら畑に成り、住宅地に成り、道は細くされるのは通常の事ですが、
山中の山腹で平坦地が皆無の場所で富士見塚下の道路遺構をご覧に成りどの様に感じますか?
江戸時代でも、この周囲の矢倉沢街道は一間幅でしたが、、富士見塚下の遺構は道にしては道幅が広すぎる!
この様に広く平らな場所の在る理由は道路以外に何が有るのか?
個人の力で田畑の為にこの様な広く平坦な土地造成を行うでしょうか?
それが、古代東海道の特徴です。
当然、下大槻の道路遺構と関連された道幅で、都から平塚、鎌倉へと9mの道幅を維持して続く駅路です。
古代駅路は、平地で発掘されるのが通常ですが、、発掘に素人の出る幕は無い。
しかし、掘り返さなくても巨大な道の痕跡は見つけられる!
直線を維持しにくい高低差のある場所は切通して道を作るでしょうからその痕跡は外見から見える。
そんな発想からの古代東海道探しです。

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長窪の砦 3

2020年02月01日 | 大鎌倉城
下図の長窪の地形ですが、、、
緑の強い処は高い場所。
黒い処は傾斜が強い処(切岸)=城壁に相当する場所です。(図1)



普通の空中写真を使い、傾斜の強い崖(切岸)を黒く強調させたモノです。(図)


未だ大船高校が無い時代の写真です。
この砦構造も大手の宅地造成に依り、、鎌倉城は破壊され、現在も続いている。(図3)


通常の図とは違い、左が北です。大船高校のグラウンドが目立ちます。(図4)
同様な経緯で、台峰の北鎌倉女子学園グラウンドが同様な砦の上に同じ手法でグランドが造られています。


上の赤い点か、下の黒点を基準に立体視をしてください。
点の間は自身の両眼の間より 狭くしないと立体視出来ません。画像をズームさせて見てください。(図)
立体視出来なかった方は、残念ですね、、、
立体視出来た人は 1956年(60年以上前)の長窪を見る事が出来る!
   長窪の記事が評判が良いので、、画像を付け加えてみました。

長窪の砦 3.5   (2020年02月04日 | 大鎌倉城)
長窪の砦の地形は特異な構造ですが、、、
 読まれて如何でしたか?

図4に示した様に、住宅地が立ち並びチットモ砦らしくない!
当の住人たちは、これを鎌倉城等と言う認識はまるで無い。
石垣が無いから城じゃない! なんて言う常識的な考えの方々が暮らしています。
戦国の城は石垣が無いのが当たり前。
更にソレより前の時代の城構造です。
石垣に相当する切岸が鎌倉城には在る。切岸から中に新田軍は入れなかった事で、切岸の有効性と鎌倉城の堅固さが証明されたのです。
負けた理由は海の潮が引く天変地異が原因であった。
そんな城造りの基が、この砦には残っています。 次の戦国時代の城造りの基になったと考えています。
今時の城に詳しい研究者等は、巨大な規模と切岸に、城とは理解できない。
その理由は、戦国時代の城は、隣国の武力に対抗する為の城であり、地方の小国の小規模な争いの城です。
鎌倉の城は、当時世界最大で敵なしのフビライハンが率いる軍隊と戦う為の城で在った訳で規模が全く違う訳です。

下の写真は長窪切通入り口(門の)左側の暗闇を進む。判りにくい!



鎌倉全体の山に有る崖!表面に見えるのは住宅地ですが、、その裏庭には、切り立った切岸が有るのです。
知らない人は、住宅を作る為に裏山を切り崩して平地を広げた! 等と解釈をする方が居ると思いますが、、、
現代の土地ブローカーが大規模造成をしない限り、山を削ってまで住宅地は作りません。
注意深く斜面地を観察すれば、昔ながらの城構造が残っているのが理解できると思います。
それが、識別するのが「違いの判る見る目」ですが、、、 この様な時代背景が理解できないと、識別できない。

飲食店や土産物やをウロツク観光客とは違った、古都鎌倉探索の一段深い知識を必要とする鎌倉巡りと成ります。
広大な鎌倉は広すぎて、構造を理解できずに苦しみますが、、
鎌倉城を理解する為の雛型で長窪の砦は理解し易く、中身は濃い。
  興味の無い人には、、、
    単なる住宅地です。
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